「この村にとどまる」と「ルクレツィアの肖像」
かつてそこには、ふつうの人々の暮らしがあった。チロル地方と呼ばれる高地で、人々は農業や放牧を営んでいた。イタリア北部、オーストリアと国境を接するボルツァーノ県ヴェノスタ溪谷。そう、今でこそイタリア国内のドイツ語圏であるその地域一帯では、古くよりドイツ語が使われていた。
ところが第一次大戦後の1919年、このアルト・アディジェ(ドイツ語で南チロル)地方は、ハンガリー・オーストリア帝国からイタリアへ譲渡される。そこに暮らす人々の意志は全くお構いなしに。そして、イタリアではファシスト党のムッソリーニが台頭すると共に、そんな言って見れば「辺境」の小さな村にまで、「イタリア人」の役人を送りこみ、イタリア語の使用を強制すると共に、ドイツ語の使用を禁止する。学校の先生になることを夢見て勉強してきたトリーナとバルバラは、地下で子供たちにドイツ語を教え始める。ところが、バルバラは現場に踏み込まれ、逮捕されて島送りになってしまう。
やがてファシストに取って代わるようにやってきたナチスドイツは、村の人々に移住を斡旋する。今より良い暮らしをと信じて、多くの家族が村を去って行く。
自分たちの、先祖代々の土地を捨ててはならない、と村にとどまるトリーナとその夫。だが、ナチスへの服従をよしとせず、生き延びるために、そして村を守るために、2人で山へ逃げる。
命からがら、明日をもしれぬ日々とようやく生き抜いて終戦を迎えた彼らを待ち受けていたのは、村を、田畑や牧草地を犠牲にしての、ダムの建設だった。
史実にヒントを得て創作したフィクションではあるものの、まるでドキュメンタリーのような小説、名前や年齢、家族構成などは少しずつ異なるかもしれないけれど、確かにこうした人々がいたのだろう、と思う。
「優しくしてくれる夫。でも、今夜、あなたは私を殺そうとしているでしょう?」
もう一つは、確かに実在した歴史上の人物の物語。16世紀、トスカーナ大公国の公女に生まれ、フェッラーラ公爵に嫁いだもののわずか1年ほどで不慮の死を遂げたルクレツィアの、唯一残された肖像画から、作者は大きな物語を編み出した。帯に載せられた、この強烈なコピーに、まずドキドキしてしまう。
兄弟姉妹の間で一風変わった娘として育った、利発で多感な16歳の少女の目から見た自らの結婚というプロジェクトが描かれる。急死した姉の代わりに、まだ13歳だったルクレツィアになぜ、白羽の矢が立ったのか。群雄割拠のイタリア半島において、それぞれが大きな力を持つ両家の結びつきというパワーバランスはもちろんのこと、彼女を求めたアルフォンソ2世公には、さらに切実な理由があった。そしてなぜ、彼女は殺されなくてはならなかったのか。
これはもちろん、それぞれの翻訳のお力によるところも大きいのだけれど、前者とはまた全く異なる筆致、テンポやリズム感で、推理小説さながらのスリルに満ちた展開が楽しく一気に読んだ。
あー、やはり読書って楽しい、とそう思えた2冊。新潮社のクレストブックスは、いつも裏切られない。
この村にとどまる
マルコ・バルツァーノ・著
関口英子・訳
ルクレツィアの肖像
マギー・オファーレル・著
小竹由美子・訳
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4 ago 2024