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羽毛布団と「サピエンス全史」
私は時々原始時代がうらやましくなる。
コロナ禍で休職を余儀なくされ時間が有り余っていたときに、「サピエンス全史」を読んだ。まだ文庫版が出る前だったので、上下巻買うとかなり高価だった。休職中で収入のない身としては辛い。
そこで、幸い時間だけはたっぷりあったので、英語版を買ってみることにした。日本語版の半額以下で済んですごく得した気持ちになったけど、最後まで読めるか不安ではあった。
結果は、時間は滅茶苦茶かかったけど、読めた。とにかく内容が面白かったのだ。眉間にしわを寄せながら、何度も行きつ戻りつしつつも、最後まで到達した。
そこには、自分が全く知らなかったことや新しいものの見方が詰め込まれていた。
例えば、人類が進出した地域ではそれまで生息していた大型動物が絶滅に追いやられたとか、人類だけが持つ特異な能力は「フィクションを信じる力」だとか、そういった具合だ。
最もびっくりしたエピソードの一つが、「農業革命が史上最大の詐欺だった」という話。
いやいや、農業始めたおかげで、自分たちで食べ物を生産・コントロールできるようになり、めっちゃ安定して豊かになったんちゃう?良いことばっかりじゃない?と普通なら思うはず。
でも、農業を始めたせいで、人間は「労働」と「定住」を余儀なくされたというのだ。農作物を育てるには、屋外で中腰になって、耕したり種まいたり草むしりしたり収穫したりしなければならない。その結果、人類は腰痛持ちになったらしい。さらに、ずっと作物のそばに住んで世話をする必要もある。
だから、狩猟採集生活をしていたころよりも、自由を奪われ不健康になったという訳だ。そして、この不自由で不健康な生活は現在まで続いている。
あー、そういう見方もあるのかあと、目からウロコが落ちた。
そういう点で見ると、原始時代(つまり狩猟採集の時代)は悪い時代ではなかったのかなと思えてきたりする。
朝好きな時間に起きて、今日はどこに行こうか?何しようか?と、気の向くままに動き回り、狩りをしたり、木の実を食べたり、歌ったり踊ったり昼寝したり、ほのぼのと生きる原始人の姿が目に浮かんでくる。
ふと思い出したのがゲゲゲの鬼太郎の歌。
「おばけにゃ学校も~、試験も何にもな~い」
まさにこの世界だ。素敵すぎる。
しかし、これが美しいファンタジーにすぎないことは重々承知している。
原始時代の生活は、飢えや病気、厳しい自然との闘いが、それはそれは熾烈だったに違いない。こんな豊かな現代でも、お腹が減れば集中力がガタ落ちするし、ちょっと腹痛を起こしたり派手な怪我をするともう何も手につかなくなるのだから。あと、寒さも暑さもすごく堪える。(私が単にヤワすぎるのだろうか)
自然と直に向き合うしかない狩猟採集の生活はどれだけ大変だったことだろう。きっとそれが辛すぎたから、たとえ自由や健康を奪われても「労働」して「定住」することにしたのだと思う。
そして、その選択はすごく良かったと思う。特に冬は。
だって、毎晩、風呂に入って温まった後、羽毛布団の中でぬくぬくするときの気持ちのよさよ。朝目覚めたときの布団の絶妙な暖かさも何事にも代えがたい。
狩猟採集の自由な生活を続けてたら、毎晩洞穴か何かの硬い地面か石の上に、良くても枯草とか動物の毛皮なんかを敷いた上で体を横たえるしかなかったのだから。考えただけで辛い。
苦労の道を選んでくれた、人類の祖先に毎日深く感謝だ。
こうして毎日快適さと幸せをかみしめて生きているのだが、この後の「サピエンス全史」に出てくるオーストラリアの先住民の絶滅や、現代の食料生産現場の残虐性の話なんかはすごくショッキングで、胸が痛くなる。人類は本当に罪深くやっかいな存在なのだ。
さらに、この先の人類の未来について、とても奇妙で危険な方向に行く可能性があると著者は述べていた(と記憶している)。とても説得力があったので本当にそうなりそうで怖い。
やっぱり何も知らずに、自然の一部となって狩猟採集をしてた方が良かったのではないか。でも、羽毛布団の気持ちよさには感謝しかない。
思考は堂々巡りしっぱなしだ。