私の病気と、今思うこと。
長くなるけれど、今似たようなことで悩んでいる方々と、自分の備忘録のために少し勇気を出して記そうと思う。
2023年の11月、私は躁うつ病(双極性障害)と診断された。
きっかけは、2022年の11月末。結婚式を挙げて、人生一番最高と思えるくらい幸せな一日で、感情が高まったのと、仕事が大変で(やりがいがあって楽しさも感じていた仕事だったのだけれど、とにかく色々重なった)結婚式が終わった安堵で糸がぷつんと切れたようになって、意識が朦朧として、そのまま入院して5日ほど記憶喪失になった(この時は急性一過性精神病性障害と診断された)。障害福祉の仕事をしていたのだけれど、自分が当事者になるとは思っていなくて、正直驚いた。
この時は、夫、両親、弟夫婦、義実家、友人に本当に本当に心配をかけたし、沢山支えてもらった。自分はこんなに周りに大切にされてるんだって実感したし、私も大切にしたいって思った。入院している間もずっと皆のことを考えていて、ごはんをちゃんと食べているかなって心配していた。そうやって、自分のことより人のことを思える自分のことが嬉しくも感じていた。
そうやって一ヶ月の入院を終えた後、三ヶ月弱休職して、職場復帰した。上司の配慮により、部署は今までより負荷のないところにしてもらった。休職期間中は暇で暇で仕方がなくて、とにかく早く働きたい!と思っていたのだけれど、いざ働き出してから、どんどん自分の気持ちが下に下にいくのを感じ始めた。職場環境はとても良くて、周囲は優しくて配慮してくれていたのだけど、今まで楽しいと思えていたことがちっとも楽しくなくなって、お料理が好きだったのに全然出来なくなって夫に任せきりになって、休日は最低限の買い物に行く以外ほぼ寝たきり状態になった。友人に誘われてなんとか出かけて行っても、何を話せばいいのか分からなくて、自分から話題提供出来ることなんてなくて虚しくなって、会わない方が迷惑をかけないんじゃないかって思って、せっかくのお誘いを断ることもあった。所謂うつ状態になったのだ。本当に辛くて、でもそんな時でも夫はいつでも味方でいてくれて、仕事で忙しいのにお家のことも色々してくれて、私が好きなお花をしょっちゅう買ってきてくれて、旅行に連れ出してくれて、とにかく優しかった。それでも辛い自分がいて、やりきれなかった。
なんとかこの状況を打破したくて、職場復帰から約半年後の2023年9月に私は転職した。同じような職種で、何とか変われればと思った。周囲は優しかったけれど、だけど辛いままなのは変わらなくて、同年10月末に限界がきた。休職して、2024年2月末に私は会社を辞めるという選択をした。夫は私の選択を全て肯定してくれた。
入院していた時は実家の近くの病院で、主治医も看護師さんもとても優しかったのだけど、都内の家に戻るにあたって転院した先の主治医と相性が悪かったことも、うつ状態が続いた原因の一つだと思っている。ドライで淡々とした先生で、初めから何となく合わないなと感じていて、色々信用ならないなと思うところもあって、何も相談する気になれなかった。待ち時間も長いし、仕事で疲れていて早く帰りたいし、診察時間を早く終わらせたくて診察時は基本「特に変わりはありません」で終わらせていた。
さらに通院同行が出来ない病院で、医療面談という形では夫が同席出来ると言われたのだけど、夫が事前に資料を送付したら(頑張って作ってくれた)、その内容がお気に召さなかったみたいで勝手に面談をキャンセルされた。あまりにひどいと思い、夫とも話して転院を決めた。その時たまたま前の入院先の主治医だった先生が都内の病院に移ったよと父親が教えてくれて、そちらに転院することに決めた。
元々知っている先生というのもあったし、しっかり話を聞いてくれて、薬のことも一緒に考えていきましょうというスタンスの先生で、凄く安心感を覚えた。薬を色々試して変えてみて、少しずつ改善していくのを感じた。
2024年1月くらいから少しずつ体調が回復し始めて、同年4月から今までなかったくらい元気になった。楽しいことが楽しいと思えるようになって、人と会うのも楽しくなって、お料理も出来るようになってきて、嬉しかった。夫との会話も、今までは必死に夫が話しかけてくれたのに一言二言だけ返すという感じだったけれど、話したいことが増えて、楽しくなった。躁うつ病では躁とうつを繰り返すと言われるけれど、私自身や夫の感覚でも主治医の見立てでも躁状態ではないとのことで、寛解しているように感じている。
ここまで本当に辛かった。でも、夫を始めとした周囲の支えがあって今良くなってきていることが凄く嬉しい。
今は専業主婦をしていて、好きなドラマを観たり、ゆったりお料理したり、音楽を聴きながらお散歩したり、timeleszのファンクラブに入ったり(元々嵐が好きなのだけど、よにのちゃんねるやニノさんの影響で菊池風磨くんのファンになった)、お気に入りの喫茶店を見つけて常連になったり(コーヒーの試飲会に参加したりコーヒー一年生という本を買ったりして、コーヒーに少し詳しくなっている)、東京競馬場に競馬を観に行ったり(院生の時場外馬券場でバイトしていたのもあって、少し詳しかった。夫も意外と興味を持ってくれて嬉しい)。最近は、5年前に取得したキャリアコンサルタントの更新研修を受けたり。英語を勉強し直そうかなと思ったり。余裕を持って生活を送れるようになった。
この先は、子どもがほしいし、子どもが出来たら専業主婦になりたいというのもあって、夫も無理せずそれがいいよと言ってくれていて、このまま専業主婦を続けていこうと思っている。子どもが大きくなったら、また無理のない範囲で自分に合ったお仕事が出来たらいいななんて考えている(それもあってキャリアコンサルタントの更新研修を受けている)。
だらだら続けて何が言いたいのか分からなくなってしまったけれど、ここまで読んでくれた方に私が伝えたいのは
・自分の味方だと思える人がいることは、本当にありがたいことだということ
・辛い時期があっても、きっと良くなる時期もあるのだということ
・通院先は大切だから、合わないなと感じている人には転院をお勧めしたいこと
です。
そして、何よりいつも側で支えてくれている夫への感謝をこれからもずっとずっと持ち続けていたい。
家族や友人、周囲を大切にしていきたい。
そう思ってつらつらと綴りました。
同じだったり同じような病気で辛い方と、未来の自分に読んでもらって、少しでも励みになりますように。そう祈っています。
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