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『アリスとテレスのまぼろし工場』感想その4 「六罪(むつみ)」

「私の名前、どう書くか知ってる? 六つの罪と書いて、むつみ」
「もし母親だったら、娘をあんなとこに閉じ込めたりしない。何年も、何年も。苦しい思いをさせたりしない」
「でもあの人は、きっと優しい母親で......そして、消えた娘をずっと待ってる。五実が現実に戻る方法なんて、ありゃしないのにね」

佐上睦実について、今回は2つわけたうちの後半。彼女の罪悪感と贖罪感情についてを主に書きます。
(なお、小説版と重複する箇所もあれば異なる箇所もあるですが、今回はあくまで映画の感想として述べます。台詞も映画と小説版が違っている場合は、映画に準拠しました。)

※前回は彼女が自分を「嘘ばかりの狼少女」と言っていたことについて、現実世界との兼ね合いを彼女がどう感じていたかの推察を書いてます。

【注】なお、“六つの罪”について「七つの大罪」からの考察意見も見ますし、自分でも考えてみましたが、しっくり来きません。
しいて言えば、体臭が無い=代謝機能が無い=生物学的実体が無い=「肉欲」は無い?という意味なのかもと考えはしたのですが。
しかし今作は、キトスト教のモチーフが皆無に等しいと感じるのです。
睦実が自分を罪人(つみびと)とみなして、自分の名前と語呂合わせにした自虐だと抑えておけば良いのではないかと。




☆ 「近づき過ぎたら好きになってしまう」

前回で、正宗を沙希のもとへ案内した睦実は、もう限界に達しつつあったのではないかと書きました。
睦実が長い間、独りで抱え込み背負い続けて来たものはとても重いのです。

「自分たちは現実ではなく、その転写された幻影であること」
「正宗に恋をしていること」
「正宗も自分に好意を持っていること」
「しかしどうにもならないこと」
「現実世界の自分たちは結婚して娘がいること」
「その娘が現実世界から迷い込み、養父の指示で軟禁しながら世話をさせられていること」
「もとは母子家庭だったが母親は先に他界しており、今は養父からも放り出されて天涯孤独であること」

自分たちの居る世界が何であるか、自分たちの存在の真実を知り、それは秘匿しておかねばならなりませんでした。

沙希は、幻である自分には望んでも産みようのない子。
自分が正宗との間に産んだ子ではない、血は繋がっていない...そう自分に言い聞かせて来たのでしょう。
そうでもしないと罪悪感で押し潰されてしまう。

©️新見伏製鐵保存会

近づいてはダメだから極力、情も言葉も交わさずに来たようだし、睦実の回想シーンにも描かれていましたが、それは睦実の罪悪感ゆえの辛い想い出。
睦実の沙希への想いも同時に描かれていたように思います。

©️新見伏製鐵保存会

この状態で耐えて来たのですが、その心の支えになっていたのは、実は大きくなってゆく沙希の存在だったのではないか。
もちろんその姿は痛ましさを常に伴うはずだから、さらに良心の呵責にさいなまれることにもなったでしょうが。


☆誰か母を想わざる

そして墓参りをして来たらしき場面がチラッと描かれていたが、亡き母への想いもあったでしょう。睦実にとって、亡き母、そして墓石はどんなものであったでしょうか。

母は、幻の見伏が創られる前に他界した。その母の遺骨も、現実世界の側にあるわけです。
あくまで生前の母が産み落としたのは現実世界の睦実であって、ここに幻として存在している彼女は、その影絵でしかない。

墓も現実世界から転写されたものであって、その下に実体としての遺骨があるわけではあるまいとすら思えるのです(骨があっても、その骨もまた幻影だから)。

それでも、幻の自分には生きていた母の想い出が確かにある...
沙希への屈折した想いとは裏腹に、睦実の心を支え続けたのは、現実世界に死せる母だったとも思えるのです。
その亡き母に彼岸で再び出逢うことは叶わなくとも。

こうした状況を耐え抜くために、睦実は己の心を氷漬けにしたように見えます。幻の見伏は万年冬で、人々はその寒さも感じていなかったとありましたが、その冬景色は睦実の心象風景でもあったかと。

※補註:Xの相互フォロワーさんから、現実世界の菊入睦実を指して「あの人はきっと優しい母親で」と睦実が言ってるのは、亡き母がそうだったから、それを投影しているのでは?というご意見を頂きました。その発想はなかったのですが、素敵な意見で、かつあり得そうなのでご紹介しておきます。


☆退屈から逃げる遊び

©️新見伏製鐵保存会

睦実の罪悪感に、さらに追い打ちをかけたのが園部裕子の消滅であったことは言うまでもないかと。

今作は表情の描き方がとても豊かなのですが、上坐利トンネルでの肝試しの、睦実と裕子の「恋の鞘当て」は表情描写が実に巧みでした。
裕子が参加を口にすると、睦実も参加を表明する。
この時の裕子の嫌そうな顔、そして睦実の正宗への微笑。

また、見伏駅のホームから線路に降りる際に睦実は正宗に視線を送りますが、正宗は目をそらし睦実は複雑そうな顔をする。

©️新見伏製鐵保存会

睦実狙いの笹倉が、まず正宗と裕子のペアにすると裕子は嬉しそうにしますが、その背後で睦実は嫌そうな表情になる。この一連の表情変化、恋の鞘当ては見事です。
裕子の恋破れてハッと睦実を見やると、睦実は冷たい目線で睨み返す。耐え切れず裕子は飛び出して行き...

©️新見伏製鐵保存会

裕子が消滅した後で、集会所で養父の佐上衛が説明する言葉「心のヒビ割れ」「彼女の心には亀裂が入るようなことが」のひとつひとつに睦実はハッとしながら反応していました。

「退屈から逃げる遊び」

集会所をあとにした級友たちの後ろから沈痛な顔でトボトボとついていくだけの睦実には、次のような気持ちがあったはずです。

「私が彼女を消したようなものだ」

そもそも裕子をその気にさせてしまったのは、正宗に彼女を車で送るよう言った張本人は、睦実自身。
どうせ結ばれようもない自分と正宗だから、軽い気持ちで言ったのだと思うのですが。


☆決壊

その後日(翌日?)、睦実は見ることになります。
沙希に顔を舐められてウットリしてる(ように睦実には見えただろう)正宗を。

©️新見伏製鐵保存会

そこには女の嫉妬もあったろうし、現実世界の正宗の娘だという生理的嫌悪感もあったでしょう。
しかし自分同様にショックを受けているはずの正宗が、さっそく他の女に慰めの顔舐めを受け入れている...

さらに。自分が決して呼ぶことのできなかった“沙希”ではなく、正宗は早々と“いつみ”と名付けているではないか。

睦実「イツミって何?この子の名前⁉︎」
正宗「あぁそうだよ、お前より罪がひとつ少ないからイツミだ!」

正宗は沙希が名付けられもしないことを不憫にも感じていたのではないかと思われます。正宗からしたら、名も呼ばない睦実にそう責められるいわれはないわけで、カッとなって言い返したに過ぎません。“五実”とは第五高炉にちなんでいたのだから。

しかし投げ飛ばされた睦実は自分でも気づかないまま、ぼろぼろと泣き崩れていました。
その睦実の気持ちを簡潔に言語化できるようなものではないと思いますが、これまで溜め込んでいた様々な思いが堰を切ったのは想像に難くありません。

その中から敢えて言えば、沙希が罪人(つみびと)呼ばわりされたこと、それがひときわこたえたと思えるのです。
「この子には何の罪も無い、罪があるのは...」
そんな想いが我知らず大粒の涙となって溢れ出したように見えてなりません。

この後で正宗が“五実”を連れ出す際に、ついて来いと言われた睦実は素直についてゆく。追って来た衛と時宗に立ちはだかる。そしてすぐに“五実”という名を受け入れていました。

(※小説版では睦実が主導して正宗を誘い沙希を連れ出すのですが、睦実の心を思い浮かべると、この箇所は映画の方が良いように感じました。睦実が主導すると気持ちの切り替えが早過ぎる気がして。)

©️新見伏製鐵保存会

これ以降、睦実の顔付きが変わるんですよ。目を細めて冷ややかな笑みを浮かべることがなくなり、丸い目で描かれるようになる。そして“嘘”もつかなくなってゆく。

「前半のミステリアスさが後半なくなって、普通の女の子になっちゃった」という意見も目にしたことがあるのですが、ある意味、そうでもあろうかと。

それはおそらく男性の意見だと思いますが、男子が女子に感じるミステリアスさは(その女子が自己演出しているのでなければ)、男子の側が勝手に感じている性質のものですから。

睦実は好き好んでミステリアスに自己演出してたのではなく、いやおうなくそんな雰囲気にならざるを得なかったのだろうと私は感じています。


☆雪解け

睦実は、顔付きだけでなく態度にも大きな変化が表れるようになります。斜に構えた様子もなくなる。
ひとつは、養父の衛との決別。
それまで放り出されても従って来た睦実です。

ところが、あくまで“五実”を軟禁しようとする衛を時宗が制して集まっていた市民に呼びかけ、半狂乱になった衛にとどめを刺したのは睦実でした。

©️新見伏製鐵保存会

「いい加減にしなよ、おっさん。いくら幻だからって、少しは現実見な!」

幻の中にも現実はある...そういう言葉になるわけですが、これは睦実自身にも跳ね返ってくる言葉。
咄嗟に出たにせよ。

そして睦実の“五実”への接し方が、がらりと変わります。言葉遣いから表情から全てにおいて。

また、養父と決別した睦実は“五実”と一緒に、菊入家で同居して世話になるようになります(小説版ではこの事情について更に補完があります)。

振り返ってみれば、この菊入家での暮らしは幻の世界の睦実と正宗が沙希とひとつ屋根の下で暮らせた、ささやかなひとときでした。

©️新見伏製鐵保存会

劇はここから加速度的に進行を早めてゆきます。
菊入家で深夜に現実世界が見えて、正宗へ沙希の身の上や内心の吐露をする。
その後で、正宗から恋心を告白されることになる。
この場面で、屋根に積もっていた雪が落ちるのが印象的なのです。

そこで「卑怯」と言ったのは、女心の本音の一部には違いないのでしょう。その言葉はもっと早く聞きたかった、現実世界の睦実と正宗を知る前に聞きたかった…それはあるのだろうと。

しかし彼女が平静を保てたのはここまでであって「私は、好きじゃない」と拒むのが精一杯。
みるみる取り乱していく彼女は、自分の頬を平手で打ち額を拳で叩いて叫ぶ。

「だって正宗、馬鹿みたいなんだもん」
「私達は!現実とは違うのに!生きてないのに、意味ないのに!」
「生きてないから、臭くないの」
「生きてるのとは、関係ない」

睦実の抵抗はそこまででした。正宗のモヤモヤを吹っ切れさせ「生きているとはこういうことだ」と実感させたのが“五実”だと彼は言います。

しかし「自分も生きている」と思わせてくれたのはお前だと言う正宗の懸命な言葉を受けて、凍てついていた睦実の心は雪解けを迎えることになるのです。

©️新見伏製鐵保存会

その長いキスシーン、私は不思議とエロチシズムを感じませんでした。2人が唇と舌で懸命に、自分と相手の生の実存を確かめ合っているように観えて。

その背景では結界が大きく割れて、夏景色となって雪が雨に変わり、蝉時雨(せみしぐれ)となっていました。
※この“蝉”のモチーフについては“五実”こと沙希の記事で書きたいと思ってます。

☆母としてではなく…

“五実”は現実世界へと送り返されるのを、ひどく嫌がります。睦実は嫌がる“五実”を現実世界へ戻すべく正宗と行動をともにすることになります。正宗と睦実と一緒に「いたい」と。

やがて割れた空からドドンという大きな太鼓のような音がしたとき、睦実はいったん諦めかけます。

睦実「もう時間切れ、私たちと一緒にこの子も消える!」
正宗「消してたまるか、俺たちの娘だ!」
睦実「違うけど」

ここでもやはり、正宗と想いと行いとを共にしつつも、そこに異なるものもある。譲れぬ想いなのでしょう。
車が現実世界に突入してすぐは睦実も恐怖します。

「このままじゃ、私たち消えちゃう!」

やがて“五実”を現実世界の機関車に乗せるための、またとない好機となりますが、“五実”は強く拒み車から降りようとしない。

五実「いつみ、ここいる。まさむねとむつみといっしょにいる!」
睦実「ちゃんと、ムツミって言えるようになったんだ」

“五実”はそれまで「まさみね」「みつみ」としか発音できないでいました。だから睦実は手を取って言う。

「ムツミって言えるようになったんだ」
「一緒に居るよ、五実。一緒に行こう」

追い縋る正宗の手を振りほどいて睦実は去って行く。
睦実は嫌がる“五実”を最後まで一緒にいて送り届けて消える気だったと思うのです。

軟禁に加担していた罪悪感は極めて強かった。
園部のこともあったかもしれない。
この幻影世界がいずれ消えるのだとしたら、その前に消え行く自分にできることは罪滅ぼし。

©️新見伏製鐵保存会

正宗は睦実の挙動に驚き、だったらお前と一緒に消えてもいいという衝動が走る(ただし消えそうな手を見て改めて恐怖を感じてはいましたが)。
睦実は、愛する正宗を、自分の罪滅ぼしの巻き添えにしたくなかったのではないでしょうか。

“五実”を沙希に戻してやること。それが沙希の母であることを拒み続けた自分が、せめて最後にすべきことだと決意したのではないかと。


☆遺言

睦実を“五実”の母と観ての感想が多いようですよね。
もちろん、そうした見方もできるのでしょう。
ただ私には、どうしても睦実は母には見えないのです。

睦実が常に言ってるように、沙希は彼女の子ではありません。もし未来があるのであれば、同じように沙希が産まれることも全くあり得ないではないかもですが(同じ両親から生まれた兄弟姉妹の個体差を思えば、同じ沙希が生まれることはほぼあり得ないでしょうけど)。

「現実世界で私が消えてもね、幻の世界が終わる最後の瞬間にね、正宗が想い出すのは私だよ」
「私もきっとそう、終わる瞬間は正宗を想い出す」

睦実を沙希の母として観る意見にもいろいろありますが、その中でこれを睦実の「恋敵への“勝利宣言”だ」という見方には、さすがに共感できないかな。
女としての勝利宣言などではないはずなので。
私には、遺言に思えるんですよね。

睦実は“五実”へと、打ち上げ花火を見ながら淡々と、そして現実世界へと戻ったらできるであろうことを優しく説き続けます。

©️新見伏製鐵保存会


睦実は最後まで沙希を“五実”と呼び続けたのですが、最後の最後で、彼女に「あなた」と一度だけ言う。対等な相手としての言葉。

「いいなぁ、どれも私には手に入らないものだ。だからひとつだけ私に頂戴」
「未来は“あなた”のものよ。でも正宗の心は私のもの」

強く反発し「仲間外れ!」と抗議する“五実”を睦実は優しい眼差しで微笑み、言って聞かせました。

「いつもどんな瞬間も、五実を思ってる人たちが、トンネルの向こうで待ってる」

こう言われた“五実”は、その直後にあるきっかけで記憶が戻り沙希となります。沙希は、睦実をまぼろし世界に戻るよう「大嫌い、一緒に行かない」と言って抱きつく 。
睦実はそれまで現実世界で消えるつもりでしたが、それで気が変わります。

©️新見伏製鐵保存会

☆罪を祓う

今回は睦実の罪悪感についてが主なので、クライマックスのこの名シーンについてもその視点でだけ書きました。
詳しくは沙希の記事で書くつもりです。
幻の世界に戻ってからのフィナーレについても、ここではあれこれ具体的に書かなくていいでしょう。

ただし最後に。睦実の“罪”はどうなったろうか?
ここからは極めて個人的な解釈になるのですが、“祓われた”のだと観ました。

禊祓い(みそぎはらい)として一体化していますが、神道では、「禊(みそ)ぎ」と「祓(はら)い」は本来は別物だったという説もあるんですよ。
ケガレをみそぎ、ツミをはらうのだと。

古代神話の中だと、黄泉の国から帰還したイザナキが死者の世界のケガレを入り江で洗い流したのがミソギ。ミソギのミは水で、水で身をそそぎ清めるイメージ。

対してツミはハラうもの。神事の際に幣(ぬさ)で祓うように、そこには風のイメージがあります。
ツミの語源を辞書などでひくと、「包み」の縮まった形とされているようですが、これは釈然としません。
同音の「積み」や「詰み」が語源ではないかと個人的には思ってて。積み重ね詰んでしまった事柄。
それを祓う、風で。

©️新見伏製鐵保存会

生きている実感を鮮やかに感じ、この瞬間に消えても構わないと言った睦実を一陣の風が吹き抜けてゆく。
“神機狼”であると養父の衛が命名した、見伏の神が起こした突風ですが、この時に睦実のツミは祓われたのだと。

沙希がかけてやったウェディングドレスのベールは舞いながら風にさらわれて飛んで行きます。
睦実が積み込み詰んでしまっていたツミ(辞書どおりに言えば包み込み抱え込んでしまっていたツミ)は、見伏の神の起こした風に祓われて、遠くへと運ばれて行きました。

©️新見伏製鐵保存会


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