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邪馬台国とヤマト王権は連続しているのか?

「邪馬台国とヤマト王権は連続している」という考え方は、邪馬台国大和説と東遷説から出されています。

大和説は、大和にあった邪馬台国がそのままヤマト王権になったとします。寺沢薫さん(纒向学研究センター)は倭国乱を終息させた卑弥呼共立がすなわちヤマト王権成立だとしていますし(2023/10/11noteの図表1参照)、福永信哉さん(大阪大学)は卑弥呼共立の段階は邪馬台国、魏から「親魏倭王」に認められ三角縁神獣鏡を配布しはじめた段階からをヤマト王権としています(2024/3/6noteの「ホケノ山古墳から三角縁神獣鏡が出土しないのはなぜか?」参照)。

東遷説は、九州にあった邪馬台国が、卑弥呼の死後、台与の時代に近畿に移動し、近畿の勢力を征服して大和王権になったとします。

「邪馬台国とヤマト王権は連続している」という、それぞれの根拠を改めて整理してみました。大和説では考古学的に1つ、文献学的に2つ、東遷説では文献学的に1つ、考古学的に1つに整理できると思います。

この記事は2023/8/13に公開しましたが、2024/10/16に加筆修正しました。大きく加筆したのは、大和説の文献学的根拠です。大和説は「邪馬台国はヤマト国と読み、大和・倭[やまと]と発音が類似している」ことも、邪馬台国とヤマト王権が連続していることの根拠にしていると考えられます。

それぞれの根拠は確かなものなのかどうか、検証したいと思います。

※僕はこれまでのnoteでは「近畿説」と呼んできましたが、近畿説(畿内説)はほぼ大和(奈良県)の纒向[まきむく]遺跡に絞られるので、これからは「大和説」と呼ぶことにします。

※トップ写真は宮崎県天岩戸神社(写真AC)

(最終更新2024/12/13)


第1章 大和説による連続の根拠

 箸墓古墳や三角縁神獣鏡(考古学)

大和説は、まず箸墓古墳や三角縁神獣鏡のような考古学的遺構・遺物を連続の根拠としていると思います。

  • 最古の巨大前方後円墳である箸墓古墳は卑弥呼の墓であり、ヤマト王権が前方後円墳を全国に普及させた

  • 三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏の皇帝から受け取った「銅鏡百枚」であり、ヤマト王権が各地の首長に配布した鏡である

箸墓古墳が卑弥呼の墓で、3世紀中頃につくられたとする根拠は、大和説から3つの説が出されています。僕は2023/5/26noteでこれらの根拠を検証し、いずれも不十分であることがわかりました。

三角縁神獣鏡を魏から贈られた「銅鏡百枚」とすることにも疑問があります。三角縁神獣鏡は中国、朝鮮半島で1枚も出土していないこと、ヤマト王権のもとでも下位の鏡として扱われたことが根拠です。

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