好きなことを好きであり続けるための努力をしたい
好きなことだから続けられる、というのは、なるほど、その通りと言いたいところだけれど、実はそんなに簡単なことじゃないのかもしれない。
好きなこと、つまり趣味とも言い換えられることで、自分がどれだけのことを続けているのだろうか。
好きなことで、今も続けていることをひとつ、ふたつと数えてみると、片手で数えられるくらいしかない。
好きなことはもっとあったはずなのに、と今は触れていなくても好きなことを思い出してみると、やっぱりちゃんと好きなことはある。
映画を観ること。音楽を聴くこと。絵を描くこと。美術館に行くこと。素敵なカフェに行くこと…。
心の温度が上がるような、それをすると、当たり前の日常が少し特別になるような、そんな自分の好きなことが私にもちゃんとあった。
どうして今はやらなくなってしまったのかと考えると、生活スタイルが変わったり、他にやりたいことが増えたり、単純に時間が取れなくなってしまったり。
でも不思議なことに、好きなことであっても、日常で触れていないと好きという気持ちが遠のいて行くのを感じる。
あんなに好きだったのに、今はあってもなくてもいいと考えている自分がいる。
自分の中の「好き」という気持ちが、ひとつ、またひとつと失われていることはなんだか悲しい。
先日、『続ける思考』という本を読んだ。
この本を読み、一貫して伝わってきたことは、「続けることは楽しい」ということだった。
続けることが趣味という、著者の井上新八さんは毎日いろいろなことを続けている。
少しだけ井上さんが続けていることを紹介すると
・ジョギング 25年(雨の日以外は基本毎日)
・手書きの日記 23年(欠かさず毎日)
・写真展開催(1年に1回)
・1日1冊本を読む 2年11ヶ月(2022年2月から欠かさず毎日)
・マンガを読む 1年半(毎朝、1日1話)
これはほんのわずかで、本当はもっとたくさんのことを継続されている。
そして起床後のモーニングルーティンも凄まじく、朝食前には本業であるブックデザインの仕事も終わっているというから驚きだ。
元々、仕事が忙しくなりすぎたときに「やりたいこと」と「やるべきこと」を無理なく続けるために、1日の習慣を徹底して考えたという井上さん。
一つひとつのことを続けていくことで、たくさんの喜びがあった。
「やりたいこと」と「やるべきこと」ができるということはもちろんのこと、続けることで、自分が変わっていくことが楽しい。
続けることで、「やり抜く人」になることが嬉しい。
本を読み終わる頃にはすっかり感化されて、私も何かを続けたいと思うようになった。
意外だったのは、井上さんが習慣にしていることの中には、マンガを読むといった井上さんが「好きなこと」も数多く含まれていることだった。
習慣と聞くと、やらなければならないことをやるためのもの、というイメージが強かった私。
でも本当は、習慣は自分の生活を豊かにするためのもの。
好きなことを、率先して習慣にするのが良いのかもしれない。
先述したように、好きなことであれば勝手にやるというのは嘘で、好きなことでも時間がないなど色々な理由をつけてやらなくなってしまう。
そしてやらなくなると、せっかくの「好き」という気持ちも薄れてしまう。
それならば、好きなことを好きであり続けるための努力をしたい。
『続ける思考』を読んでから、私は毎日の習慣の中に、「音楽を聞くこと」を取り入れた。
朝起きてから掃除をするという習慣が定着しつつあったので、ちょうどいいや、と掃除をしている間にイヤホンから音楽を流すことにしたのだ。
元々、毎日音楽を聴いていたい!というほどの音楽好きではない。
特定の好きなジャンルがあるわけでもなければ、好きなアーティストがいるわけでもない。
音楽への興味は人並みか、あるいはそれ以下かもしれない。
それでも、聴いていて心地良いな、と感じる曲はある。
現在、毎朝1曲聴き、聴いた曲のタイトルをスマホのメモ帳アプリに記録している。
ただ聴くだけでもいいけれど、少しずつ聴いた曲の記録が増えていくことが楽しい。
毎日新しい曲を聴き続けることで、自分が好きな曲に出会えるかもしれない、そう思うとワクワクする。
以前持っていた、音楽への「好き」という気持ちが、これからもっと深めていけるかもしれない。
あるいは、それほどでもないと思って、途中でこの習慣をやめてしまうかもしれない。
まあそれはそれで、自分への気付きのひとつ。
ひとまずは、好きなことを好きであり続けるための努力をしてみよう。
毎朝起きることが、少し楽しみになった。