『アリスとテレスのまぼろし工場』考察その4 「神さり山」
前回の記事を受けて「見伏神社の秘神はヤマタノヲロチではないか?」という線で考えた記事になります。
別にヤマタノヲロチにこだわる必要もないのですが、もしそうだとしたら色々としっくりくるなぁと個人的には感じたもので。
・神さる
神主・佐上衛の語るには、上坐利山(かんざりやま)そのものが御神体だと言う。このような山を“神体山(しんたいさん)”と言う。
この「かんざりやま」は「上坐利山」という表記です。
肝試しの際に「かんざりトンネル」も劇中で言及されますが、その場面でトンネル入り口にも「上坐利」の文字が観えます。
すると大事なのは「かんざり」であって「上坐利」という表記に特に意味は無いと考えました。「上坐利」という字に意味があるなら「下坐利山」もあるのでしょうけど、そのような山は登場しないので。
だから「かんざり」の音を考えるほかない。すると語源は「神さり山」だったのではないかと思い浮かびました。
「Kamusariyama→Kamisariyama→Kanzariyama」
神話や神道で「神さる」とは「死ぬ」ことの意味とされます。天皇や皇族などの人々にも用いられますが、これは天皇霊の神格化と平行して起きたのだろうと思います。ちなみに現代の神社神道では、一般人にも使います。
もともとは神が死ぬことの敬語(忌み言葉)だったようで、神話の中で多く使われる。漢字表記としては「神去」「神退」「神避」と一定しません。
これは古代語の「さる」が多義的だったことによります。「その場から居なくなる」というのが原義と思われ、それを漢字で表すと上記のように表記の揺れが生じることに。
それを漢字で書くとニュアンスの違いが浮き彫りになります。特に「避」の字を当てている場合ですが、この字は「避難(難を避ける)」という言葉があるように「危険から逃れるために、その場から居なくなる」という文字です。だから「神避る」の場合は果たして、その神が死ぬことなのか、疑問に思うケースもありまして。
いずれにしても「神さり山」だとする推定が正しければ、何とも異様で不気味な山名ですね。それでいて神体山でもあるという。
「その山そのものが神だったが、その神は死んだ(避った)」では矛盾しています。
「その山の神々は死んだ(避った)が、今は神ならざるモノが山そのものと一体化し、神として居座っている」というならわかりますが。
前記事で、見伏神社ではヤマタノヲロチを秘神として祭祀して来たのではないかと書きましたが、それならこの「かんざり山」が“神なき神体山”であることの理由はつくように思えまして、それは後で述べます。
・山と鉄と雲
まず八岐大蛇/八俣遠呂知(ヤマタノヲロチ)は多様な属性を持っているのですが、まず蛇であるからには水神という印象が浮かびます。そしてその巨大さの形容表現…背に木々が茂っているとか、全身が“八尾八谷(やをやたに)にわたる”と表現されつことから山神でもある面が強いことが従来言われて来ました。
そもそもヲロチのヲとは“尾根”や“長尾”のヲであり、ロは古代語の助詞「る」がwo の音に引っ張られてro となったもの、チは神や精霊の意味で、ククノチ(木々の神/精霊)のチと同じ。つまりヲロチという名は「峰の神/精霊」という語義なんですね。
さらには、その死骸から剣が出てきたことも含め、どうやら製鉄と深い関わりがありそうなことが近代以降では指摘されるようになって来ました。鉄鉱石の算出しない我が国では、川底に沈殿した砂鉄を原料にタタラ製鉄を行ったので、現代ではこの点が重視されています。
(この古代製鉄との兼ね合いについては多様な解釈があって、その中には納得しかねるものもあるのですが、ここでそのひとつひとつには触れません)。
また、『日本書紀』本伝には、「大蛇(ヲロチ)居る所の上には常に雲気有り」という表現があるのが、今作と関わって来そうに思えます。
というのも、製鉄所が爆発炎上した直後、まるでその機会に備えていたかのように上坐利山から雲のような白煙が湧き上がりますので。
そして燃え上がる製鉄所から、それまでの赤黒い煙と違った白い煙が湧き上がる。まるで水蒸気の白煙のように。
目撃していた正宗たちからも煙の質が変わったことへ言及する声が上がっていたが、まさに“雲気”です。
映画内の見伏の町中では、様々な配管から蒸気が漏れていました。佐上衛の造語の“神機狼”もまた、まるで湧き上がる水蒸気の白い煙がそのまま龍蛇の姿になるようでした。
クライマックスでも、活動を停止してしまって結界がぼろぼろになったままなのを時宗が主導して、それまでは勝手に動いていた製鉄所を人力で再稼動させることで、“神機狼”が復活するのですが、高炉から“神機狼”が再び出て来る直前に上坐利山から白い猛煙が湧き上がる場面がありました。
また小説版には、製鉄所内では床から壁から水蒸気のように立ち上がっているとの記述もあります。
今作の場合には製鉄所が舞台の軸になっているので、製鉄と雲気のモチーフは重要だと思うのです。
ちなみに上坐利山からの白煙は、冒頭の製鐵所爆発事故の時とクライマックスの神機狼復活の時のほか、“五実”と名付けられることになる沙希が迷い込んだ時にも湧き上がっていました。
・神を呑むヤマタノヲロチ
次に、これに言及されたものを見たことはないのですが、『日本書紀』収録の諸伝承と『古事記』を読む限り、ヤマタノヲロチは“神を呑む”んですよ。
極めて特殊な異伝(末尾に付しておく)を除いて、実は“人を呑む”とは書いてない。
呑まれるのは、国つ神である夫婦神(主としてテナヅチ・アシナヅチ)の子神たち。しかも“生贄”らしきこともどこにも書いてない。ただ、一方的にやって来ては子神を呑んで帰る。毎年やって来るだの、産まれて来た子神をすぐ呑まれてしまうだの、伝承によって差はあります。しかしメインストーリーはおおよそ似ています。
共通するのは、天界を追放されたスサノヲが(安芸とする一例を除き)出雲に降臨して、クシナダヒメを救い妻とするためにヲロチを酒で酔わせて殺し、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を得るストーリー。後にヤマトタケルの手に渡って草薙剣(くさなぎのつるぎ)と名を変え、熱田神宮に祀られ“三種の神”のひとつとなって今に至る…という神話伝承。
(国つ神テナヅチ・アシナヅチについて考えるのは、古層を探る有意義なものですが今作に無関係なので深入りしません。)
このように子神を次々に呑まれたのでは、もとから居る神々はたまったものではない。そこから神避るか、最後は己も呑まれて神去るかしかないでしょう。ゆえに「神さり山」なのではなかったか。
見伏の幻の人たちも、喰われたのではなく内部に回収したように観えます。園部裕子が典型的でしたが。
園部裕子の時に佐上衛も確認していた。「喰ってました?こうやって口を開けて?頭からガブっと?」と。
それに対して目撃者の1人の安見が言葉に詰まって「食べたというより、ぶつかった瞬間に消えたような...」と言っていました。
その後、例えば仙波は頭上の真上から、また子連れの母親は正面からの構図のため“喰われた”“呑まれた”印象にもななるのですが、園部だけが特例なわけもないし。
佐上衛が指摘して安見が答えたように、そして上の絵のとおり、消滅寸前に吸収・回収されたのではないかと思っています。
また、佐上衛は“五実”を見伏の神妻にしようとしていました。人間を伴侶として夫あるいは妻にしたがるのは蛇神(多くは水神あるいは山神)によくある説話。なので彼はその線で考えたとも思えるのですが、上坐利山が鉄鉱石の鉱山という設定からするとただの山神とも思えず。
ヤマタノヲロチを秘神として祀っていたのであれば、彼は五実を人身御供にする気だったのではないかとも思えるんですね。ヤマタノヲロチは人の女を妻に求めたりはしません。上記のとおり、古代では人を呑んだりもしないのですが、中世以降は人を呑むイメージも付きましたから。
・呼吸音
そして、これも言及しておきます。映画序盤の正宗のモノローグとして「この町のどこからも何かの気配がする。命が無いものが息をするような気配」といったものがあった。
小説版だと、製鉄所内には圧倒的に何か生気のようなものが足りないとして、木々が背後に広がっているのに鳥の声もしないとある。
また、しばしば「ずう…はぁ…」という深呼吸のような音が聞こえるともあります。
この呼吸音は、正宗ら幻の人々の心音と対比されているとも感じます。
見伏の八岐大蛇は、見伏の町を丸ごと呑み込んで幻の見伏を創り出したのかもしれません。
・金屋子神
以下はしばらく脱線。本来なら鉱山の神は『古事記』ならイザナミが産んだカナヤマヒコ・カナヤマヒメでしょう。『日本書紀』には金山姫は出て来ないのですが。
後世この金山姫に関連しつつタタラ製鉄の女神・金屋子神(かなやこがみ)が山陽山陰を中心に崇敬されました。
より古くは金鋳子神(かないこがみ)という名だったよう。
しかしタタラ製鉄に特化し過ぎたせいで、明治以降は金屋子神の信仰は急激に衰退してしまう。
佐上衛が言うには、近代以降に神体山を鉄鉱石採掘のために削り続けて来たとのこと。ならば見伏神社の御祭神は、近代製鉄に対応できなかった金屋子神ではないのは確かだと思われます。
少なくとも表向きは金山彦(かなやまひこ)ではないかとも思われるものの、それはこの物語とは直接的には関係しないでしょうね。金山彦は龍蛇の神ではないし、神去り山(神避り山)という名に見合わないので。
【注】2024年1月17日追記
いや、配信で確認したのですが関係してそうです。
それについては別の記事で書きます。
・太古の大神
それでは最後になりますが、ヤマタノヲロチは「神」なのか?と言うと、以下のように言えるかと。
・ヲロチという名が既に神性を帯びていること
・『日本書紀』収録の異伝の中でスサノヲが「汝は可畏(かしこ)き神なり」と呼びかけ酒宴に誘っていること(畏怖すべき神という意味である)
・どの伝承でも何度も醸造を重ねた最上の酒「八醞酒/八塩折之酒(ヤシホヲリ→ヤシオリの酒)」を用意していること
・そして古代倭語の数詞「や」は必ずしも実数の「8」ではなく、多数を意味しつつ聖数でもあったこと
以上が挙げられます。最後の「や」について補足して説明した方がいいだろう。例を挙げると、三種の神器のもう二つ、八咫鏡(やたのかがみ)八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を始め、大八洲(おほやしま)八咫烏(やたがらす)八意思兼神(やごころおもひかねのかみ)八百万(やほよろず)…とキリがありません。
八岐大蛇/八俣遠呂知の「や」もその例であって、実数として8首8尾なのではないんです。頭も尾も、何本あっても良いのです。これらのことから、太古には大神であったことを暗に示していると考えて良いと思われます。
蛇神信仰は縄文時代からあった。それは土器や土偶にも表れるが、中には縄文(縄紋)土器の縄紋とは蛇紋であると説く人もいる(その説が当たってるかどうかはわからないのですが)。
蛇神信仰はその後、主流ではなくなりますが、三輪山を神体山とする大物主(おほものぬし)を祀る大神神社を代表例として、現代まで連綿と続いては来ています。
ヤマタノヲロチがなぜ、いつ頃どのように、神の座から滑り落ちたのかは不明というほかありません。
・復活するヤマタノヲロチ
ちなみに現代ではスサノヲに殺されて終わったかに思われるヤマタノヲロチですが、中世には復活しています。ひとつは伊吹山の神として(伊吹大明神)、もうひとつは安徳天皇の正体にまつわる諸伝説の一角として。
伊吹山の神は、草薙剣を尾張に置いて来たヤマトタケルを死に至らしめた神ですが、これがヤマタノヲロチだったと中世になって新たに展開しました。または江戸時代になると酒呑童子伝説にも関わって来る。
しかし伊吹大明神の信仰はその後は廃れて、現代では現地に行っても痕跡すら残っていませんが(現地の人にも知られていません)。
安徳天皇伝承の方は、仏教の八大龍王とも関連しつつ、熱田神宮にある草薙剣の本体ではなく宮中にあったその分霊の剣を取り戻したという話になりました。
※この辺の話を探って行くと、今作の物語からは離れて行くので、感想や考察としてではなく、あくまで今作の外側にあるかもしれない神話伝説それ自体の記事としてご紹介しました。
・秩父というメタ視点
なお最後に、ヤマタノヲロチとは別の視点を。ヤマトタケル信仰とも八大龍王信仰とも縁が深い土地、それが秩父です。さらには、映画内の上坐利山の山容が武甲山に酷似しているという指摘もりまして、狼信仰の篤い土地でもあるんですね。
秩父は岡田麿里監督の郷里、彼女が今作を創作するに当たって、故郷の伝統的な信仰を意識されたかどうかまではわかりませんが、架空の街である見伏の土地柄を想像する時、このメタ視点も面白いと感じています。
▪️追記▪️
※上記の“特殊な異伝”とは『日本書紀』に収録された2つの伝承で以下のとおり。
・ひとつは、天界を追放されたスサノヲが子神の五十猛(イタケル/イソタケル)を連れて、最初に降臨したのは“新羅国”だとし「ここには居たくない」と言って出雲に来た。そこで“人を呑む大蛇“を退治をして草薙剣を得るが、国つ神の話は無く、ついで五十猛の植林の功績に重点が移る。
※ちなみに文中では単に「大蛇」「蛇」としか書かれておらず「八岐大蛇」とも書かれず、その姿の表現も無い。にも関わらず諸本「をろち」とルビが振ってあるが、それでいいのか疑問がある。上記のようにヲロチには山霊の語義がある。この伝承の場合には、「大蛇(おほへみ)」「蛇(へみ)」と読ませるべきではないか。
・もうひとつは、スサノヲの天界追放や降臨の話も無く「韓郷(からくに)の島は金銀があるが、吾が児が治める国にそれが無いのは良くない」と言って、船を作らせたり、そして植林の話になって五十猛が更にそれを充実させる話が続く。最後にスサノヲはクマナリ峰から“根の国”に行って終わる。日本列島に来たのかどうかも不明。クマナリとは百済の王都の名である。大蛇退治の話は無い。
→これらは明らかに韓人系帰化人がスサノヲ神話を受容したものであろう。おそらく彼らの神話の中の何かの神とスサノヲが似ていたものか、あるいは植林神・五十猛こそが中心だったのでスサノヲに系譜を求めたかだと思われる。
前者は新羅を否定的に言い、後者は百済の王都の名が出て来るので、新羅に滅ぼされた国々、つまり加羅諸国(任那)からの移民か、亡命百済人のものではないか。
前者の“人を呑む大蛇“が、果たしてヤマタノヲロチのものなのか、結果的にそうなるとしても古代ヤマタノヲロチの伝承として極めて異例であることは注意が必要です。