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「本当に望んだものは?」女性の多種多様な肩書について考える。

女性の人生は複雑だ。日本の「女性の社会進出」「働き方の多様化」によって、ますます複雑さが増していると感じる。
それに伴い、女性の社会的な肩書が増えていく。
果たして、その多種多様な肩書の中で、自分自身が本当に望んだものは、どのくらいあるのだろうか。
本当に望むものを、見失ってはいないだろうか。

選択肢が増えた事により、考えたり、迷ったりする時間も増しているだろう。

例えば、次の様な環境にある女性は、どの様な「社会的な肩書」が挙げられるだろうか。

・40代前半
・2児の母
・PTA役員
・共働き
・産休・育休明けに仕事復帰して数年が経ち、フルタイム勤務中
・初の女性部長に就任

彼女の肩書について考えてみる。

①家庭内での肩書    母親・妻
②PTAでの肩書      役員・○○君ママ
③会社での肩書     初の女性部長

多種多様な肩書だ。母親や妻も立派な肩書の一つだ。
とても優秀な女性に見えるだろう。

しかし、この中に彼女が本当に望んだ肩書はいくつあるのだろうか。

PTAの役員は、仕事の都合で辛いかもしれない。
仕事と子育ての両立で、自宅に帰っても休めていないかもしれない。
家事の分担で、夫に負担を掛けていると、後ろめたく思っているかもしれない。
まだ子供が小さくて、華々しい役職よりも、子供との時間が欲しいと思っているかもしれない。

初の女性部長という肩書は、「国の政策」・「会社のイメージ戦略」のために与えられたものではないだろうか。

女性は、タイミングにより望むものが違う。
少し前までは、キャリアを求めていた女性でも、今、この瞬間も、同じものを求めているとは限らない。

また、男性社会的な肩書も多様化していると思う。「イクメン」「育休中のパパ」という肩書は十数年前には無かったのだから。
「働き方の多様化」においては、男性も選択肢が増えた事により、決断までに時間がかかるのではないだろうか。

日本の「女性の社会進出」「働き方の多様化」は、女性の人生を複雑にしていると感じる。

「女性の社会進出」「働き方の多様化」を「不足した働き手の補填」「会社のイメージ戦略」とすり替えてはいないだろうか。

いくつも与えられる社会的な肩書の中に、自分自身が本当に望んだものは、どのくらいあるのだろうか。
本当に望むものを、見失ってはいないだろうか。

自分自身が本当に望む肩書を、自由に表現できる。それこそが、本来の「働き方の多様化」だと、私は思う。










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