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余白のある、この街で。

自分の住む街が、好きだ。

スーパーも遠いし、本屋はひとつしかないし、お世辞にも便利な街ではない。


でも、ぼーっと歩いていると、なんて私は幸せなんだろう、すーっと身体が透き通るような、ふわふわした気持ちになる。

風の強い日は、竹林がわらわらと風にたなびく。

夜、坂道を登ると、暗い中にぽつぽつと住宅の灯りが見える。そのひとつひとつに、たくさんの人たちが集っているのだろう。

そんな景色を眺めながら、自分の腕にふと触れる。たしかに自分もこの街に、この世界に存在していると、改めて実感するのだ。

◆◆◆


不便なこの街が大好きだと思う理由は、たぶん私の性格にある。

なにかしら余白があって試行錯誤するプロセスが大好きなのである。最初からぜーんぶ揃っていて、お膳立てされている、という環境ではまーーーったく燃えない。

生活するにも同様。

少しの不便を、我慢するのではなく、知恵で楽しく過ごしたいのが私なのだった。

たとえば、この街では、スーパーがないなら、八百屋に行けばいい。おばちゃんに顔を覚えられて、なんとなくあいさつをするくらいには通っている。

(八百屋は安くて、珍しい野菜も多い。個人的イチオシスポットだ。簡易包装なのもいい。)


人気のカフェはないけど、穴場の地元密着カフェはある。こだわりの店主たちのお店は、食べ物がおいしく、居心地もいい。

外食スポットも少ないので、自炊が増えた。

夜は、ほとんど人はいない。ゆったり歩きながら、ポツポツ走っている車のライトを見つめ、考え事をする。

他の人にとっては、あんまり住みたくない、とさえ思われるかもしれない。
だからこそ、私はこの街を好きになったのだろう。


◆◆◆


実は、今の部屋に引っ越しをするまでには、紆余曲折あったのを思い出す。

もともと入居を決めていた部屋は、トラブルで入居できなくなってしまった。

それで、不動産屋さんが、たまたま今の物件を探してくれたのだ。

紹介していただいたその日のうちに、大家さんに連絡をし、即内見。たった10分間でこの街に住むと決めた。私の直感が、ここだと言っていた。

というのは、若干ウソで、本当は床のフローリングを見て「これはヴィンテージラグが映えそうだ……!」と思ったのが理由だ(なお、未だにヴィンテージラグは買っていない)。

でも、10分で決めたにしては上出来だった。


◆◆◆

30年後、第2のふるさとはどこかと聞かれたら、たぶん私はこの街だと答える。

この3年ほど、友人と会うこともままならず、私の生活は、ぱっと見では孤独とも言える。

ただ、この街で過ごす余白のある毎日も、“なにもない”を楽しめる私自身も、なんだか気に入っているのである。

ちょっと足りない、そのくらいが幸せなのかもしれない。

現在、 #1ヶ月書く習慣チャレンジ 、挑戦中です。
今日のお題は、Day29「自分にとっての幸せはどんな状態か」でした!

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fumi
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