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「密林の語り部」 マリオ・バルガス=リョサ

西村英一郎 訳  岩波文庫  岩波書店

密林の語り部


今日からリョサの「密林の語り部」を読み始め。序章のフィレンツェのギャラリーでの写真を経て、中身へ。迷宮(カフカ・サウル(登場人物の名)の足取り・贈り物のバクの骨の線模様)、自然界と人間社会の拮抗関係などが気になったところかな。リョサは構成は入り組んでいても、文そのものは平易だからまだ入りやすい…かな。フェンテス辺りと比べて。
8月中に読めるのかな。
(2012 08/10)

民族学と歴史学、そしてフィレンツェ


「密林の語り部」第2章の後半を読み終え。
この小説は「私」がこの小説を書き進めているフィレンツェでの話(1、8章)の間に、2・4・6章の「私」が書いた語り部サウルの物語と、3・5・7章の「語り部」が語った(のか)?インディオ自身の物語が交互に積み重なっている。

その第2章はサウルと「私」が実際に交流していたリマの大学時代の話。サウルは顔に大きな痣みたいななのがあって、他の人々と交流するのを妨げ(と当人は思っていて)、それが同じく「虐げられている」「生活環境が脅かされている」インディオへの共感に結びつている、そう「私」は考えている。それが当たっているかはまだわからない。
さて、標題・・・ 

サウルと「私」は、リマの大学でそれぞれ民族学と歴史学の教授のお手伝いのようなことをしていたのだが、その描写の中でこんな記述がある。 

 バレネチェアは、民族学や人類学を毛嫌いしていて、道具が人間に代わって文化の主役となり、スペイン語の散文の伝統(ついでに言うと、彼は素晴らしい文章を書いた)を壊してしまうものだとして、そうした研究には批判的だった
(p44) 


バレネチェアというのは「私」が師事していた歴史学の教授。彼と民族学の教授であるマトス・マルの対話の中でこういう表現があった。なんか今の自分にとっては民族学と歴史学って相互補完的な、よってまあ近隣の仲良しな?学問だという認識しかないのだが、こういう見方もされていたとは。ペルーという無文字社会がすぐ近くにあって、その社会を征服してきた文字文化社会ではそういう危機感が常にあったのだろう。
でも、「道具」が「人間」にとって代わる、という箇所がどうしても引っかかる。民族学者のある人には人間不信(というか抽象化嫌い?)があって、それと歴史学者のある人の「(抽象)文化万歳」的な考えと対立する?? これってデリダの「グラマトロジー」の主題ともつながる視点ではないだろうか(「グラマトロジー」も未読だが)。 

で、もう一つ。フィレンツェについて。最初に述べた通り「私」がこれを書いているのはフィレンツェという設定(そしてどうやら現実にリョサもフィレンツェで書いていたらしい)なのだが、そういう設定を時たま読者に想起させる役割以上に「これはフィレンツェで書いている」というような記述が多く挿入されている。フィレンツェという場所がルネサンスのそしてそれも機縁となった新大陸「発見」につながっている、のだとするならば・・・第8章たどり着けば見えてくるかも。 
(2012 08/11)

密林の語り部の語り方


「密林の語り部」第3章。一昨日書いたように3・5・7章は語り部の語りなのだが…その語りにはやはり独特なものがあって、西洋的な読み方からすると読みにくいものがある。ではどこが読みにくいのか…
それすらわからない…

じゃ、困る?ので…同じようなインディオ(まあ、この言葉を使う…)の語りを作品に仕立てた、アストゥリアスの「グァテマラ伝説集」と比べてみよう。アストゥリアスの方がなんだかわからん感がかなり強かった。あっち(アストゥリアス)はインディオ自身の語りをそのまま伝え、こっち(リョサ)は少なくとも青年期までは西洋の伝統の中で育った語り部によるもの…だからか。でも、なんか矛盾する言い方だけれども、ちょこちょこ西洋的な要素が入るこっちの語りも読みにくい…と感じさせるのではないか。

もちっと細かいことも。神々の神話を、もしくは神話的に語る先祖の語りだと最初は思っていたけれど、なんか同じ神の名前みたいな固有名詞で、今住んでいる個別の人々を語り始めているみたい。その個別の人々も神話的な世界観持っているために余計にわかりにくくなってしまうのですが…神々と同じような性格の現実の人を同じ名前つけてしまう、というヴィーコの説を思い出す。
(2012 08/13)

固有名詞のない世界

 万物は、存在するものの創造者であるタスリンチの息吹きから誕生したが、固有の名前はなかった。名前はいつでもその場限りの相対的、一時的なもので、来る者、行く者、死んだばかりの女の夫、カヌーから降りてきた男、生まれた者、矢を放った者などと呼ばれていた。
(p114)


「密林の語り部」第4章。ここは語り手(「語り部」ではない)がペルーのマチゲンガ族の言語調査へ赴くところで、リョサ自身の体験(1958年)を踏まえているが、また「緑の家」の素材がちらほらするところでもある。実はリョサは「緑の家」執筆時は本当はこの語り部の話を書きたかったのだ・・・というのは解説にある話。一方、なんだかよくわからなかった?第3章の謎解きの味わいも。

さて、ここにあるマチゲンガ族の言語の特徴は、人類の言語の原始状態?がかいま見られるところ。生まれた誰かは死んだ誰かの生まれ変わりであるという循環的生死観を持っている人々は、固有名詞という発想そのものがなく、状態を指し示すことができればそれでいい。
固有名詞の誕生という出来事は、個人がそういう円環から離れていったところに発生する。それは一神教の発生と同調しているのかも(本村氏の「多神教と一神教」も参照してみたい)。

さて、この文が含まれている段落の中でもう一つ気になることが。マチゲンガ族は非常に自殺率が高いとのこと。厳しい自然・社会環境におかれている民族の中では、人口調整の為に(いわゆる)不具の子の嬰児殺しとか(いわゆる)姨捨山とかはまあわかるのだけれど、自分で命を絶つというのがわからない。そもそも自殺という行為はとてつもなくエネルギーのかかる行動だと思うので、ここで挙げられている病弱な人がそういう行為に出るというのはちょっと自分は腑に落ちない。

えと、もう一つ。この章は語り手が言語学研究所の調査に同行する章なのだが、この研究所はどちらかというと未開社会を西洋化(キリスト教化)しようという傾向があるところで、そこが「語り部」サウルとは根本的に違うところ。
語り手は今の自分の状況をサウルが知ったらどう思うのだろうと考えてみる。逆に第2章ではサウルの主張に語り手が敢えて逆らった見解をしてみた場面があった。そういう複眼的な、コインの裏表両面から眺める趣向が、この小説にはある。
(2012 08/14)

記憶とダンテ


「密林の語り部」第4章まで。前の第2章もそうだったけど、語り手が今いるフィレンツェから当時のペルーを再構成する為の記憶への言及が数度されている。こういう疑問は他の作家の作品でも見られるが、果たしてこの作品では物語を語るというテーマとそれがどう重なるのか、楽しみ。
それとは別に、語り手が書いているところに直接、(もちろん、語り手の想像上の)サウラが話しかけてくるレベルもある。
さて、もう一つ、フィレンツェ問題。どうやら作者の狙いはダンテ「神曲」とマチゲンガ族神話との構造上の類似を思い起こすことにあるようだ。天と地に対照的な構造。さ迷い続けることもそれかな?
(何せ、ダンテ読んでない(汗)…)
(2012 08/15)

レベルが未分化な語り


「密林の語り部」第5章…は奇数章なので、語り部の語り。読み進めてきて、この語り口にもだいぶ慣れてきた。

タスリンチという語が神と家族長(一応、こういう表記にしておく、マチゲンガ族は密林の苛酷な環境の中で、小集団に分散して生活している…だからメッセンジャーとしての語り部の役割もあるわけだ))双方で使われること。
神話と現在の生活がごたまぜに…というより未分化状態で…語られること。語りの中に、こうして今までのことが終わり、これからのことが始まった、というような表現かあったけど、その表現は時間概念(因果関係)を表しているわけでは、特になさそうだ。パラレルな別の世界に入った…というだけのような感じ。だからいろいろな環境の変化にも耐えられるのだろうな。一元化した私達の生活環境と違って…
でも、戻れる?
(2012 08/17)

蛍の声


「密林の語り部」第5章を読み終え。語り部の放浪話を中心に、彗星になった男の話、しゃべった通りになる男の話、そして語り部の家庭を持つ計画と挫折?など。
その中で、語り部の先達が語るところから…2人は蛍のみがいる山の中にいる…先達には蛍の声が聞こえる、という…

 そこで、声がするだろう? 日が暮れたとき、山の音とは違った音。君には聞こえるかね? つぶやき、すすり泣き、嘆き。滝のような低い声。声の渦。つぶれた行き交う声。ほとんど聞き取れないような声。語り部よ、耳を澄ましてごらん、耳を。最初はいつも、そんなものだ。いろいろな声が交錯する。だが、そのうちに聞き分けられるようになる。
(p174)


まあ、そのまま(笑)、これはやはりリョサ自身の「語り部」としての決意そのままなのだろう。もちろんサバルタン自身が語っているわけではないが、声なき声を聞くことが重要。
やっと200ページ…
(2012 08/18)

語り部の謎とバベルの塔


昨夜23時に読み始めた「密林の語り部」第6章の前半2/3部分。

偶数章なので「語り手」リョサ(実際どうだったかはともかく、一応リョサ自身が語り手という感じ)の1981年。語り手が関わっているテレビ番組「バベルの塔」の取材でマチゲンガ族が定住をし始めた村へ。

ここで「語り部」に関する謎が。昔は民族学報告が盛んだった語り部に関する発表がここ20年くらいはほとんど見られない…定住化し始めたマチゲンガ族の村長や教師もその話題を避けている…それどころか、語り手に「語り部」の話を1958年にしてくれた現地でずっと研究しているシュネル夫妻もその話題を忘れて?いたようだ。いったい語り部に対する何が変容したのであろう…シュネル氏(夫)はやがて二度会った語り部の話を語り始めるのだが…
と、いうところまで。

で、さっきもちらと触れた「バベルの塔」というテレビ番組。文化というものは様々な側面から取り上げることができる…というコンセプトのもとで、ペルー国内、そして国外にも取材するドキュメンタリー(なのかな?)。
リョサ自身の体験も多分あるのではないか。語り手イコールリョサかはともかく、「シナリオライター」でもラジオドラマに関わっていたみたいだし。ラテンアメリカの作家って、マルケスもそうだけどテレビや映画に積極的なところあるし…

で、この「バベルの塔」。語り部への導入部というにしては長めで、しかも無茶苦茶興味をそそられる。ボルヘスやサバトへのインタビュー? パナマの独裁者の別荘での滞在(しかも取材後2日後に語り手達も乗った飛行機の事故で死去)? もし、この番組がある程度リョサの体験であるのなら…CS辺りでやってくれないかなあ…

(補足? では語り手はどうなったの? このパナマの独裁者で飛行機事故で亡くなったトリホス将軍に関しては…
「トリホス将軍の死」グレアム・グリーン 斎藤数衛訳 
グレアム・グリーンとガルシア=マルケスが、トリホス将軍に会った記録
…ということは、語り手はマルケス?
以上、補足は 2022 04/02))

語り部の謎(続)

 何でもかんでも、少しずつ、頭に浮かんでくることをだね。
(p240)


シュネル氏の語り部の話から。思いついたことを前後の脈略なく話す…原始の話者は現代の「未開」の語り部とは果たして似ているのだろうか?

で、語り部の謎だが、どうやらサウラ(イスラエルには行ってなかったみたい)自身の問題と関係があるみたい。
語り部=サウラが外部から隠れることを望んだがゆえに、マチゲンガ族は彼の存在に触れないようにした。サウラ自身の理由とは、第2章で彼自身が言っていたマチゲンガ族を外部から守るという抽象的なものではなく、もっとサウラ自身に密着したもの。そう、サウラの顔の大きな痣。彼そしてマチゲンガ族はその痣を外部に見せることを嫌って、語り部の存在に触れないできた。

これも第2章で言及されている、障害を持つ子供が生まれたらすぐ殺してしまう、という記述は、サウラ自身にはどういう影響をもたらすのか?ひょっとして、語り部という制度そのものが、そういう障害を持つ人々への隠れ場所になっているのかも。中世ヨーロッパの場合も似た制度だったような気が…
でも、まだわかりませんよ。あと第7、8章残っているし…
(2012 08/19)

いよいよ第7章。語り部がいかにして語り部となったか、を語っていくみたいで、「変身」の変奏も流れて、奇数章と偶数章がやがて結び付く…のか?

「変身」の次はユダヤ教とキリスト教の物語・・・らしい。放浪というキーワードでユダヤ人とマチゲンガ族と結びつける構想みたい?
(2012 08/20)

謎と話


「密林の語り部」読み終えた。語り部形成の謎、語り部の写真の謎、そしてフィレンツェ問題…と謎はいろいろ謎のまま。謎が熟成すると読み手の中で何かが起こる?
解説では哲学・神学・そして文学の共通項が言葉→話として指摘されている。人は何故他人の話を聞くのか?他人に話をするのか?最大の謎である語り部形成の謎もその辺りに何かがありそうだ。
(2012 08/21)

参考:ナショナルジオグラフィック2016年6月号に、ペルーのマヌー自然保護区の中のマチゲンガ族の話が出ている。
(2016 05/28)

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