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備忘録:イリヤ・メチニコフの英訳論文集の随所に残された博士の注釈について

19世紀に活躍した、ロシアの生物学者イリヤ・メチニコフの英訳論文集が、2000年に” THE EVOLUTIONARY BIOLOGY PAPERS OF ELIE METCHNIKOFF”という題で出版されていることを知ったのは、この本の編集に携わった3名の科学者の中に、ドナルド・ウィリアムソン博士がいることを知ったためである。

メチニコフ自身は要請の起源と進化に直接言及してはいなかったが、博士の幼生転移仮説に基づいたコメントが随所に見つけられた。全体的には、博士の考えを強引にねじ込んでいる印象が拭えなかったが、支持者として取り上げみたいと思う。


① 本文p.22「最初から最後までの発生経路は、疑わしい生物の系統的位置を決めるヒントを与えてくれる」に対し、

博士は「発生様式は異なるグループから転移されうるという異端の考えを博士は唱えている」と注釈で述べている。


この「疑わしい生物」とはMyzostomum(スイクチムシ:環形動物門吸口虫網)であり、これが吸虫網とも節足動物門ともとれる当時の状況が、取り上げた本文の前に書かれている。


② 本文p.28「これらの種は関連したグループに属し、そのため、胚発生の比較研究は的を射ている」に対し、

博士は「これらの幼生は互いに似ているが、後から加わったものと考えている。成体のSacculina(フクロムシ属)は甲殻類ではなく、幼生個体が蔓脚類に似ているのだ」と注釈で述べている。


「これらの」とは前述のSacculinaのほか、Balanos(フジツボ属)およびCyclops(キプロプス属)の3者になり、最初の二つは蔓脚類だがCyclopsはカイアシ類の位置付けになる。



③ 同じく本文p.28「これらの甲殻類の卵から生まれた幼生は同じ特徴を持つ円錐形の形をし、三対の肢で運動し、最初の一対の肢は成体の触角になり、最後の一対の肢は成体の下顎になる」に対し、

博士は「ノープリウスの肢は成体の甲殻類の肢に対応する、という想像には反対する。甲殻類のいくつかのグループの祖先は、Nauplioida(非甲殻類の節足動物のグループ)の仲間との交雑でノープリウス幼生を獲得したと考える」と注釈で述べている。



④ 本文p.32にて「Paludina(軟体動物の属の一つ)およびTardigrada(緩歩動物)は、卵黄を生産しないが、腸の空洞に後から発生する割腔を生み出す」に対し、

博士は「胎生の腹足類は後口動物として発生し(原口が肛門になる)、腸体腔を形成する。しかし、その他の既知の軟体動物は前口動物として発生し(原口が口になる)、裂体腔を形成する。この発生の違いは胚の転移の一例である」と注釈で述べている。


Paludinaについては、古生物学上でのみ認識されている属になる模様で、外観に関する知見を個人的に見つけ出すことはできなかった。また、博士の考えでは、引用文献として”1992, op. cit. n. 3. P.26”とあるが、本文にこの文献名がどこにも見当たらなかった。名著”Larvae and Evolution”は同年に出版されているが、p.26は白紙である。胚レベルの転移が明記されるのは、私が知る限り、2003年出版の”The Origins of Larvae”である。


⑤ 本文p.88「ダーウィンは胚発生の類似性を共通の起源を示すものとする考えを復活させている」に対し、

博士は「胚および幼生の遺伝要素は転移可能としている」と注釈で述べている。


⑥ 本文p.90「後生動物の原腸胚が似ているのは、①起源が似ているため、または、②相互作用の役目を担う、類似した器官であるため、という二つの考えがあるが、ヘッケルは後者を採用している。この仮説を調べるには、全ての腸動物(後生動物)でお互いの原腸胚が似ていることを示さなければならない」に対し、

博士は「様々な原腸胚は、胞胚期から様々な後生動物のグループへの変態の時期に相当する」と注釈で述べている。


⑦ 本文p.97「放射相称・二放射相称のデザインが腔腸動物の基本的であるため、Cunoctacanthaの左右相称の遊泳幼生を一次幼生(primary larvae)と考えるのは難しい」に対し、

博士は「このケースを系統の離れた左右相称動物の分類群からの幼生転移とみなしている」と注釈で述べている。


Cunoctacanthaがいかなる種であるか、具体的な情報を見つけることはできなかったが、本文中より腔腸動物の一種と思われる。


⑧ 本文p.165「Aequoridae(オワンクラゲ科)のヒドロ虫の発生を研究すれば、大部分野仲間はGeryonidaeに属し、その他はThaumantidaeに属し、これら以外はEucopidaeに属することがわかるだろう」に対し、

博士は「クラゲ状体とヒドロ虫は同じ生活環の一部として進化したのではなく、元々は別々のグループに属し、複数回の交雑の結果、一つの生活環の一部になったと考える」と注釈で述べている。


現代では、Geryonidaeはオウエンコウガニ科、Eucopidaeはフクロエビのユーコピア科になるが、本文の流れと矛盾するので、この解釈は正しくない。Thaumantidaeについては具体的な情報を見つけ出すことができなかった。しかし、いずれも、本文の流れより、腔腸動物のヒドロ虫の一種なのだろうと推測する。


⑨ 本文p.210「幼生から成体のヒトデに変わる時に、ヒトデの器官では速い変化が争い野結果起こる。そして、幼生とは似ても似つかない成体が生まれる」に対し、

博士は「食細胞に消化された幼生の細胞は成長する稚体にとって代わり、幼生の細胞は稚体の細胞へと変わることはない。器官も同じである。しかし、Luidia sarsiでは、泳いでいる幼生と回転する稚体が3ヶ月もの間共存し、そして、分離する」と注釈で述べている。


本文中の「争い」は食作用を意味する。文全体としては、変態による体の作り替えの生命現象が記述されている。例外のLuisida sarsiは、博士の仮説を支える重要なヒトデである。


⑩ 本文p.211「オタマジャクシの尾は鰓と同じく退縮して消失するが、肢・肺・その他の器官はこの妨げなく発生し続ける」に対し、

博士は「幼生転移の見方では、稚体のカエルの食細胞は健康なカエルの細胞を攻撃しないが、エイリアンであるオタマジャクシの細胞を攻撃する。このことは、オタマジャクシが元は他の種より得たものということを意味する」と注釈で述べている。


変態現象を幼生転移仮説の根拠の一つとする、博士の考えが展開されている。


博士の考えをどうしても注釈を使って加えたかったことは伝わるが、博士が編集に加わった背景、そして、自説を注釈にねじ込まなければいけなかった背景を、英訳の本文中からは見出すことは叶わなかった。とはいえ、新たな博士の軌跡に遭遇できたことは、一つの大きな喜びである。



使用文献

THE EVOLUTIONARY BIOLOGY PAPERS OF ELIE METCHNIKOFF Helena Gourko他編 Springer Science 2000年

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