noteをはじめました。 わたしは、Furoshiki Mignonふろしきミニョンというふろしきのブランド運営しています。また、ワークショップや講座などでふろしきの講演や結び方の講座をしたりしています。クルーズ船に乗ってお客様へのイベントとしてふろしき講座をしたり、ChloeやPRADA、Alexander McQueenなど、ブランド様の店頭でふろしきラッピングの実演やイベントのお仕事をしています。 ふろしきはみんなが思っているより、 楽しくて、かわいくて、便利な道具
好きなことをやっていていいねと 時々言われるけど 好きなことをやってるんじゃなくて 好きな自分でいつづけたいだけです。 自分らしくいられることを選んでる 自分でいることをやめないこと。 他人のなかの自分ではなく 今ここにいるじぶんのことです。 だから、何をやってもどこにいても 良いと思っています。 時々、セルフ窮屈みたいな人を見て そういう自分でほんとうに良いのだろうかと思います。 知らんけど🙂↔️
なんでも丁寧な暮らし自分に優しくっていうのもちょっと迷惑だよねん。 丁寧にやってる暇ないんじゃという時もあるし、自分に優しいのと自己愛とわがままはちがうんだよねん。 今の自分にとって適するものを選べたらいいですよね。忙しくてもいいかげんな暮らしでも。その中の自分のちょうどいいが分かるっていうのが、自由で優しくて前を向いていると思います。 ちょうどよく、なんて言ってますが、 ストレスやプレッシャーが少ないほうが、 私にはストレス😥 わたしのちょうどよいと、あなたのちょうどよ
ここに旗を立てるから迷わず来て欲しい。 昔書いたノートをめくっていて気がついた。 昔なりたかった自分に今なれている とても嬉しいはずで。 そのために諦めたこともたくさんあるけど 選んだものをじぶんの中の正解にすると決めて がんばったつもり。 意地なのかもしれないけど、 選びたかった方を超えていないと くやしいじぶんがいますので。 あちらがよかったなんて思うことは じぶんに失礼で、応援してくれる人にも。 ノートを書いていたときのこと、 とてもよく覚えている 仕事のお昼休
諦める。あきらめるってどういう意味か知っていますか。 あきらかに認めるという意味です。 これは仕方ないここまでだと認めて、 じゃあどうすればいいか、です。 前に進むための区切りといったところかも 仕方ないから、やめよっか。 じゃないんだよ。 じゃあどうしてみようか。 諦めることで、考えるターンを自分で作っていく。 そうやって 角度を変えながら、 夢への焦点を合わせていく
嫌なことを積極的に避けてます(五七五?) 苦手な人とか嫌なことから、 それに対する罪悪感もない。 数年前だったらそれはわるいことだと思っていたよ。 無理をしたり我慢をするのは 「わたしの無駄遣い。」と思うようにした。笑 正しいことは、わかってます。 でも疲れる。それより楽しいことをしていったら ストレスが減ったし、たくさん仕事がやってくる。なんでだろう 好かれなくてもいいやと思ってどんどん動いていると、苦手だった人に「あなたいい人ね」って言われた。なんでだろう。そんなふ
この前食事会で、なんでだか 自分の中でご機嫌ななめ。 というか私、帰りたいと思っている。 帰ってやりたいことがいっぱいある。 そんなふうに思ったことが申し訳なかった。 楽しめてない自分が嫌だった。 1カ月後にまた同じメンバーで食事会。 その日私、楽しくて、ご機嫌だった。 今日はよい日だと思ったのです。 そのときに、ふと思い出して 「今、もしかして帰りたい人っているのかな?」とひとりひとりの顔をのぞいてみた。 そんな人いないように思った。 もしかしたらいるかもしれないけ
休日の朝、洗濯を干していると、ラジオの人がへんなことを言っていた。 シティポップを紹介する番組で、リスナーがおすすめするシティポップの曲を紹介するコーナーです。 そして一曲終わった後に、パーソナリティが言いました。 「この曲は僕にはシティポップじゃないんですよね。」 けんか売ってる〜〜と思った。 このリスナーからのお便りと選曲からは、この番組とパーソナリティを敬い愛する人なんだろうなというのが強く伝わってきた。番組への愛が丁寧に伝えられたあと、この曲が流れた。懐かしさを感
神様がサイコロを振っているなら 私のさいきんはずっと「1」かなあ。 まだまだ満足してないからの「1」。 選択っていっぱいあります。 無数に枝分かれしていて。 一つ決めて進むたびに、進まなかった方のことを考えちゃうことがある。 その瞬間、進まなかった方の道に花が咲く気がしませんか。 それが気になって、またその咲いた道の先を考えてしまう。 あら また咲いた。 そんなことを考えながら、まさにいま選んでいるのが、砂利みたいな方です。 思い出や、想像って、想ってくれると咲くんです
ふろしきは、添うように包むから そのものの形が分かりやすい。 だからつつんだ形の奇抜さが個性だと思っていました。 それはちょっと間違ってることにきがついた。 これだと、ただ見た目だけです。 四角いのか丸いのか どんな柄がみえるのか そんなことしかわからない 外側だけの個性は、あんまり素敵じゃなかった。 私の思うだいじなこと。 それを持ち上げたとき、 曲がりやすいとか硬いとか 重たいんだか軽いのか、 温かいのか冷たいか そして何を思うのか。 ぎゅっと締まった結び目の ほどい
一年前の自分から手紙が届きました。 蔵前の自由丁で書きました。 そういえば20歳のとき、中学生の時の自分から手紙が届いたことを思い出しました。 「この人生は、あなただけのものじゃなくて、1歳、5歳、10歳、15歳、この瞬間、このさき未来の自分。全部のあさみのもの。だから1人じゃないし、まぁ1人なんだけど、自分のものだけだと思っていいかげんに生きて欲しくないです。私もあさみに繋げられるようにがんばります。全部のあさみが応援してるよ!」 と書いてありました。 これはいつも、
努力の見積りばかりしていると 失敗した時こわくなる。 意味がなかったと思ってしまったり、諦めてしまったり。 今、どうしたいかを大事にしたい。 今、ここ、この瞬間が積み重なって人生、 正しい努力を
「自分らしさを磨く」って、どう思いますか。 こう思われたいんだ、 自分はこういう人間なんだ、 と決めて、そこから離れないようにがんばって自分を磨くのはしんどくないのかな? と思うんです。 自分らしさ、という枠を作ってしまうと、自分を苦しめてしまうんじゃないかな。 「これが自分だ」とアピールするんじゃなくて 頑張ってきたもの、積み重ねてきたものが自分になっていたい。 着ぐるみを着た自分が好かれることを分かっていても 作り上げようと建築するんじゃなくて わたしは創造物でありた
優しい人でいたい。 ねたみやひがみを見たり 何か言ってやろうとする人をみて みじめだなと思う。 心の中では腹がたっても 自分以外の人に左右されて考えすぎる そんな暇がない日々にしたい。 優しい人でいたいよ。 そしたらわたしのもとにブーメランで帰ってくる 喜ぶことを探して助けてあげたいし 力になりたい。 相手が嫌な人であっても。 自分が、好きでやってる自分でいたい。 もしかしたら周りの人が わたしよりうまく行くかもしれない それは嬉しいよ。 私がその先に行くために立てた旗
「それで、その野心はどこへ?」 そういう気持ちを、たまには棚卸しして、磨いてもう一回脳みそに戻す。そういうことをしないと、腐っていくんだよ。埃を被せていてはダメだよ。
私、いつも、0点だし100点。 めちゃ落ち込んだりするけど 同時にすごい良い話があったりして。 いつもいつも0点の気持ちと100点の気持ち ネガティブなわけではなく、 客観的に見てうまくいっている事と、 うまくいっていない事が同時にある。 最低だと感じているときは最高だと感じることがあって 最高なときは最低なことがある。 最低だなと感じることは、「これは良くない」を教えてくれているので、 このままにならないようにと考えることができる。 だから落ち込むってことはないです。