小田城(こだじょう) 〜凄い城だった〜
「作手の小田城跡は行ったことがありますか?」
と、ちさと郷土研究会のOさんからLINEが。
前々から興味があったので付いていくことにしました。
これが、付いていくことにして正解。
とても一人で行こうとは思わない場所だった。
そもそも国道301号から続く県道35号岡崎設楽線が災害工事で通行止。
このため、最短距離で行けない。どこで通行止になるのかわからないので、とりあえず行ってみたら、ちょうど後少しのところで引き返すことに。
そこから、迂回路へ戻り細い山道をゆく。
Oさん夫妻のジムニーは楽勝。自分のフリードでも困ることなく走れる。
そして、着いたところは、まるでおとぎ話の世界だった。
実際、トラクターだの自動車だの居るのだが、雰囲気がもう隠れ里。聞けば、Oさんは昔調査でくまなく新城市内を訪れたことがあり、小田地域にも来たとのこと。
平家の隠れ里伝承がある集落だとか。雰囲気ある。
Oさんの記憶と自分の嗅覚でとりあえず登っていく。
林道に入ってどこかに登山口があるのでは?、というひどくアバウト。困ったのが、ここは携帯電波結構不感地域。そのため電波が弱く鳶ヶ巣砦の時のような現代技術に頼ることができない。しかし、3人寄れば文殊の知恵。なんとかなるもんです。少し登ったところに謎の遺構が。
え?横堀?
しかし、ここは城と思しき場所からは相当離れている。しかし、どうみても横堀。よく、田んぼや猪垣が土塁や石垣などと見間違えられがちですが、これは、全く形状が違う。
見れば見るほど横堀。なんか古宮城を想起させる。愛知県の中世城館調査報告では、こんなものに言及はない。そもそも、城からかなり麓として離れてる。
後世のものにしては、何に使ったのかわからないのと、なぜこんな形状にしたのかもわからない。ただ、集落近くだけに、なんらか作っていたのか?と、謎は深まるばかり。
時間もないので、とりあえず上を目指して登る。灌木も多い上に雨上がり。背中に痒みを感じ、蚊が居ることを悟り背中をカバンでガード。念のために持ってきていた杖で灌木を払い除けながら一気に登る。山道に迷いながら登るのは心細いが、一番高い場所を目指す。
なんかそれらしきものを発見!中世城館調査報告の該当部分を写メしてきたので、図面と地形を照らし合わせ、ここが城で間違いないことを確認し、Oさん夫妻に発見の報を伝える。
所詮砦程度で少し土塁があってそれらしい城のかな、と、思いきや、デカい!
そして、その土木量が結構多い!
本丸と思しき最高地の平地をグルッと二重に取り囲む横堀。
城の入口らしき場所から城を望むとほら、こんな見事な造形が!
興奮のあまり独り言が止まらず、うわ言のように感動を口にしていると、Oさんも「え?!なになに?何があるの?!」と共鳴。聞けば、城の形状にはさほど詳しくはなく、案内がある時に楽しむ程度だそうで、私が猛烈に興奮して何がすごいのかを話すと、それが楽しいとのこと。人間、何が役に立つかわからないものだ。
そのまま図面に従い本丸下を土塁に沿って進むと、横堀が竪堀と繋がって尾根を切ってる!設楽城みたい!武田っぽい!思わず絶叫。
そしてさらに進むと、元からある尾根を生かした竪土塁状のものが!
土塁の一番上にちょっとした削平地があり、明らかに敵をここで倒すつもりなのだろう。この背後は切り立っており本丸を切岸で守っている。
ただ不思議なのが、本丸には特に造形がなくスンっとした素っ気ない造りなこと。
周囲の偏執狂的な作りと本丸の素っ気なさのコントラストが、そそります。
ナイスですねぇ。そして、本丸に祠が。
八幡大菩薩との記載が。そして、この屋根誰か間違えて載せただろう。
多分、庇が突き出た方が前だと思われるが、落ちてしまったのを横向きに載せてしまったのだと思う。ただ、触らぬ神に祟りなし、なので、拝むだけにして直すことはせず。
その後、山頂すぐ下の平坦地が気になるので散策。
城付近は下から噴き上がる冷たい風が強かったのに、ここは無風。暖かい。姥が懐という地名がつきそうな感じ。よく見ると天水溜かな?と、思わせる井戸跡のようなものもある。たぶん、ここは居住用に利用していた場所ではないかと思う。
と、まぁ、思った以上にでかい城なのではないか、との疑念を抱く。
Oさん夫妻と別れ、私は自車で帰宅したのですが、その後、OさんからLINEがあり、
「あの後帰ろうとしたら田んぼで作業していた人が声を掛けてこられ、お城の話をしたら、
城の奥に処刑場がある
城の反対側の山にも何かある
木が無ければ城から田峯城が見えるから狼煙を上げればすぐ見える
だそうです」
なんと!
城の奥の処刑場って・・・。一人で行かなくて良かった。
そう言われて、改めて地図を確認する。
おお、確かに田峯が近い。田峯から阿蔵を通って下山や足助に抜ける道に位置しているのが、この小田城。そうなると、結構重要なポジションを占めているので規模が大きくてもおかしくはなさそう。
なお、この城の伝承だと奥平氏の城。しかし、菅沼氏発祥の菅沼城も近く、奥平と菅沼が錯綜している。そして、城の伝承には武田派の常勝の名が。城の遺構に武田の影響があるのもうなづける。
ここの城、きちんと周辺地域の城の状況と照らし合わせて考えると、支配の状況が見えてきそうな気がして、今後、重点的に調べないといけない気がしてきました。
それにしても意外な城でした。あの、下の方にあった横堀っぽい奴、横堀なのかなぁ???
小田城
〒441-1401 愛知県新城市作手守義島18
地図はこちら https://goo.gl/maps/se3CsCeHpHaCBnVZ9
※ 文中にもあるように通行止による迂回路で行く必要がありますので要注意。付近に防火水槽があり、そこに1台程度なら駐車可能。ただし、火事の際に緊急車両が利用できるように配慮が必要。