横綱になるまでは
明治の名横綱と謳われた常陸山谷右衛門が引退して、出羽の海親方として後進を育てていた大正時代のお話です。
稽古を眺めていた常陸山がいきなり立ち上がりました。
動きの鈍い弟子の一人を捕まえると、傍らに転がっていたつっかえ棒で散々に打ち据えました。
「相撲取りが稽古を怠けてどうする! もうやめて田舎に帰っちまえ!」
まだ顔に幼さの残る弟子は、痣だらけになった身体を土俵に擦り付けて「それだけは 勘弁してください!」と謝りました。
何となく集中できず、稽古に身が入らなかったのは事実ですが、何故これほどまでに親方に怒られなければならないのか、訳が分かりませんでした。
勿論、帰るわけには行きません。
故郷の親兄弟や親戚・知人の期待を一身に背負って入門したのです。
番付に載らないまま帰郷する恥ずかしさに比べれば、どれほど殴られても部屋に置いてもらうほうがましでした。
次の日、弟子は親方の視線を気にしながら再び積稽古の土俵に上がりました。
前日のことを忘れてしまったかのように常陸山は無言です。
「怠ければ棒が飛んでくる・・・・・・ 田舎に帰らなければならなくなる」
そう思うと、自然と稽古に力が入りました。
やがてこの弟子が入幕を果たした時、彼は親方に呼ばれました。
「これを覚えているか」と言われて突きつけられたのは、あのとき殴られたつっかえ棒でした。
「お前を憎くて殴ったんじゃない。痛さと引きかえに、意地を思い出して欲しかったのさ」
「親方、お陰様で幕内に成れました・・・・・・」
弟子は思い出深いつっかえ棒を手に取ろうとしました。
ところが、親方はそれを遮って言いました。
「おう。だが、まだこいつを渡すわけにはいかねぇな。修業を怠ければ、またいつでも この棒が飛ぶってこった。お前がもう一息のところ出世するまで、こいつは儂が預かっておくぜ。そうさ。もう一息、もう一息だ ・・・・・・関脇、大関、横綱になるまでよ」
入幕という目標を達成すれば慢心し易くなります。
かつて殴ったことの真意を伝えるだけではなく、弟子を初心に立ち返らせ、より大きな目標を示すために親方はここでつっかえ棒を持ち出したのです。
常陸山は、このように指導者としても傑出した人物でした。
因みに、親方の厚情に胸を熱くしたこの弟子こそ、後に横綱となった常の花でした。