『過去の握力 未来の浮力』を読んで苦しくなったこと
ジェーン・スーさんと桜林直子さんの人気ポッドキャスト番組「となりの雑談」の内容などをまとめた本を読んだ。
読んだあと、現状がいっそう苦しくなり、さらに今、路頭に迷う状態になっている。
どうにかアウトプットして、落ち着くといいのだけれど…。
ポッドキャストは開始当初からずっと聞き続けていて、わかりづらいところをメモしたりして、耳で理解するというよりは、書いて理解するほうがしやすいわたしにとって、待望の書籍化だった。
ポッドキャストのように対談風の形がずっと続くと思っていたら、スーさんとサクちゃんそれぞれの解説ページがあって、しかも「重要なところには太字」があり、とてもわかりやすかった。
スーさんがラジオの「相談は踊る」などでよく「ここ太字ね」と言うところ。まさにその部分が太字になっているのがとてもよかった!
今回読んで、わたしが気になった項目は6 点あった。
これは、自分が読むタイミング、心境、環境で、捉え方が全く違ってくるだろうなと思った。
①自分を知るワーク(サクちゃん)
このワークは、以前サクちゃんが、ポッドキャストの中で話していた。
そのときメモして、自分で書いていた。
今振り返ってみても内容は大きく変わらない。
でも書いた当初は、全く分析する術がわからず、「書きっぱなし」の状態になっていた。
なのでこの本を読んで、書いたことをどのように読み解いて、今後に活かせばよいかのヒントになったので、とてもよかった。
これで、自分がいやだと思うことが満載の平日(労働時間)を送っていることがわかってしまった。
②未来の浮力(スーさん)
本のタイトルにもあるこの言葉。「過去の握力」も含めて、一回聞いただけでは、理解しづらい言葉だと思う。
その言葉の意味をスーさんが本の中で、丁寧に解説していた。
「自分なら大丈夫だろうと思えることが、世界や自分に対する信用」
「自分を信用できるのは、今日もまあまあ生きているから」
確かにその通りだ。
なんやかんやあるが、なんとか生きてきた。
そして、わたしにいちばん響いたのはここ!
「つらいことも嫌なことも、突然事故のようにぶつかってくるけれど、待っていれば勝手に楽しい方に上がっていける。それが未来の浮力」
コロナ禍の頃から、頻繁に「正常性バイアス」という言葉を耳にするようになった。
防災意識が語られるときも、この言葉がよく使われる。
「異常事態が起きても、わたしに限ってそんなことは起こるはずがないと考えて、心を落ち着かせようとすること」だと思う。
この「正常性バイアス」を持つことがよくないという、脅しのような風潮が、コロナ禍において、テレビなどの報道を見ていると感じるところがあった(感じ方は人それぞれです)。
なのでわたしも、「コロナにかかったら大変なこと(異常事態)になるので、決して楽観視してはいけない」と思い、「正常性バイアスを感じることはいけない」と、考えてしまうようになった。
それは、わたしが極度の心配性であることから、いっそうその思いを強くしてしまったのだと思う。
幼い頃から、ありもしない心配を無理やり近くまで持ってきて、心配するようなところがあったので余計に。
そして、「まさかうちの子に限って…」みたいな異常事態が実際に何度か起きたことがあり、「やっばりね」の経験を積んでしまっていたので、その意識がより強固になってしまった。
そんな風に最近まで過ごしてきていたので、スーさんのいう「未来の浮力」が、じつはまだ完全に信じきれない。
どこかで、というか、ほぼそうだと思っているのだけれど、「そんなに調子にのってんじゃない」と、親に怒られそう。
だから怖いという感情が出てくるときがある。
今さらながら、そんな声におびえるとは…。
でも、スーさんが言う「未来の浮力」を少し信じてみようかなと思った。
それは、自分を信じることにもつながるのだから。
③相手を主語にしないで、自分を主語にする(サクちゃん)
これは、子育てをするなかで、この考え方をしないようにしようと意識していたことだった。
子どもが言うことを聞かなくて注意するとき、「〇〇ちゃんがこういうことするのがいけない」という注意の仕方ではなく、「〇〇ちゃんがこういうことすると、ママは悲しい」というように、自分を主語にした言い方で注意したほうがいいと、何かで読んだ記憶がある。
それが心に残っていて、子どもを叱るときに気をつけていた。
実践できないこともあったけれど…。
また、職場や子ども以外の家族とのことでも、「自分は変えられても相手はどやっても変えられない」ということは、肝に銘じていたので、つねに意識していることではあった。
職場や家族のイライラに振り回されないように。
おそらくスーさんも、ラジオの相談コーナーでもよく言ってることだと思うので、わたしの中に染み込んでいたはず。
それなのに、いつもまだ、振り回されていた。自分以外の人の行為に。
そして、サクちゃんが「地獄のあみだくじ」と表現していたけれど、いつもの負のパターンに自分がはまることをどこかで「ほらやっばりそうだよね」と、安心しているようなところがあったのかもしれない。
そんなことに気がついてしまった。
なんと恐ろしいことでしょう…。
自分の中から湧き出てくる気持ちを無視して、押さえつけて、相手の行為こばかりを見て、勝手に相手の気持ちを想像して、それにまだ振り回されている現実。苦しい…。
④困難乗り越え物語(サクちゃん)
③の話と繋がるのだが、いまだにわたしは「困難を乗り越えないと幸せは手に入らない」と思っている。
昭和の思想かもしれないし、親もそう言っていたし、自分でもそう思ってきた。
人生は因果応報だと思っているところがあるし、スポーツでも勉強でも、苦労して練習や勉強をしないと、優勝や合格は手に入れられない。
人生楽ありゃ苦もあるのだ。
もろちんそのとおりのところもあるのだと思う。
実際、子どもにもそう伝えてしまっているのだけれど(いいのか?)、この本を見て、「えっ? 自分を喜ばせる物語にしていいの?」と思ってしまった。
これは正直、まだそう思っている。
あえて茨の道を選んで掴み取ることこそが本物だと、まだ思ってしまっていて、なかなか手放せない。
今後の大きな課題だと思う。
⑤先の想像力ができるほどチャンスを逃すかも(スーさん)
これはスーさんの解説のわたしなりの意訳なのだが、これがまた衝撃だった。
③と④にもまた繋がることだが、極度の心配症なわたしは、「こうなったらどうしよう」と考える癖がものすごい強い。
それでトラブルを未然に回避してきたことも多々あっただろう。
時々失敗して親に「ほら、だから言ったじゃない」と言われるのが、ものすごく嫌いだった。
だからそう言われないようにものすごく気をつけてきた。
たとえば、お正月に祖父と従兄弟とおもちゃ屋に行って、好きな物を何でも一つ買ってあげると言われ、従兄弟は豪華な物を買ってもらっていたが、わたしはいちばん欲しい物を言えずに、すごく安い小物(リカちゃん人形本体ではなく、いちばん安いリカちゃんの洋服)を買ってもらった。
豪華な物を買ってもらうと、母にあとから怒られると思ったのだ。
だが母からは「なんでそんな小物にしたの? お正月なんだからもっといい物買ってもらえばよかったのに」と言っていた。なんだそれ。
そんな風にトラブルを未然に回避する癖が異常についていて、それは、今の仕事にとても役立っていて、スケジュールが崩れたり、ミスが起きたりすることを未然に防ぐという、立派な仕事になっているのだが、それがわたしの唯一の長所ぐらいに思っていたが、それがなんと、チャンスを逃すことになっていたとは!
「ダメだったとしても立ち直れないほどのダメージにならないし、自分の価値を根っこから毀損することにはならない」
という!
慎重すぎる自分の性格が、自分で自分の首を締めてきたのだね…。
もう少しわたしも、おめでたい人になりたい。
⑥嫌なときはノーと言う(スーさん)
言葉にすると、簡単そうに見える。
そりゃそうでしょ、嫌なことは嫌だと言えないと。もう50歳なんだし。
そう思っているし、嫌と言っているつもりだったけれど、まさにまだ「つもり」だけだったかもしれない。
嫌と断る自分が無能だと思ってしまっていた。
能力がないから断るんだ、自分は弱いからと、考えてしまっていた。
いい年齢をして、「嫌だ」なんて言ってはいけないと思っていた。
が、今年は、4人以上の飲み会は行かない、有休は率先して取る、残業はしない、などという、「自分が嫌なことはやらない」を少しはできるようになってきた。今さらだけど。
まだスーさんがお勧めする「50過ぎたら女は舌打ち」がうまくできない気がしているが、去年よりはできた気がする。
ならよかった!
かなりのネタバレ満載でお送りしました。
とにかく、胸がえぐられるような、痛みが伴う衝撃的な本だった。
が、イラストがとても温かくてほっこりしたし、本の紙の手触りがすごくよくて、デザインはシンプルで読みやすく、なぜか寄り添ってくれるような優しさを感じる、とてもいい本だったな。
またタイミングを見て、何度も読み返したり、新たな気づきを与えてくれるだろう。
本の魅力をまた、大いに感じられた一冊だった。
そして、自分の気持ちも少し落ち着いた?気がする。