アイツが成績優秀だった理由から生の深淵がのぞく
ビチクソ感想文:『夢を叶えるために脳はある』(池谷裕二 著・講談社)
高校時代、いつも授業中に居眠りしているのに成績がクラスでトップ3のやつがいた。気持ちよさそうに寝ているのに、テストになるとむちゃくちゃ点数がよい。わざとじゃなくてホントに寝てる。塾に通っているわけでもないらしく、当時はまったく意味不明で、ある日勇気を出して「なんで授業中寝てるのに成績がいいんだい?」とたずねたら、恥ずかしそうに笑みをうかべて「部活で疲れて寝ちゃって大変なんだよ~」という。ますます意味がわからない。だが、本書『夢を叶えるために脳はある』を読んで、長年の謎が解けた気がした。
本書を読んでつくづく思ったが、学習というのは不可思議なプロセスで、人間の浅知恵でアレコレ決めつけてしまうと反対に脳の可能性を狭めてしまうのかもしれない。どういうことか。
わたしたちは各々なけなしの知識と経験をもって「これがベスト!」という学習方法を実践しているが、さまざまな研究によれば、「ベスト」と居直った時点でラクをしていることになるらしい。感覚はアテにならない。ベストに酔いしれてしまって、本当に効果的な学習が阻害されてしまうようなのだ。本書で紹介されていた、人工知能の機械学習でも成果が検証された3つの学習法(困難学習、地形学習、交互学習)を一言でまとめると「ラクをしないことが最大の学びにつながる」だろう。あるいはもっとちがう言い方をすると「わからない気持ち悪さをキープしながら勉学に励め」である。
おそらく授業中に寝ていたアイツはしっかり寝ることで、学習する上で最もたいせつな「わからない気持ち悪さをキープする胆力」が生まれていたのである。「大変なんだよ~」は嘘じゃない。「大変なんだよ~」こそ、学習がうまくいっている証だったのだ。
著者いわく「わかる」とか「理解する」はじつは罠らしい。「群盲象を評す」というおなじみの話を紹介しながら、著者は人間の認知的な限界について言及する。「わかる」「理解する」はいってみれば錯覚に過ぎず、実態として本当にわかっているのかはかなりあやしいという。―― うむ、まぁそうなんでしょうねぇ…とは思いつつ、「わかりたい」から勉強してるんじゃなかったっけ?と、授業中マジメに起きていた人間からすれば言いたくなってしまう。
どうやらここに学習の妙味がある。いや生きることの妙味といってもいいのかもしれない。つまり、わかってしまうと成長が止まってしまう。わかりたいのに、わかってしまうと終わってしまう。でもちょっとまってくれ。べつに終わってもよくない?という気持ちもある。だって疲れない? いったん休憩しない? だから「わかる」はどちらかというと区切る行為に近いのだろう。そこでいったんナニカが収まる。ほっとひと息つく。考えてみれば「わかる」は癒やしや許しという感覚におどろくほど近い。それでいいじゃん、にんげんだもの。
だが、勉強という旅路のなかでは、「わかる」という感覚は一瞬あらわれるオアシスの蜃気楼のようなもので、ほっとひと息つくにはいいかもしれないが、旅の目的地ではないらしい。わからないまま進んでいく歩みそのものが学習の本道なのだ。「理解」に終わりはない。「理解」は理解を置いてけぼりにする。わからないまま進むのが正解。そうなると、じつは「学習」という営みは極めて動的で生命的な活動の一種なのだとわかる。―― いやわかってしまってはダメなのだが!!(ややこしい)
そんな流れから、著者の「下手こそものの楽しけれ」という名言が飛び出す。楽しいという感覚も学習効果を高めるのだそうだ。この言葉はもちろん「好きこそものの上手なれ」を踏まえている。だが著者は「上手」に至るまでのプロセスも大事だという。なんてステキなことばだろう。
そして、かの有名なダニング=クルーガー効果のおどろくべき注釈がなされる。ダニング=クルーガー効果といえば「自信満々なやつほど物事をよくわかってなくて、自信がない人ほど物事をよく理解しているよね~」という身も蓋もない内容で、どちらかというと人びとに冷水をあびせる理論として人口に膾炙している。―― と少なくともわたしは思っていたのだが、著者いわく論文の眼目はそこになく、じつは「よく知らないほうが自信をもって学習に励むことができて実際に成長していく」ことを主張しているのだという。なんてことだ! 逆じゃん! 下手こそものの楽しけれ~!
わからない気持ち悪さを抱えつつ(大変なんだよ~)、下手くそに楽しみながら、自信満々に前に進んでいく。すると結果的にいろいろできるようになっている。信じられないことだが本当らしい。そういえば人工知能に「理解」はないという話で、彼ら彼女らには「わからない気持ち悪さ」など存在しない。だから余計なためらいなどまったくないまま、どんどん学習できてしまうのだろう。まぁそのかわり納得や癒やしなどには縁がなさそうだが(あるのかしら? 人工知能もカウンセリングに通う時代が来るのかしら?)。
いったい「わかる」ってなんだろう。ある有名な素粒子物理学者がYoutubeで語っていたことを思い出す。量子力学の不可解さについての何気ないひと言だった。本書を読んだ今、また異なる角度から、この言葉のすごみを感じている。
「わからなくていいんです。慣れです。理解とは慣れのことです」
さて、ここまで読んでくれた方は「な~んだ、流行りの学習法を紹介する本か」と誤解を受けるかもしれない。ちがう、そうじゃない。帯に著者自身が「問題作」と書いている通り、全体的になんだかすごい本なのだ(なんじゃそりゃ)。本書は高校生たちへの講義をまとめた人気シリーズ三部作の最終作ということで、科学や人間に関する話題の豊富さが、読む者の想像力や好奇心を無限に刺激する超絶おもしろ講義録となっている。
科学哲学的な議論に踏み込みながら、人工知能のしくみを具体的に説明し、かと思ったら、エントロピーの話に飛んで、散逸構造という概念を紹介しながら生命の意味を解き明かす(!)。くわしくは説明しないが、本書ではなんと宇宙に生命が存在する理由があきらかにされている。これぞセンス・オブ・ワンダー。まさに縦横無尽な語り口。いくつものおどろきに満ちている。学習は一つの話題にすぎない。
こんな講義を高校生の頃に受けてしまったら、その後の人生がどうにかなってしまいそうだ。――と思っていたら、本書のさいごに著者の研究室の門をくぐった、同シリーズに参加した元高校生たちが紹介されていて胸が熱くなった。
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あらためて「わかる」ってなんだろう。このビチクソ感想文もたぶんナニカをわかろうとする営みなんだろう。だって、わたしは今まさに「わかった」気になっている。おどろくべきことに、これからどうすればいいかも「わかっている」
ひと休みしたら、もんどり打って、再びめくるめく未知なる冒険に踏み出せばいいのだ
「下手こそものの楽しけれ」なんだから
オススメです。