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過小評価されているシューベルト作品から「過大評価されている楽曲」まで<前編>ーー東大出身の理学博士が素朴で難しい問いを物理の言葉で語るエッセイ「ミクロコスモスより」㊲


一ピアノ弾きとして、シューベルトのピアノ作品に対する評価の低さには常に違和感を抱いています。
よくある批判として「手の動きを考えておらず弾きにくい」「冗長で退屈」が挙げられます。
 
確かにシューベルトのピアノ作品は演奏効果が低い割には極めて弾きにくく、息の長い旋律を何度も繰り返す癖があります。
しかし、こういった批判は演奏効果を最優先する観点からのものであり、楽曲自体の評価としては的外れと言わざるを得ません。
 
シューベルトの音楽の冗長性は、その歌曲的な性質が多分に寄与していると言えるでしょう。
歌曲形式では、一連の旋律が異なる歌詞で繰り返されます。
シューベルトの多くの曲も、主題が提示された後に音域を変えて繰り返すという定石を踏襲しており、それがせっかちな聴衆にとっては余計に感じられるのでしょう。
 
しかし、実際にシューベルトのピアノ作品を、楽譜を観察しながら聴いてみると、実に工夫に溢れた名作ぞろいであることに驚くばかりです。

名曲の条件


最初に結論を言ってしまいましょう。
シューベルトのピアノ作品が名作であるゆえんは、以下の4つのポイントがそろっていることにあると考えています。


1.必要最小限の要素をあらゆる方法で発展させることで楽曲が構成されていること。
2.ドラマチックな場面転換が効果的に演出されていること。
3.絶妙なタイミングでわざとありきたりなフレーズを挿入する。
4.音の並びだけでなく、演奏を考慮した総合芸術として作品が仕上げられていること。

例として、即興曲D935 (op. 142) の第一曲を取り上げて考察してみます。
 


譜例1
記事の譜例はいずれもIMSLP(https://imslp.org/wiki/Main_Page)から引用しています。




第一主題は厳粛な雰囲気で始まります。あまり歌謡的な性格はありませんが、跳躍の無い旋律はやはり歌曲特有の手法です。


譜例2



この楽曲の中核をなすモチーフは、この第一主題と第二主題の間を結ぶ経過句のところです。

第一主題の激しく厳かな雰囲気から一転して、弱音でメロディーもはっきりしないこの部分は、第一主題との鋭い対比を為してはいますが(ポイント2)、この時点ではまだパッとしません。


譜例3


経過句は少し勢いを増して進んでいきます(このように、一見新しい楽想が次から次へと脈絡なく続くように感じられる点が、シューベルトが冗長と言われる理由でしょう)。

新しい動機(メロディの最小単位)のように見えますが、譜例2の一小節目と譜例3の一小節目を見比べてみると、同じ音形を異なるテクスチュアで再現しているだけであることに気が付きます。
このように、同じ動機を変形させながら曲の展開に利用する技法は「主題変容」と呼ばれ、後のフランツ・リストのピアノソナタの指導原理として結実します。
この場面は一度聴いただけでは少し分かりにくいですが、ポイント1とポイント2が両方活かされています。


譜例4


長い経過句が終わると朗らかな第二主題が始まります。譜例4でもうお気づきかと思いますが、譜例2,3でポイントとなっていた動機は、実はこの第二主題そのものであったことが、ここで明らかになります。実に見事な伏線回収です。


譜例5
譜例6




この第二主題は、1オクターブずつ音域を上昇させながら合計3回繰り返されます。
これも冗長性は否めないものの、だんだん朗らかな雰囲気から煌びやかな雰囲気に移行していく効果的な演出です。

譜例7



楽曲後半でこの第二主題が再現される際には、当時のピアノの最高音F7が奏されます。

先ほどのモーツァルトと同様、楽器の特性を楽曲のクライマックスに活かす方法がここでも見られます(ポイント4)。


譜例8




さて、煌びやかな第二主題が一息つくと、分散和音で再び鍵盤の中央部に戻り、この楽曲の最も魅力的な経過句が始まります。
譜例8の最初の2小節は、As-durの分散和音が徐々に落ち着いていきますが、その直後、c音がces音に変わり、唐突にas-mollに転調します。これもまた衝撃的な瞬間です。
本来であれば、第二主題が終われば提示部は終結へと向かっていくはずですが、この転調は終結へ至る前にまだ大きな(不吉な)出来事があることを予兆させます。まるで、全く予期せず奈落の底に突き落とされたかのような瞬間です(ポイント2)。

その後、この分散和音を挟むように高音部と低音部で掛け合いが始まります。ここは旋律というより断片というべきような、あたかも和声の流れに併せて即興的に会話をしているかのようです。この場面は異なる音域の音響を対比する効果だけでなく、演奏では腕を交差させる必要があるため、一気に曲のスケールが大きくなったかのような印象を受けます(ポイント4)。


この後提示部は終結し、そのまま展開されることなく再現されて楽曲が終了します。
お気づきでしょうか、ポイント3がこの曲にはありません。いわゆる「キャッチ―なフレーズ」が無いため、これほどまでに良くできた曲であるにも関わらずほぼ無名のまま現代に至ります。


後編につづく


プロフィール
小澤直也(おざわ・なおや)

1995年生まれ。博士(理学)。
東京大学理学部物理学科卒業、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。
現在も、とある研究室で研究を続ける。

7歳よりピアノを習い始め、現在も趣味として継続中。主にクラシック(古典派)や現代曲に興味があり、最近は作曲にも取り組む。

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