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記事を書くことと、その中で表現される自分の話。

今回の記事は、もしかしたら嫌な印象を抱く方がいらっしゃるかもしれません。あらかじめ謝っておきます。ごめんなさい。

ちょっと偉そうなことを書きます。ただ、あくまで私自身の考えなので、どなたか特定の方とか、何らかの思想、目的、ノウハウ自体を否定するものではありません。

結論は「下手くそでもいいから、書きたいなら自分の好きなように書けば良くね?」です。

こちらをご理解いただいたうえで、お読みいただければと思います。


1.色んな記事がある。

note では、色んな方が、色んな記事を書かれている。

それらを読んでいると、純粋に出来事とその捉え方が面白かったり、心に沁みたり、「へぇ、そういうモノ(コト、方法)があるんだ」と勉強になったり、文章力が凄まじくて圧倒されたり、と色々な刺激を受ける。心がホッコリしたり、「よーし元気出たぞ」とやる気になったり、言わば「良い刺激」だ。

けれど、中には、そうではないものもある。

言葉はすごく悪いけれど、「ふーん」と思ったりするだけのものや、タイトルだけ見て本文を読むこともしなかったり、読んでも1行か2行くらいで「なんか違う」と思って読むのをやめてしまったり、あるいはそういう状態に気付いていてもフォローしているから仕方なく「読んだこと」にしてしまったり。

端的に言うと、自身の「刺激」に値するものではなかった記事たちだ。ものすごく失礼な言い方をすれば「つまんない」記事だ。

かく言う私が普段書いている記事も、読む人たちの評価としては、この後者の印象になることが多いだろう。100人に聞いたら99人が「つまらない」と言う記事を、私は毎回量産している。残りの1人は、多分話を聞いてなくて適当に回答した人に違いない。

私の記事を読んだ感想としては、そのほとんどが「だから何」とか「へー」とか「長いからよく分からんけど読んだことにしとこう」とかを占めているだろう。実際、この今回の記事のタイトルも意味不明だ。「記事を書くことと、その中で表現される自分の話」って何だ。抽象的すぎるし、読者の読みたい意欲を誘う姿勢が微塵も感じられない。

つまり、それは「つまんない」記事ということになる。

これ自体は、読む側としては何ともしにくい。一度「つまんない」と思ったら、恐らく後は消化試合だ。

興味なければ即スルーする人も居れば、読解力のある人であれば要所だけササっと読んで終わりにする人も居るだろう。読みにくくて長ったらしいけれど、なんとか全部読もうとする人もいるかもしれない。もしかしたら、良くない傾向になると「コイツ嫌いだなぁ…」という悪い感情が沸々と浮き上がって、悲しいことにアンチになる人も居るかもしれない。

いずれにせよ、そういう記事は、私のものに限らず、たくさんあるし、誰もがそのことを知っているはずだ。すべての文章に対して全く同じ熱量で触れることができる人は、恐らく居ないだろう。

2.自分の記事が「つまらない」場合。

じゃあ、自分の書いている記事がその後者の「つまんない」ものだったとして。

そういう事実を認めたうえで、書く側として取りうるアクションはどんなものがあるだろうか。

まずは「読者の人を増やしたいから、もっと読んでくれるような工夫をしよう」というものがある。

これはもう本当に多くの方が、ありがたいことにほとんどが無料でそのような方法というかノウハウを、惜しみなく紹介してくださっている。

たとえば、アンテナを敏感にして日常のちょっとした気付きを拾うようにしたり、読者にとってより有用な情報にするために詳しい調査をしてみたりとか、記事自体のクオリティを上げようとする。

あるいは、記事の質というよりも、読者の観点で「読みやすい」を心がけた記事に仕上げていくという方法もあるだろう。

たとえば、文章の書き方に気を付けたり、使う言葉とか、句読点とか、改行とか、リッチテキストを随所に施してみたりとか。記事のジャンルを分けて、読者のターゲットを絞って、よりダイレクトにより深く、読む人の心に突き刺さるように記事を構成するのもいい。

その結果、読者の方が増えて、自分の好きな記事を読む人も増えて、ファンも増える可能性も高くなるだろう。(また、リテラシーの向上という意味で、読みやすい文章を書く人が増えれば、コミュニティ全体の文章力というものが上がって何か別の副次的な良い効果があったりするかもしれない。しかしそれは今回の記事の範疇でないので割愛する)

これは、大変有意義で素晴らしいものだと思う。当然、収益化を目的にしている人にとっては、「読んでくださる人が居ること、その方が増えていくこと」ということ自体が、記事を書く目的と重なるからだ。

それ自体は何も否定する余地など無い。

3.「つまらない」としても。

ただその一方で。

そのような対応策の有用性とか、努力のベクトルやその姿勢とか、最終的に生み出される成果は素晴らしいものだと考えている半面、私は、そうではないアクションをとりたくなる。というか、どうしてもとってしまう。

それは何かというと、「分かった、分かったよ。自分の記事がつまらなくて、読んでくれる人が少ない原因は分かったんだけど、それでもいいよ」というものだ。正直、私はこのように思ってしまう。

諦めと思われても構わない。自己満足じゃんと思われても仕方がない。しかし、自分が書きたいことはこれだし、こういう風な書き方をしたいのだ、ということだ。下手くそだろうと読みにくかろうと、とにかく書きたい。抱えきれない思いをぶちまけたいのだ。

本当に自分勝手かもしれなくて申し訳ないが、「もっと読んでくれ!」という姿勢ではない。正直、読みたくなければ読まなくても構わない。だってつまらないから。私は書きたいから書いているけれど、他の人がそれを読んだとしても面白い保証など何処にも無いからだ。

それは言わば、裸の王様。別に美味しくないくせに、ラーメン屋の頑固者店主が「うちのラーメン食いたくねえやつは出ていけ」と言っているのに近いかもしれない。

だとしても、好きに書いて、何にも振り回されずに、誰にも惑わされずに、心の赴くままに書いていたい。もちろん、人を傷つけることはしないつもりだけれど、少なくとも、自分の心が感じたままに頭が働いたままに、そこから紡ぎ出された言葉を、新鮮なうちに、残しておきたいのだ。

上で挙げた「つまんないな」と思われてしまうような記事を書く人たちが、どのような意図で、どのような思いでそれを書いたかは、私には与り知るところではない。

けれど、一つ言えることは、たとえ100人が、いや1000人が「つまんねーなこの記事」と思ったとしても、その記事を書きたくて書いている人が居るという事実と、仮にその記事を読んで少しでも心が響く人が居るのかもしれないという可能性を考えると、誰もその記事を否定することなんてできないと思うのだ。

もっと言ってしまえば、誰が何と言おうと、その時に書きたいと思ったら素直に書けばいいし、それを他人がとやかく言ったところでその気持ちを否定される筋合いなんてものは無いということだ。

下手だろうと読みにくかろうと、評価されていなかろうと、もうそれ自体で、書いて表現したことそれ自体で、何かしら少なくとも一つ以上の意義はあるのだ。それがどんな意義なのかは、私も知らない。書いた人の心には、必ず一つは、世界が開かれるきっかけになるはずなのだ。

それゆえ、一つ一つの記事そのものに、最初から優劣なんて無い。

4.記事を書く目的について。

何故このようなことを唐突に書いたか。

それは、なんだか「読者が多い」「スキが多い」「フォロワーが多い」という記事が、そういう記事を書く人そのものが、「価値が高い」というような捉えられ方がされているような風潮を感じたからだ。それは私の思い過ごしだったり、考えすぎだったりするかもしれない。

他人目線の評価というか、そういう他人評価至上主義みたいなものだ。少なくとも私は、最近の note でそれを感じて少し息苦しく思うことがあるのだ。

「たくさんの人が読んで絶賛してくれる文章を書くこと、そしてそのような文章を書ける人」=「正義」みたいな。

もちろん、他の人が褒めたり、「すごいね」と言ってくれることは、それはそれで価値は高いだろう。偉いことだし、素晴らしいことだ。

だが、それが全てではない。少なくとも私はそう思う。

何のために書くの?」ということをもう一度見つめ直した時、もうちょっと過ごしやすい世界になるのかな、と思うのだ。本当にその文章は、誰かに読んでもらうためというのがスタートにあるの?

もし何か、思いを表現したい人が居たとして、その際にふと「こんなことを書いたらおかしいかな」「文章下手だから、みんな読んでくれないかな」「自信が無いから書くのやめとこうかな」とか思って考え直して、編集画面の×ボタンを押して終了させてしまうのは、なんかちょっと勿体ないと思ってしまう。せっかく、その思いがあるのに。

表現したい欲求が、自分以外の見ず知らずの大多数の人たち(もしかしたらそれは空想上の人間かもしれない)から発せられる「へたくそな文章書いてんじゃねえよ」とか「もっと上手く書かないと恥ずかしいよ」といったような同調圧力に負けてしまって、小さく萎んでしまうのは悲しく思う。勝手に正義に負けたような気がしてしまう。

だから敢えて、私は今日も率先して、ワケの分からない、独り善がりの、誰の役にも立たない、中途半端な、オチも特に無い、そんなつまらない記事を書くのだ

だって、こういうことを好きに書きたいから。こんなふうに思ったということを素直に、そして自由に表現したいから。

上手に書けるに越したことはないと思うが、それなら当たり障りのないコンテンツを、ネットに転がっている表現を丸パクリして、誰もが賞賛するような綺麗な文章を書いていればいい。

でも私はそうできない。それは、少なくとも私にとっての「正義」ではない。誰かに見せるためじゃなく、自分のために書いているから。書きたくて書いているからだ。

5.私の書く記事について。

そもそも、私の書く記事は、主に日常にあった出来事やそこで感じたこと、考えたことをベースに、長々と取り留めもないことを綴っていく。

オチや結論なんてものも無いことも多いし、中途半端な深度で掘り下げた内容だ。趣味らしい趣味もないし、行動範囲も広くない、社交的でもないから、結局は「育児」か「仕事」か「趣味」とかそのくらいのカテゴリしかないのだが、それでもカテゴライズは敢えてしない。

私という人自身も、どこの誰で、どこに住んでいて、今まで何をしてきて今は何をやっている人なのか、ということも詳しく書かない。プロフィールにも最低限のことしか書かない。全ては記事の中で触れるだけだ。記事の中で、必要であれば職業や家族構成も明かす。

その理由は、この記事一つ一つを、可能な限り「一話完結」にしたいからだ。もちろん話の内容としては、続編とかアンサー的な記事もあるけれど、出来る限り、初めて読んでも付いていけるようにしたい。「えーっと、コイツどんなやつなんだっけ・・」というアイデンティティを引き継ぎたくないのだ。

そして、私にとっての記事とは、すなわち、思考の瞬間冷凍だ。ちょっとカッコつけた言い方をしてみたが、要するに、その時その時思ったことを、ありのままに述べているだけなのだ(書くことによってその整理をしている側面もあったりするが)。

その時に瞬間的にそのものだけを保存したものなので、余計な関連情報や前提条件は含めたくない。基本的には記録、が目的なのだ。それ自体で完結するものにしたい。醜くもがいている様を、出来る限りありのまま保存する。

だから、そこにレトリックを入れる余裕もないし、申し訳ないが、読んでくださる人のことを考えたものでもない。とにかく、このおっさんから生み出された考えを、記事として新鮮なうちに残しておくだけだ。

6.混沌とした世界に生きる自分。

いきなりミーハーな話になるが、私は最近この歌を好んでよく聴く。

Habit」ーSEKAI NO OWARI

何が良い、って、歌詞だ。

つまり それは そんなシンプルじゃない
もっと曖昧で 繊細で 不明瞭なナニカ
(中略)
俺たちはもっと曖昧で
複雑で不明瞭なナニカ

特にこの部分が良い。「不明瞭なナニカ」が二回も出てくる。

もちろん、シンプルに生きることはすごく大事なことだし、私自身、成果物として、そういう仕事を意識して日々過ごしていることは事実だ。

だけれども、この生きている様というのは、やっぱり色んなこともあるし、どうしようもなくムカつくこともあるし、「よし明日からやってみよう」と意気込んでもやっぱり全然できない弱さもあるし、汚かったり、こっそりズルしてみちゃったり、人に言えないような恥ずかしかったりすることだらけなのだ。きっちり理路整然としていたり、ハッピーエンドだったり、シンプルだったり、綺麗に収まっていたり、日常はそういうことばかりじゃない。

だから、私はいつも記事では、ゴチャゴチャなことを書き殴る。子育ての話かと思いきや、仕事の話につなげてみたり。良い話だけじゃなくて、心の中のドロッとした黒い感情を記してみたり。

言わば、混沌としている世界だ

だって自分は、そういう世界に生きているのだから。目に見えてはっきり分類・分断された綺麗な世界じゃない。つまりそれは「不明瞭」ものなのだ。そこで、思考の断面を切り出す作業は、やっぱりそのままの状態を保持しておきたいと思ってしまう。

そういうわけで、申し訳ないけれど、多分私は少なくともこの note においては、今後も読者の方を意識した読みやすい記事は書かないと思うし、好きなことを好きなように、自由に書いていこうと思う。

上でも書いたけれど、もし自分の文章に自信が無いと思っている方は、こんな奴も居るのだと知ってほしい。見てよ、この長ったらしい文章を。きっと誰も読まないでしょう。こんなの。でも書くんだ。あくまで自分のために。

そんなおっさんの自己満足物語を「仕方ないから読んでやるよ」という特異な方がいらっしゃれば、是非今後ともお付き合いいただければと思う。

余談

何だか、物申すような書きぶりになってしまいました。。偉そうな書き方にもなってしまったので、余計に印象が悪いかもしれない。

とはいえ、上でも書いた通り、読者の方を増やす目的自体を否定するものではないし、良い文章を書くこと、そしてそう努力することに決して反対しているわけではなくて、あくまで私が自己満足で書いているだけということなので、悪く思わないで頂ければと思います・・。

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