子育ての疲れを最も癒してくれるのは
先日、娘のお気に入りの散歩道を歩いていると、同じように、娘よりも少し大きいと思われる女の子が母親に連れられて散歩をしていた。
娘は自分と同じくらいの年頃の子に興味津々だ。足を止めて吸い寄せられるようにその子を見ている。
興味があるのは相手の女の子も同じだったらしい。娘の方に近づいてきて、言葉にならない言葉で話しかけている。
そんな様子を見て、母親同士は軽く挨拶を交わす。
私の娘は、興味はあるくせに臆病というか、慎重なところがあって、相手が迫ってくると引いてしまう。積極的な女の子の前ですっかり固まってしまった。
しかし相手の子はそんなことは気にせず、娘に向かって手を振ったりしている。
「あ」
娘の前で人差し指を突き出していた女の子。すると、娘も同じように人差し指を突き出したのだ。指と指がくっつき合う。『ET』のポーズだ。
なんだ、もう心を開いたのか。
小一時間でも一緒にいたらすっかり友達になれそうな雰囲気である。子どもの順応力に感心する。
大人と違って、人に先入観を持つこともなければ、変に自分を飾ろうともしない。相手への純粋な好奇心だけでぶつかっていく。そんな子どもたちの姿が眩しかった。
しばらくその女の子は娘の後をついて歩いていたけれど、分かれ道にきたところで母親に手を引かれて行ってしまった。この散歩道のすぐ側には大きな公園があるのだが、その親子は公園には寄らずにそのまま自宅に帰るらしい。
娘は女の子の姿が見えなくなるまでじっと立ち尽くして見ている。
「行こうか」
わたしは娘の手を引いた。
歩き始めて間もなく、先程の女の子の泣き声が響いてきた。きっと公園に行きたかったのだろう。母親の「今日は行かないのよ」となだめる声がする。
これは大変な状況だぞ、と少し同情する。歩きたい盛り、遊びたい盛りの子どもを説得するのは大変だろう。
しかしすぐに女の子は泣き止み、静かになった。どうやら母親に抱き抱えられているようだ。続けて、母親の歌うような声が聞こえてきた。
「また今度〜。また今度〜。」
その優しい響きを聞きながら、なぜだか胸の奥がじんわりと温かくなった。
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外出して、子どもを連れた家族を見かけると、ついつい子どもよりは母親や父親に目を向けてしまう。
子どもと全力で遊んでいる姿。
「帰りたくない」と駄々をこねる子どもを必死でなだめている姿。
子どもを遊ばせながら、親同士のおしゃべりに花を咲かせている姿。
子どもの側でそっとスマホを眺めている姿。
それぞれの状況に少し思いを馳せながら、その親の姿を見つめてしまう。
どんな親も子どもを大切に思い、自分の時間、心、そして体力など、持てるものを与えて生きている。
そんな人々の姿を見ていると、不思議と心が癒される。
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いつの日か、なんのきっかけかも忘れてしまったけれど、娘と二人きりで家にいるのが辛くてしょうがない時があった。
娘は親の精神状態を敏感に感じ取る。普段は一人遊びに熱中することも多いのに、わたしがイライラしていると、不安そうに片時もわたしから離れようとせず、ぐずぐずとまとわりつくのだった。
ただでさえ機嫌が悪いのに、いつもより手のかかる娘に明るく接することが難しい。
家の中に閉じこもっているよりはと、娘を連れて外に出た。
胸の内に溜まっていた負のエネルギーが、新鮮な風をあびて少しずつ溶かされていく。
ふと目を上げると、前方から子どもを乗せた自転車をこぐお母さんがやってくる。子どもは前に一人、そして後ろにも一人。母親は仕事帰りに保育園のお迎えに行っていたのだろうか。普段着というよりは、少しフォーマルな服装を見て想像する。
その女性にとっては、毎日毎日繰り返される日常のひとこまなのだろう。
それなのに、わたしはその姿を見てなぜだか泣きたくなった。
ありふれた、なんでもない日常を、なんでもないように続けていくための苦労は、本人だけが知っている。
誰かに誇るわけでもなく、淡々と、明るく、ときに優しさを見せながら。
当たり前のように子どもたちの側で生きている母たち、父たちの姿を見ると、大きな励ましを受ける。そして、わたしもまた頑張ろうと思うのだった。