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昔の話。 坂本竜馬が闊歩した町。 グラバー邸、亀山社中、竜馬の像を見るために長崎に行った。 竜馬像がある公園からバスで亀山社中へ向かおうとしたところ、先にバスにいた年配の女性たちから、裏山から行けばすぐよ。と言われた。男性たちは、やめといたほうがよいと言われた。女性たちは、大丈夫よという。彼女たちの意見に従い山を下ることにした。 そして、すぐに後悔した。木がうっそうとしていて陽が当たらず、周りは墓。墓地であった。怖いので大きな声で歌いながら駆け降りた。 ようやくたどり
東京都下で育った私は、関東大震災や東京大空襲の時に何があったのか多少情報はあるが地方から来たその友人はその知識はなかった。 その友人と、浅草から南千住にあるうなぎ屋まで散策した。 プランは、 浅草寺から言問橋を渡り、有名な桜餅のお店で桜餅を食べ、向島をぶらぶらして南千住にあるうなぎ屋で食事である。 浅草で待ち合わせをし浅草寺で昼食を食べ(何を食べたか覚えていない)、隅田川を渡り、桜餅の店に行く予定。 言問橋だったか橋の名前はうろ覚えであるが、わたっている途中で、東京大
昔、戸隠へ旅行へ行った時のこと。 昼食付のツアーであったが、私はそばアレルギーのため別行動となった。。一緒にツアーに参加した友人は私に付き合ってくれて二人で店に入ると、店員が3つお茶を出してきた。 「?」としていると「3名様ですよね」と尋ねて来た。いえいえ二人ですよというと、店員さんは固まった表情になり、2つお茶を置いていった。 その様子をみて私たちも固まった。 お茶を飲みながら、友人が思い出したように、蕎麦屋の前に立ち寄ったところから様子が変だったよ。という。 た
昔、銀座から東京駅を目指して歩くつもりが道をそれたら、小伝馬町付近を歩いていることに気づいた。吉田松陰ゆかりの地ではないかと感動してしまい、そのまま次はなにがあるかとワクワクしながら歩く。途中、地下鉄の駅があったので、ま、疲れたら地下鉄に乗って帰ればよいと思っていた。しかし、途中から地下鉄らしきものが見当たらない。かといってバスに乗る気にはなれず歩く。頼りは道路標識のみである。浅草、上野と続き、右折もしくは左折すれば浅草寺や上野公園に出られたはずだ。がしかし、もう少し歩きたい
昔、摩文仁の丘にある平和の礎を訪れたときツアー参加したときのこと。 平和祈念館から平和の碑に行く途中で、参加者の一人の男性が、平和の碑に大叔父の名前が刻まれているという話を始めた。その大叔父は、いつ徴兵されてもおかしくない年齢であった。将来を誓った婚約者がいたので志願すれば内地の仕事をあてがわれ戦地に赴かなくてすむと考えてたため志願した。しかし、予想に反して激戦地となった沖縄に配属されて命を落としたということだ。 参加者が私を含め3名のツアーである。ガイドにそのことを伝え
2018年9月に念願の場所に行った時のこと。 最後に立ち寄った集合洗面台があるバラックで 実際に見たわけではなく、私の頭の中に映し出された映像と、肌で感じた空気感のようなものである。 たくさんの女性が、一斉に洗面台に向かっている。 短い時間のなかで先を争うように洗面台で洗顔等をしている。 騒がしく、ワサワサしている感じ。 その中の一人の女性の思いが伝わってきた。 「私は、必ず生き延びる!」 「子供はいなくなってしまったけれども」 「ここから出たら、また産めばい