見出し画像

「若さという武器」は何歳まで使えるのか?

「若さは武器」と言われているが、その武器は何歳までが使えて、何歳から使えなくなるのだろうか。

自己紹介など

自己紹介として、僕は22歳で結婚、23歳の時に子供が産まれ、現在3歳の子供がいる26歳の一児の父である。

大学を卒業して4年目で周りでは結婚ラッシュが少しずつ始まってきたという状況である。
そんな中、23歳の時にはベビーカーをえっさほいさと押していたので、周りの人からは「若いパパだね」とか年齢についてチョコチョコ声をかけられることが多々あった。

そして23歳から育児をしてみて思ったことは、「若い」とはいうのは応援されるような目線で見られたり、何かと助けられる(話しかけやすそうな雰囲気だけだったかもしれない。)ことも多く、若いことにメリットを感じた。

もちろん、育児の面だけでなく、仕事でも新人だからみたいなことで助けていただけることもあり、「若さは武器」ということを強く感じた。
※たまたま周囲の環境が良いだけかもしれません、そうだったらすみません。。

しかし、時は進むもので今年で26歳、来年は27歳となる。
22歳なら大学卒業後というイメージもあり、若さを感じるが、27歳ではどうなのだろうか。

例えば、仕事は続けていれば5年目である程度できるようになってくるし、育児でも少しずつ同じ年齢で子どもがいる家庭も増えてきて、相対的に若いではなくなるのではないだろうか。

若さ以外の武器って?

そこで、ふと思ったのがこのまま年齢を重ねた時に「若さ」という武器以外を何か持っているのだろうかということである。

仕事でいえば〇〇ができるといったスキルが当てはまるが、振り返ってみると何かそのようなスキルを身につけようと意識できているのだろうか。

続いて、生活面でいえば、家事能力とかがスキルになるのか、ゲームでのステータス表示があれば分かるがもちろんそんなものは現実にはない。

「若さ」を失うことで何が自分にはあるのかを気にしてまう日々である。

そこで思ったのがそもそもが「若さという武器」が失われることを自身は焦っているが、年齢ってそんなに重要なのだろうかということである。

「若い」というのは何かに対して比較するものなので、必ずその反対にはその若い人よりも歳をとった人が存在している。
誰かから言われて比較し「若い」を意識するのは分かるが、自分自身を見つめ直す時に「若い」というのはおのずと「何と比較して?」が問として浮かび上がる。

そんな時に、ふと「若さという武器」に一番囚われていたのは自分自身ではないかと感じた。
そもそも、年齢を「若いか」「歳をとっている」で相対的に考えるでのはなく、もっとフラットに1つの記号的な意味で捉えてみるのはどうだろうか。

例えば、プロフィールで好きな食べ物「焼きそば」となっていた場合、別にそこに対して「私の方が好きだから上」とか、「好きになって30年も経っているんだ、尊敬しないと」とはチャチャが入らないはずだ。

それと同じように年齢を1つのプロフィールの項目として考えることで、どちらが上かとか、若いとか思わなくてよくなり、年齢に囚われなくなるのではないだろうか。
まあ、年功序列的な思想もあるのが現実だが。

たしかに「若さという武器」にとってかわるものを見つけることも重要ではあるが、年齢を俯瞰して記号的に捉えていくことで「若さという武器」がなくなることについて気楽に考えていけるのではないだろうか。

年齢の見方を変えてみる

タイトルに対して、「何歳までが若い!!」みたいな結論を出せると良いのかもしれない。ただ、そんなことをしても小さな争いが続くだけである。

「若さという武器」は確かに存在するが、それは一時の状態程度に考えるのが良いのではないか。
それよりも、誰だって歳はとるのだから、そこに囚われずに年齢についての見方を変えて、年齢を1つの記号として捉えて生きていくと気楽になるのかと、これから27歳に迎えるにあたって思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?