平和の礎
昔、摩文仁の丘にある平和の礎を訪れたときツアー参加したときのこと。
平和祈念館から平和の碑に行く途中で、参加者の一人の男性が、平和の碑に大叔父の名前が刻まれているという話を始めた。その大叔父は、いつ徴兵されてもおかしくない年齢であった。将来を誓った婚約者がいたので志願すれば内地の仕事をあてがわれ戦地に赴かなくてすむと考えてたため志願した。しかし、予想に反して激戦地となった沖縄に配属されて命を落としたということだ。
参加者が私を含め3名のツアーである。ガイドにそのことを伝えると、時間もあることだし、その方に大叔父の名前を探してみればと促した。はじめは遠慮していたが、私が強く促すものだから捜し始めた。平和の礎には沖縄戦で犠牲になった人たちの名前が出身地ごとに刻まれているので探すのに時間はかからなかった。その後、県ごとの慰霊碑にも立ち寄った。
こちらはこちらで名前を探している間、ツアーの運転手が少し離れていたところにある礎を見ていた。後で聞いた話によると親類の方が沖縄県北部で避難の途中でマラリアにかかり亡くなったことを親から聞いていたことを思い出し、自分も探してみようと思ったということであった。
別の話。
沖縄出身の同僚からはこんな話を聞いた。
同僚の母親とそのきょうだいは、沖縄戦中に避難する途中で親とはぐれてしまった。幼いきょうだいは森の中を彷徨った。どのくらいの日が経ったかは不明だが奇跡的に森の中で父親と再会することができたという。
すごい生命力だと感動したことを思い出した。
戦後76周年になる今年、なぜか数十年前に沖縄へ行ったことを思い出した。ここしばらく忘れていたが、6月23日が近いからだろうか。
ふと思い出したので…。
読んでくださりありがとうございます。
そういえば、平和の碑、アブチガマなどをガイドをしてくれた方は地元の新聞社の方と地元の大学の職員の方だった。ツアーの夕食は、ステーキハウスに行き、その後泡盛を飲んだ。そのときに、エレカシの話をしたことを思い出した。たしか「今宵が月のように」のときだったな。