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埼玉稲荷山古墳鉄剣の辛亥年と榛名山噴火

埼玉稲荷山古墳から出土した金錯銘[きんさくめい]鉄剣の「辛亥[しんがい]年」は「471年」が定説になっています。60年後の「531年」だという説は少数派です。

さきたま史跡の博物館展示より
(同博物館は2024年4月2日に再開館されますが、鉄剣は当面の間レプリカ展示とのことです)

471年が正しければ、第21代雄略天皇の年代には、ヤマト王権の支配が関東まで及んでいた証拠だとされ、第一級の資料として注目されます。

※ちなみに辛亥というのは十干十二支の「かのと・い」のことで、60年に一度巡ってきます。辛亥革命の1911年は471年よりも1440年後=60年×24になります。

埼玉稲荷山古墳(2021年5月撮影。前方部=右側は復元)
後円部墳頂の礫槨[れきかく]の復元(2021年5月撮影)。鉄剣は左足元に置かれていた

「471年」の根拠は主に次のとおりです。

  • ❶鉄剣の「獲加多支鹵大王」の名前は日本書記の「幼武」(ワカタケル)と同じである。ワカタケル大王(雄略天皇)の在位は日本書記が正しいとすると西暦457~479年になり、ちょうど「471年」が当てはまる。

  • ❷榛名山[はるなさん](群馬県)の噴火が500年前後にあり、その噴出物(FA)が埼玉にも降り積もった。稲荷山古墳では周濠の底から60㎝ほど浮いた位置にFAと推定される粒子が堆積している。つまり500年前後の噴火よりも前に周濠が掘られ、稲荷山古墳が築造されたと推定できる。

  • ❸稲荷山古墳の造出しから須恵器(TK47型式)が出土している。群馬県の中郷田尻[なかごうたじり]遺跡などではFAの下層から須恵器(MT15型式)が出土している(「関東地方における古墳時代須恵器研究」※(藤野一之、2019年)p18-20、p23の第6図参照)。MT15型式はTK47型式よりも新しい(「須恵器大成」(田辺昭三、角川書店、1981年))。つまり稲荷山古墳の須恵器が作られ、中郷田尻遺跡の須恵器が作られた後、500 年前後に噴火が起こっている。

※藤野さんの論文は開くのに時間がかかることがあります。

❶のように、471年の辛亥年が雄略天皇の在位と一致することは確かですが、倭の五王の他の4人の遣使は、すべて允恭[いんぎょう]天皇の在位になってしまい、不整合があります(僕は第26代継体天皇以前の天皇は雄略天皇を除き非実在だと思っています)。

日本書記の編者は魏志倭人伝を読んでいて、卑弥呼の遣使を神功皇后の年代と整合させました。一方、倭の五王については、遣使の事実さえ記述していません。宋書倭国伝は5世紀に書かれましたが、日本書記の編者は読んでいなかったのでしょうか。

宮内庁天皇系図などより作成

❷の稲荷山古墳のFAは2015年に再調査が行われましたが、まだ可能性が高いという段階です。FAと推定される堆積物の科学的分析が行われ、稲荷山古墳の築造年代が明確になることを期待します。

群馬県黒井峯遺跡周辺では、1500年以上経った今でもFAの堆積が見られる(2022年5月撮影)

※群馬県黒井峯[くろいみね]遺跡の現地では、スマホをかざすと集落の様子(榛名山の噴火から、馬の飼育、道路の交差点などまで)がVRで復元されていて楽しいです。
※この記事のトップ画像はVR映像の一部(榛名山噴火)です。

❷❸のように、火山の噴火を年代推定に使うのはおもしろいと思います。

榛名山の噴火が497年前後だったことは、火山学者の早川由紀夫さん(群馬大学)が、噴火による倒木を炭素14年代ウィグルマッチング法で調査したものです(「榛名山で古墳時代に起こった渋川噴火の理学的年代決定」(早川由紀夫、2014年))。倒木の年輪の炭素14年代を5年輪ごとに測定し、一番外側の年輪の実年代(倒木の年代)を推定しています。

※炭素14年代測定については、2023/5/26note第3章を参照してください。

画期的な年代測定だと思うのですが、残念ながら、早川さんの論文には誤記があり、測定結果(論文の表1)とグラフ(図3)がずれています。表1のとおりに計算すると、適合度が22%になってしまうことから発見しました。

測定を行ったパレオ・ラボ社に問い合わせたところ、一部試料の測定結果が異常値であるため、再測定したとのことでした。論文の表1が間違いでグラフが正しいです。

試料名 BK926A, 90-95y
誤 PLD-9869, 1572±24
正 PLD-10656, 1638±21

試料名 BK926B, 80-85y
誤 PLD-9878, 1711±24
正 PLD-10658, 1618±22

※パレオ・ラボ社によると再測定結果はもう1点あるのですが、試料が重複しているため、ここでは2点のみ記載します。

正しい測定結果をもとに、Intcal[イントカル]とOxCal[オクシカル]※を使って較正(実年代に変換)すると、一番外側の年輪の年代(噴火=倒木の年代)は、以下の結果になりました。

  • Intcal04:487~505年(中心値496年)、適合度63%

  • Intcal20:497~509年(中心値502年)、適合度47%

※Intcal:炭素14(放射性炭素)の減少をあらわす国際標準の較正曲線。04→09→13→20と改定されてきた
※OxCal:測定された炭素14年代を実年代に較正するための国際標準ソフト

較正年代は論文とほぼ同じですが、最新のIntcal20では、適合度が合格点である60%を下回りました。適合度が低いですが、土器型式と違って、年輪の前後関係は間違えることはありませんし、榛名山の噴火は500年前後だったといえると思います。 

稲荷山古墳鉄剣の「辛亥年」は「471年」と考えて間違いないでしょう。

誰でもOxCalの計算が再現できるように、OxCalの使用方法、コマンド、計算結果のファイルを添付します。みなさんも試してみてください。OxCalを使わなければ、炭素14年代測定について語ることはできません。

【参考文献】
史跡埼玉古墳群総括報告書Ⅰ「総括-古墳群の学術的評価と歴史的意義」(関義則(さきたま史跡の博物館館長)、2018年)

※さきたま史跡の博物館の公式見解は、この総括報告書が最新だと思います。辛亥年が471年であることの根拠は、以前は、近隣の新屋敷遺跡の周濠のFA下部から出土した須恵器が、稲荷山古墳の須恵器と類似であることとされていましたが、総括報告書では採用されていないようです。この記事の❷❸は総括報告書を参考にしました。

(最終更新2024/10/19)

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