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今よりマシになるために 『親切人間論』(水野しず)読了後の変化について


今よりマシになれる超親切な本


突然ですが、自分のことを「あ、ヤバいかも」と思ったことないですか?

ここでのヤバいはそのまま悪い意味での「やばい」です。まずいなって焦りや不安。

「このままだとやばくね?」
「俺って(私って)大丈夫なのかな」


1ミリでも心当たりのある人は、どうか最後まで読んでほしいです。

もしくは『親切人間論』(水野しず/講談社)というタイトルだけでも覚えてほしい。警察は110、消防救急は119、読書するなら親切人間論、そのぐらい当然の感覚で。

自分のヤバさに気付き、少しでもマシになりたい人にとって、この本は110や119を覚えておくのに負けない救いになるはず。


今の僕に少なからず一定のまともさのようなものがあり、人にもそんな印象を与えられるとすれば、それはおそらく水野しずという人のおかげである。

これまでも彼女が発する言葉や文章には度々感銘を受けてきたが、今年の初春に発売された新刊『親切人間論』を読み終えて確信に変わった。

ヤバいの自覚があり、その状態から脱したい人はぜひ読んでみてほしい。

なぜって、

誰も直接は指摘してくれない、でもほんとうは気付いたほうがずっと生きやすくなる「気付き」を得られるから。

少なくとも読了した僕はそうだった。

いわば水野しず視点のアドオン。あるいは水野しずマインドの獲得も期待できる。


ただ読み流すだけでは大きな変化は生まないかもしれない。

それでも1ミリ程度でも、なにか自分のなかに変化を生む可能性のある、波紋を起こす期待のある作品に触れる経験は非常に大切だと思う。

最初は1ミリ程度だったとしても、後になって何百倍にもなって影響を及ぼす。

そんなバタフライエフェクト的な波及は、読書に限らずとも文化芸術には往々に秘められているが、目に見える商品(例えば家電とかファッションアイテム)よりも、読書はインスタントに効果が見えづらいだけで、本来最も手軽な部類のはず。

「個人的には、この世の値段がついている商品の中で『本は最も内容の価値に対して価格が安く異常にお得』と思っています」

水野しずは本書でそう綴っている。

どうせみんなヤバいから



勝手に前提を置くと、たぶん、あなたの現状は何かしらヤバい。

「別にヤバくない」と言い切れるならいいけれど、なんのヤバさも感じずに生きられる人は超鈍感か世間知らずなだけで、すでにヤバさに喰われて浸食されたゾンビ状態かも。

ヤバさをすべて無くすのは不可能だとしても、せめてゾンビ化までは避けたい。ゾンビって思考停止して腐敗してるくせに人間見たら迷わず襲ってくるじゃないすか。あらためて迷惑で厄介な存在ですよ。

そうなる手前でどうにか今の人生をマシにできるんならそれに越したことはないよね。

「人間ってヤバイですよ。ヤバくなくなるのは無理ですよ。各々のヤバさを自覚してどうすればヤバさがありつつ他人の心を殺さないか丁寧に一つ一つ検証してどこにも答えはないけど少しでもマシなところに最前に一ミリでも近いところを目指して考え続けるしかない」
『親切人間論』p74より


なにを隠そう、僕だってヤバい。
深刻さは自分で捉えているのと他人が客観的に見たときでは大きな乖離が出るとは思うが、見方によってはいくらでもヤバい。

(以下の部分は読み飛ばしOK)

まず体力がなくて疲れやすい。上半身は汗っかきで、足は末端冷え症で自律神経がイカれている。気圧の変化に弱い。性欲はあるのにそれに見合う精力がない。物事を衝動的に投げ出したくなったり、一度そう思うと見切りの付け方が尋常じゃなかったり。人間関係に対して必要以上に潔癖で、少しでも心の醜さを感じ取ると秒速で距離を取る。他人の悪意や思惑にも敏感で、相手が気付くより先に対処できる分、分かりづらい消耗の仕方をする。かといって指摘や主張を積極的にするでもなく、基本は穏和に自己抑圧する平和主義者なので結果的にストレスを抱えやすい。コミュニケーションが要求される環境に他人と長い時間いるとキャッチする情報量が多すぎてパンクする。大人数の飲み会なんて行くと希死念慮を抱く。繊細なくせに変なところで正義感や頑固さが出て、「肉を切らせて骨を断つ」のような無傷でない結果を生みやすい。また自分が絶対に超えられたくない一線を超えてきた相手には容赦がなくなり、きちんと根に持ちつつ次回以降に対応できる論理や法的根拠を探す。それが徒労に終わって自己嫌悪になる。内面は複雑に波立っていても表情には出ないタイプなので外見は薄情にも映る。承認欲求や羞恥心も人並みにあるため振り切ったことができず中途半端。猫背で視力が悪い。

(ここまで読み飛ばしOK)



目を離した隙に増長する不安や焦り、漠然としながらも確かに匂いたつその"ヤバさ"は、本書との出合いで幾分マシになった。


これを読むあなたも
現状"ヤバい"と仮定して、これ以上ヤバくならないようにするには一体どうしたらいいのか。

おそらくこの先だれも面と向かって言ってくれることも教えてくれることもない、自分の中に巣食うヤバさ。そこに気付き、少しでもマシになるための手がかり、まともな視点や思考の拡張。

『親切人間論』はそれを助けてくれる。

(情報商材や新興宗教の勧誘っぽかったら単なる僕の力不足。ちなみに最近観た映画『波紋』では新興宗教に傾倒していく信者の主婦が「緑名水」という水を売りつけられていました)


とはいえ、この本にも水野しずにそもそも辿り着けない人もいるはずなので、なんとかこんな影響力の乏しい僕からでもルートを作ることができたらと、一人でも興味を抱かせることができたら大成功!
そう思い立ってこのnoteを書きはじめた。

それに著者本人が訴求する魅力と、読者の立場から伝えたい魅力は必ずしも合致しない。
「読むべき」と根拠にしたい部分や理由は異なってもおかしくない。むしろ普通。

同じ『ONE PIECE』でも作者の尾田栄一郎が「いよいよ最終章!これからあらゆる謎が明らかになっていくんで楽しみに待っていてください!」といっても、

読者Aは「伏線回収がすごすぎる!途中までしか読んでいなかった人もまた読み返すと絶対発見があって楽しめる!」といった言い方をするかもしれない。

あるいは読者Bなら「最近の新規女性キャラクターが全部イケてる。ウタのデザインも大好き」
そんな魅力を根拠に薦めるかもしれない。

なので書き手や他の読者のリコメンドとは相対的には比較できない。こんな僕の感想でも無駄ではないと信じている。

Wi-Fiぐらい必要


複雑に変化を続けるこの時代をサバイブするためのWi-Fiのようなライフラインが、片手におさまるたった1冊の本に集約されている。今はWi-Fiないと不便で困るし、Wi-Fiあること前提で物事を進めるケースはあるよね。

自分がボーッと生きていた間もめちゃくちゃ真摯にあらゆるものに向き合って考え続けてくれた人が、わかりやすく親切に文章化してくれてヤバさ回避のヒントをまとめてくれている。

こんなありがたいことなくない?

読者は王様ですか殿様ですか?

とにかくとっても贅沢!

内省を繰り返し、変わり映えしない人間関係のなかで変わり映えしないテーマを話し続けていても天井は知れている。限界がある。埒が明かない。

だから、この本にヒントをもらったほうが早い。

そもそも『親切人間論』とは

水野しず待望の初論考集。
noteで連載中の内容を軸に新たに再構成、書き下ろしも加えられ、既存の読者には嬉しく、初めての読者には易しい一冊。漠然と生きるだけでは見落としてしまう、仮に気付けたとしても言語化の難しいアレコレを、丁寧かつ明快にしてくれる。
目から鱗の考え方や視点、彼女らしいムードを存分に味わうことができ、かのエンタメモンスター・佐久間宣行(テレビ東京『あちこちオードリー』などを出掛けるプロデューサー)も「すこぶる笑えるすごい哲学書」と絶賛している。

佐久間さんによる帯文


また、装丁は業界でその名を知らぬ者はいない名ブックデザイナー・祖父江慎が手掛け、彼をして「こんな本は見たことがない」と唯一無二の本であると太鼓判を押し、「手ごたえが強くあった一冊」と振り返っている。

冷笑系の論考が苦手な人、小難しい哲学書は普段なら手に取らない人にも超オススメな熱笑系論考集。何より「新説」で「真説」で「親切」な人間論である。

その著者、水野しずとは

イラストレーター/POP 思想家
岐阜県出身。武蔵野美術大学造形学部映像学科中退。note で連載中の『おしゃべりダイダロス』は一見すると難易度高めのテーマを丁寧に嚙み砕いてわかりやすくコラムにしており、読みやすくて面白いと評判。論考のほか、イラストレーションや短歌でも独自の表現を追求している。雑誌『imaginary』の編集長。

ヤバい自分に危機感を持て


やたらと煩雑で視座の構えづらい時代だ。

疫病も戦争もまだまだ終わってないし、発展途上国みたいな事件が連日起きている。
闇バイト?
暴走族や教師に反抗するヤンキーなんてまだかわいいもんだったね。

同時にAIや半導体のおかげで便利にもなった。でもその便利さは、なぜだか心の豊かさや日常の安定に繋がっていない。

人類の歴史から見れば(主語でけー)、過去最高の情報量を持っていて効率的な動きができるはずなのに、なんだかどうにも生きづらさが拭えない。

選べるようになったようで選びきれていない。選んでいたようで、誰かに選ばされていただけじゃないか。
そんな疑義も生じる。

知ってることは増えたはずなのに、同じぐらい巧妙なフェイクも悪質な印象操作も増えた。

もしくは検索だけで満足して、情報が目に入った時点で思考停止して、自分なりに解釈を加えて知識や教養としてアウトプットするまで至らない。


そこで冒頭の問いに戻る。

思ったことないですか?

「このままだとやばくね?」
「俺って(私って)大丈夫なのかな」と。



つまり、危機感があるかどうか。

端的に漫画で教えてくれるのが『幽遊白書』の以下場面における戸愚呂弟のセリフ。
(そういえばNetflix実写化の続報出てこないね)

「おまえもしかしてまだ、自分が死なないとでも思ってるんじゃないかね?」

講談社の本の紹介に集英社のマンガでごめん



力を得るために人間から妖怪に転生した戸愚呂は続ける。

「元人間のオレの経験から見て、今のおまえに足りないものがある」

「危機感だ」



日本人は他の民族に比べて当事者意識が希薄なのでは?と思うことがしばしばある。

平成に入ってからは少なくとも。

基本的にデモやストライキをしない。するほどの圧政にも環境にもいない。
局地的に起こったとしてもそれが珍しくてニュースになるか、ろくにニュースでも扱われないほどに影響力を持たない。投票率も低いし。
少なくとも僕の周囲にはそれらに主体的な人間もいなかった。

日本に住む台湾人の友人が身近に多くいるが、彼らは高い危機意識と政治的関心を絶やさない。
来年の1月には台湾の総統選があるが、コロナ前の総統選でも彼らは何よりも優先して台湾に帰って自分たちの1票を投じていた。

危機感や当事者意識の希薄さは、僕個人では政治的なこと以外でもそうだった。

阪神淡路大震災も3.11も、「たまたまそのとき住んでいたのが東京だった」だけで、僕は直接的な壊滅的被害を受けなかった。

それはそれで本当に恵まれた感謝すべき奇跡だったが、同時に何か大きな苦難に対していつもどこか当事者意識が抜けていた。
身に迫る危機に対して他人事で、リアリティが乏しいのだ。


きっと戦争でも災害でも事件でも事故でも、当事者にさえならなければOK。限界ぎりぎりまで対岸の火事だという態度を崩さず傍観しがち。

「平和ボケ」って言葉は良い意味でも使われるが、別に国とか戦争とかデカい話にしたいわけじゃない。

個々の日常がどんどん味気なく、見栄えだけ先行して中身がスカスカになっている。

SNSで毎日身近な誰かの生活を追えているのに、それが当たり前になるとさして感動も感心も覚えない。まるで外国で起きた事件の見出しを眺め、軽くスクロールしたらスワイプで流してしまう程度の感覚。そしてそんな軽はずみな意識で誰かの人生を鈍感に扱ってしまう。

平和ボケよりも適切な言葉で言い換えるなら
「生きることをナメすぎている」。

現実逃避しながら言い訳と正当化だけ上手になっているというか。思考停止の知ったかぶりのクソ野郎というか。


だから、うっすら自覚があると思うんです。

「このままだと私はやばい。
でも、どうしたら」
と。

なぜヤバさは放置されるのか


でもそこまでは脳裏をかすめても、そこから何をどうしたらいいのか分からない。

日々に忙殺され、回想する時間も感想を持つ余裕すらもない。

社会では、仕事じゃなくサボり方を覚えただけ。
痛みに強くなったのではなく、ただ鈍感になっただけだった。

今さらなにか意識を変えても努力をしてもどうせ上手くいかないしメンタル病むし疲れるし時間ないし金もないし酒飲みたいしセックスしたいしYouTube見たいし。

時代は多様性だし、色んな生き方や働き方があるし、まあ昔より少し異端でも大目に見てもらえるでしょ
そもそもコロナやウクライナの状況見てたら自分じゃどうにもできないことがあるんだなって気付いたんで、もうこのまま寿命とやらまで誤魔化しながら可能なかぎりラクしてワンチャン狙いながらラッキー期待してぼんやり生きていっていいですか?
人生のモード「天下り」に切り替えてもいいっすか?


心当たりないですか?
僕にはあるけど。


だから自分に都合のいい情報だけをキャッチしてシェアして安心している。

実力も運もなくて自分が選べなかったものを「あえて選ばなかっただけ」と記憶を捏造し、得られなかったものは「そもそも欲しくなかったもの」に呼び名を上書きして。

LINEもSNSも好きな人や支持できる人だけをフォローしてるから情報は自分に優しく、広告もニュースも自分用にカスタマイズされたものだけ浴びているから誤差に気づかない。

タイパを重視するあまり、速読や倍速再生に躍起になっている。
結局上っ面だけ知った気になってるから謙虚でもなくて、同じ人とだけ何度も会ってるから価値観も錆びて年だけ重ねている。


それでいいのか?

少なくとも僕はうっすらと、でも確実にずっと心の奥底に苦味を抱えていた。

ヤバさに気付いた僕は


なんとなくヤバいとは気付いていたけど、見て見ぬふりにも罪悪感を抱かなくなっていた。
きちんと振り返ることも見つめ直すことも、それをふまえて整える動きもしていなかった。

僕は昨年末から今年の初めにかけて、体調とメンタルをぶっ壊した。
幸か不幸かそれは結果的に少し立ち止まる時間をくれた。同時に初めて異質の危機感を抱かせた。

この先これをまた繰り返すにはもう若くもない。エネルギーもない。かといって諦めて惰性に身を捧げるにもまだ人生は長そうだ。経済的にも抜群に豊かでもない。

どうにかしたい。

体調やメンタルの回復とともに冷静になっていき、考えを整理できた。

多少強引にでも、立ち止まる時間を作ることは大切である。しっかり休まず眠れていない人間は他人に優しくなれず、考えもネガティブに転びやすい。

僕は考え方や価値観、要は頭だけで完結するところ以外のフィジカルや習慣から徹底的に変えてみようと思った。


生きるペースを少し落とし、休む時間も作り、人のために親切にした。頭と心を整理した。映画やテレビに真摯に触れて感想を綴った。知らない街を歩き、珈琲を飲み、本を読んだ。写真を撮った。台湾に行った。語学や法律の学びも進めた。好きな人たちに会いに行った。継続させていたら、視界が広く明るくなってきた。


立ち止まる時間を恐れず、次に習慣から変えていく。

その矢先、ちょうど手に取れたのが『親切人間論』だった。

邂逅と発見


水野しずの既刊本は読んでいたし、noteの購読もしていて、ある程度一度は頭に入っていたはずなのに、今回は論考の展開が、前頭葉だけでなく全身の隅々にまで染み渡る感じがした。

ずっと建付けが悪くガタガタと音だけして開かなかった引き戸が一気に開けたみたいな。

これまでのすべてに合点がいき、外殻に中身が入ったような感覚を覚えた。


まず、ヤバい自分に開き直るのはダサすぎる。

他責にして一度きりの人生を終わらせるのはもったいない。

というか本当はまだまだ人生全然納得してない!!!


そしたらなんだか自分に腹が立ってきて。
それまでのやってるようでやっていない自分が情けなくて。しんどいときに手を差し伸べてくれた人たちにも顔向けができないなと。

小手先だけ器用になって充分おとなになったと満足するかりそめの自分にうんざりしたのだ。

毎日を不毛に消費せず、惰性で終わらせず、納得感を持って締めくくれるようにしたい。
目に見えて成長したいし、自覚も追い付かないほど人間性を高めたい。

人から「変わった?」と言われて初めて「そうか、自分は変わってきたのか」と実感したい。


そのためにはこんなふうに殊勝な決意や宣言で終わらず、手や足も動かさないとダメだなと。浮き彫りになる結果にも目を背けず何かしら意味を持つものにできるよう行動しないと。

水野しずの言葉を借りるなら「こちらから楽しさを見出す・やりにいく姿勢が必要」だ。
自分からやりにいかないで旨味をただ待っている状況は「お客さまのスタンスだから」

綺麗事でもなんでもいい。
自分に対する危機感を少しでも和らげることができ、「やばくね?」の影を薄める納得感を手にしたい。「やばい」の自覚が足りてない人がいるなら、その人のために何かを施したい。


自分の好きや尊敬、憧れに注力して"自分で"やりにいく。

さして良好な影響を生まない、何ならむしろ雑味や苦味にすらなり得るものに対してサービス精神を割かない。というかそんな余裕ないはず、最初から。
無駄に身を削らない。

僕はわりとバランスを取ったり一歩引いたりしてしまうことで結果的に割を食い、誰かの傲慢の下敷きになる経験もしてきたのでその点は改め直したい。

自分の本音よりその場に期待される言葉を見つけ、それをそつなく優先する癖もあったので、これも場面次第で良かれ悪かれだなと。

必要以上に自分をいい人に見せようと我を抑えすぎても、最終的にそれはストレスとなってどこかに出てくるし、最悪のケースは身近な誰かを傷つけることになる。

一方で、バランス感覚によって円滑なコミュニケーションができ、仕事の面では大いに役立つこともあったので、社会性を失わない程度には保持したい。これまでの加減がちょっと極端だった。

(水野しず全解決book2より)

「他人への期待が発生したらそれを即こちらからやる。待たない。やってほしいことをまずこちらからやる。こちらからやると、同じことを返してくれる人もいる」

僕も返報性の原理を信じている。
本気でなにか感想を綴るのも、出来れば関わり合った人やモノを肯定したいのも、自分がそうされたいからだろう。

だから僕が試みたこと


前述の考えをふまえて僕が試みたことを書く。

まず基盤として、シンプルなポリシーを決めた。なるべく簡単に覚えられて忘れづらく反芻しやすいテーマがいい。

これも水野しずの言葉の中から頂戴した。

大前提にしたためる基盤を「姿勢、態度、精神性」とした。

この3つは、水野しずが「服が高見えする人はなぜそう見えるのか?」の問いに返したものだった。

①姿勢

僕は生粋の「猫背」だったので姿勢から変えたいと思った。スタンスではなく、フィジカルのほう。少年期から何度も両親に注意されてきたし、自分でも意識を変えようとしたけど難しかった。

じゃあせめて変えられるところからと。

・食事中
・外を歩いているとき


この2点の最中は絶対に姿勢を綺麗に保とうと。
意識しやすい場面であると同時に意外と他人が見ているシチュエーション。

「猫背やばい」とか「姿勢を正さなきゃ」と思っただけでは脳がナメてるので、(猫背なんてそもそもネーミングから可愛すぎて誰も本気で改善しようとしない)
「坐骨神経痛の一歩手前だやばい」「常に乳首に一番先にゴールテープを切らせるイメージで」とか、意識の捉え方を刺激的かつ身近なものに変換した。

するとけっこう思い出せるようになった。
要するにおまじないだ。

猫背を改善すると当然ながらメリットも多い

・胸板が厚く見える。スタイルが良く見える。
・上品な人や誠実そうな人に見える
・服が似合う。お値段以上ニトリに見られることもあり
・隙がないように見える


要するに他人からナメられづらくなる。
なんなら好感を持たれやすくなる。やったぜ!

②態度(ものごとへの真摯さ)

僕は自分の好きな人や好印象を覚えやすい人に、ひとつの共通点を見つけた

それは「真摯な人」であった。

真面目で誠実。


大人になるにつれ真面目な人って素敵だなとつくづく思う。ありがたい存在だなって。
そこにちょっとシャイな部分もあれば最高。

だから僕も基本真面目であろうと(そもそもが真面目と言われがちだが)、人が何か伝えたいようとするならきちんと話を聞こう。

態度からそれが伝わるように接しよう。
聞いたら自分なりの解釈を伝えて熱心になろうと。お世話になってる人や好きな人相手なら尚更。

Twitterやnoteではけっこうバラエティ番組やドラマに対してマジな感想を長々と綴ってしまうのだが、どうしても「ウケる」よりもまず「マジ・マジメ」が先行してしまう。

それで切れ味が鈍ることも自覚しているが、自分にとってはそれがマジなだけで。てか意外とそういう人って多くないから、自分だけはこれからもそうしていこうと。

③精神性

水野しずの「生きるとはすべてがバレること」という考え方はかなり染み込んでいて、生きていると何度もそんな場面に出くわす。


バレてるな~この人。
バレバレだろ!
みたいなシチュエーションって多くない?

テレビ越しに芸能人からもそれを感じることがあるし、もちろん日常生活でも。

芸能人ならSNSで積極的に愛妻家アピールしている人とか(アルピーの平子さんは芸風でもあるからかそんな嫌悪感がない)、育児してます言動に張り切りすぎて前のめりすぎる人とか。
愛妻家アピールとイクメンアピールは似てる。


日常でいえば、近所に秋田犬(詳しい犬種は分からないが、珍しくてモフモフしたかわいい犬)をよく散歩しているおじさんがいて。

おじさんは犬を若い女の子が溜まる駅前広場にわざわざ連れてくる。そこで目撃する頻度が多かったのだ。で、よくよく考えると僕がすれ違う道も大学生の通学路で、女子大生なんかも多いなと気付いたとき急に「おじさん、バレてきてないか?」と穿った見方をしてしまったんだよね。

これは僕の偏見かもしれないし、単におじさんは淋しかっただけなのかもしれない。

それほど本音や思惑は人にバレやすい。

思ってないことを言っているのも、目的と目先の言動が一致せず違和感として表出していることも、もっともっとバレの自覚をしたほうがいい

で、そういった違和感に敏感に気付く人ほど素敵で気遣いのできる人の可能性も高い。無自覚のまま上っ面だけの立ち振る舞いを続けていると、何も言わずに距離をとられ、その人はいずれ去ってしまう。

僕は「出くわす人すべて古畑任三郎だと思って臨む」スタンスでなんとか悪手をとらないようにしている。

常に自分が踵を返したその後には古畑任三郎がこんな表情で立ってるイメージ。


なので、バレることを前提にしつつも、窮屈でない精神性をきちんと保つこと。


実体験と執行回数、習慣化


まとまった文章は読むのが得意でない人は、まずは解決bookを購入するのもオススメだ。


水野しず全解決bookとは?

水野しずがInstagramでフォロワーからの質問に答えた内容をまとめた本。ネットショップや物販で買える。超読みやすい上に芯を食って腑に落ちまくる

以下、参考列



これは僕の解釈に過ぎないが、いわば「実体験」して「執行回数」重ねて「習慣化」すること。

そして自己認識の歪みを矯正していって謙虚な態度で親切に生きること。

するとちょっとは変わってくる=生きやすくなる

だってそんな人が誰かにとって広く疎ましい存在なわけがないから。むしろ好ましい。

なるべく当事者になれば頭も身体も使わざるを得ないので、実害の出ない程度に当事者になっていこうと。「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きているんだ!」ってやつ。

その実利は自分が一番実感しているので、それだけでもう成長だし、水野しずには感謝。



からだが変わってくるとファッションをもっと楽しめるようになる。
そういえば一番ファッションに全力だった大学生の頃は、髪をアッシュにしたり眉毛全剃りしたり真っ赤なPコート着たりピンクの携帯持ったりしていたし、毎週通ったライブハウスにも鋲ベルト+黒スキニー+タイトなバンドTにドクターマーチンだった。なんかすごく楽しんでた。


最近はデザインやアートにも興味が強い。


とにかく最近は会えるときに会いたい人に会いに行くをテーマにしている。

今年は松本まりか登壇イベントにも大森靖子のライブにも行った。まだこれからのライブのチケットもすでに何本か取ったし、今月は下北沢に舞台も観に行く。あらゆる展覧会にも向かう。  

本人にも会いに行った


当然、水野しず本人にも会いに行った。それも今年だけですでに4回(もちろんイベントね)

①『親切人間論』発売記念!水野しず×祖父江慎の親切なトーク(渋谷ロフト)


ブックデザイナーの祖父江さんは、名前こそ目にしたことがあったものの、実人物がどんな方なのかはまるで知らなかったので、この日初めて観たときは新鮮な驚きとギャップがあった。

もっと「重鎮!」「威厳!」「職人!」が前面に出ている人かと想像していたら、全然真逆。見た目も喋りも雰囲気も超ファンキー。
いや重鎮で職人で威厳を出すに値すべき人なのは間違いないのに、本人にさらさらその気がない。柔和で軽くて気さくなめちゃくちゃ素敵な人。

『親切人間論』の編集を担当した上田智子さんも物腰柔らかで、おそらくこの方は誰に対してもこうで、一緒に仕事をする人は安心感を持つだろうなという善人オーラがにじみ出ていた。
(上田さんはイマジナリーでもしずさんと仕事してたんですね。今頃になって気付いた)


※ちなみにこのときのトーク内容はあまりに素晴らしくて感動に打ち震えた。質問タイムもあったのに衝撃で頭がまわらなかった。たった1500円でいい内容ではなかった。僕はその後アーカイブ動画も購入して自分のためだけに琴線に触れた部分はすべて文字に起こした。これに関してはちょっとこの後にも言及したい。

②親切人間論ミニトーク&サイン会(紀伊国屋書店新宿本店)


③文学フリマ東京(東京流通センター)


④お洋服フリマ(原宿)


本物のプロがする仕事とは


先述の水野しずと祖父江慎によるトークイベントについて、僕は本物のプロによる仕事とはこれほどまでに真摯なのかと衝撃を受け、そして1冊の本が世に出てくるまでの尊さにも感銘を受けた。

トークでは『親切人間論』が出来上がるまでの過程や貴重な内幕が語られていた。

その中で、とある見出しの文章が長すぎて、ちょっと内部(版元とか印刷会社とか?)で綱の引き合いがあったというエピソードが出た。

水野しずは譲らず、祖父江さんと編集担当の上田さんも、当然のように彼女に寄り添ったそう。

祖父江
「レイアウトというのは何かと言うとですね、器の中に内容を、りんごを持っていたとして。その日持ってきた袋がちょっと小さくて入らないから、切ってここだけ買ってという。でもほんとは全部あるみたいな。うまくいかないことが色々出てくるときに。先にレイトアウトがあって、中に入れるやつを加工してはいけない。まず中に入れるのが優先で、それに合う袋を先に持ってくればいいだけじゃん。特に大事にしないといけないところは、うまくいかないところなんですよ。つまり、短い見出しにはできないと」

水野しず
「文句を言われれば言われるほど長くなるから。そういうシステム」

祖父江
「長くなってしまわざるを得ないところは、文章のとても大事なところだから。短くしないで、これは絶対長くていい。それで入れてみたらとても面白いページになり、まさにしずさんらしいページに出来上がったのでこいつはラッキーでした。面白いね。こんなに色々あったのはなかなかないね。一番手応えが強くあったねこの本は」

水野しず
「かなり手を尽くしてくれたんだなっていうのが伝わりますよね。すごく読んでいて、なんかものすごく心で読んでいるんだなみたいな。伝わってくるんですよね、それが。すごく楽しんでノリノリで読んでくれているんだなっていうのが」


祖父江さんはこうも話していた。

「困れば困るほど楽しんじゃうんです」

「これ(『親切人間論』)は、本を作るぐらいの気持ちで読んでもらうと、理解がどんどん入ってきます」


祖父江さんや上田さんの仕事ぶりに彼女は心底ありったけの感謝を示す態度で以下のように語った。

水野しず
「仕事でしか触れられない人の誠意の領域ってあるじゃないですか。だからそういう、なんかそういう仕事がしていただけたんだなっていう。
それはほんとに嬉しくて、なんか感動とかでもなくて、生きててよかったなぁって言う感じですね。ちゃんと理解しようとしてくれる人もいるんだとか。ウケる~とかじゃなくて、どういうことなのかな?って思ってくれる人はちゃんといるんだなって。なんか実感できたのが嬉しかったですね。でもそれは説明する必要無いですよ。だって見たらわかる話だから」


現地にも行っていただけあって、このやりとりを文字だけでも見返すと、当日の空気が鮮明に立ち上がってきて何度読み返してもゾクゾクする。何回でも新鮮にグッとくる。

『親切人間論』と距離が縮まった


本を読み、イベントで直接トークを聴き、質問もでき、ラジオやインタビュー記事にも目を通して、豪の部屋を見て、そしてまた本を読んで。

その時間は僕にとって筋肉が目に見えてつくような筋トレに他ならず、それでいて苦痛や負荷もかからない経験だった。

だんだんと彼女がこれまで著書やSNS、noteに綴っていた本質に近づけた気がした。ようやく言わんとしていたことの片鱗が掴めた実感を得た。

直接会った水野しずの印象は


会ったといえるほど対話や認知もないので、「直接見たことがある」レベルに過ぎないが、これまでのコンタクトシーンと印象を記したい。

・初めては新宿眼科画廊



おそらくこれが初めて本人に会ったとき。それこそ会ったとは言えないほど絡みはゼロで、僕はただポストカードだけを買って帰った。

・中野の個展



本人は不在だった。
でも、いた。

これはこれでこれが真実だなと思った




・下北沢でラッキー遭遇&サインもらう

「noteいつも読んでます」と初めて生で伝えられた。雑誌やグッズを買ったら「サインしましょうか?」と向こうから言ってくれたのがすごく嬉しかった。

オーラはあるけど、めちゃくちゃ気さくで優しい。何よりもおしゃれでかっこよかった。

さらにそのとき接客対応してくれたのがなんとねむきゅん(!)だったのも後から気付いてこれまた衝撃だった(いや、やけに背が高くて可愛らしい店員さんだとは思ったんですよ)。でんぱ組のライブも行ったことあるのに…




そして今年4度に及ぶイベントに繋がる

影響と栄養は似ている


僕は水野しずに間違いなく影響を受けている。

本人に「あなたに公言されても…とりあえず告訴します」とか言われたら返す言葉もないんだけど。でも確実に影響はある。

影響と栄養は似ている。

享受・摂取すればするほどその人の持つ視点や考え方に近付ける(あくまで距離が縮まるだけ)
そもそも「影響を受ける」ことに自発的な要素や選択権が生じているのかよく分からないが、僕は影響を受けるのが彼女で心から良かったと思っている。我ながらよくやったなと。見る目あるわ、マジでセンスあるよと讃えたい。

例えば、
矢沢永吉と長渕剛。
椎名林檎とaiko。


どちらかに影響を受けるかで絶対に服装から言葉のチョイスから雰囲気から違うじゃん。

『親切人間論』内の「自分のことを矢沢永吉だと思い込んでいる人々」もオススメです。

水野しすが語る"演繹"とは


『親切人間論』でも最終ブロックに位置する"演繹"というテーマについて、彼女はトークイベントの中で以下のように語っていた。

驚愕なのはこれその場で即興的にトークしていた内容で、別に吟味して書かれた文章ではないんだよ。

すごすぎない?
驚くよ。
どれだけ誠実に言語化も文章化もできるのよっていう。

「一人一人が川の流れみたいな時間を持っていて、その中でほんとに今って時間を共有しているって、皆さん認識していますけど、全然そんな事はなくて、なんか一瞬交錯することしかできないですよね。

時間の流れ方は全然違うから。
でもその時間の流れ方の違いを利用することで、いろんな時間の流れ方があるんですよ。個人だけじゃなくて、なにか1つの文化の中にも時間の流れがあったりとか、遅い時間とか早い時間とか、それぞれあったりするんですけど。

そこをいろいろ交差していくと、ちょっと別の時間の流れの話が書けたりすると思うんですよね。

それで今、この本のテーマが、今自分たちがどういう社会の中に生きているかわからないとか、フレームをしたって来週の自分の事ならイメージできるけど、果たして3年後の自分とか5年後の自分とか全然見えないのに、でも長期的なスパンでモノを見ていかなきゃいけない。
そんなの無理でしょっていう。めちゃくちゃ困っているんじゃないか。これが実はみんなが1番困っているんじゃないか。インフレとかよりも。インフレも困るけど。

その困りを埋めるために、今流行っている映画とかを見ると、今週の私としてのフレーム、そういう短いフレームをつなぎ合わせるような苦しい、すぐ窒息しそうな生き方しかできない問題があって。

で、それを解決する方法が演繹だと思っていて。

それはさっきも言ったように、違う時間軸の流れみたいなものを交差していったところに、一瞬だけ出会えるので、人と。そこで見たものを自分の時間に回収していくと、未来に対して遡っていくような形で現在を語ることができるんですね。

そういう方法で、自分たちの生き方のフレームの問題を解決することができるよっていう。

抽象的だけど2文字にすると演繹。

(だから)サブテキストとして入れた。
別に伝わらなくてもいい。
伝わってても広がらなかったら意味がないと思うので」

読むとわかると思うが、僕が冒頭で下手くそにまわりくどく綴っていたことも完全にかくも美しい言葉で、適切に表現されている。

また、祖父江さんとのトークイベントで現場でも印象的でアーカイブを見直しても微笑ましく映ったのは、以下のやり取り。


祖父江「似てるよね。本(『親切人間論』)としずさんが」

祖父江さんからこう言われた彼女はすごく嬉しそうな、でも照れくさいような見たことのない素敵な表情を浮かべた。

そしてこう返していた。

水野しず「なんかすごい落ち着くの。不思議だよね。ピシッとしているのに気さくだから。そこはすごい自分ぽい。変な圧がない。意外と開くとフランク、優しい感じ。とっつきやすいな、意外と。そういう感じは凄いなって思いました」

親切ブームへの加担


彼女はイベントの最後、来場者やオンラインでリアルタイム視聴していたファン、読者に向けてこんなメッセージを送った。

「これは願い。せっかく本が出たので。親切のブームよ来い。親切がブームになればいいかなっていう。いい人とか善人とかの意味が、すごく歪んできちゃってそれがすごく嫌なんだよね。ほんとに。もっとシンプルでいいし単純でいいしすごく簡単なの。何にも難しく考えることない。ほんとに手触りで親切にしてやろうかって。ちょっとコンビニでガム落ちてたの拾って元に戻しておくとかでいい。流行ってほしいですね、親切が。そういう気持ちだけ」

生で聞いて、そのあと本も繰り返し読み返して、強く思った。

これは誰かが加担しないといけない。いけないっていうか、僕は進んでしたい。

そうなってほしいから。
親切な人増えてほしいもん。心から。
そのほうがいいに決まってるから。

ブームも文化も、1人の力だけでは生まれない。刀は1本より2本も3本もあったほうがいいでしょ。

祖父江さんや上田さんがプロの仕事を誠実に尽くして、水野しずという著者の手元からも放たれてこの世に産まれた『親切人間論』。
版元や書店員さんも仕事をした。

じゃあ読者としての本気は僕が担おうと思った。


テレビ番組や映画を観てもスタンスは変わらないけど、本当に豊かなものを観させてもらって、そこに真剣に作った人たちがいるんなら、こっちも真剣に見て真摯に感想を発信しようと。

でもこれは僕の勝手な思い。
本はもっと気さくな内容だし、手に取りやすいのでご安心を。

自分のなかで、それだけ強く突き動かされる1冊だったと言いたい。

これは人生で初めて使う表現になるが

「これが僕のバイブル!」

(アナザースカイ的なエンディングに乗せて)


今よりマシに、
今よりマジに、なれるように。





以上、長々と取り留めのない文章を最後までお読みいただきありがとうございました。

まだなんかハードルが高い人は目次だけでもAmazonで閲覧できます。かなり興味深い目次が並んでるのが分かると思う。

本の購入前にもう少し彼女を知ってみたい人はnoteからでも。無料部分を読むだけでも気付きはあると思う。
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※文脈によって登場人物に敬称を付けたり付けなかったりしてます。

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ふぬけ
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