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『蔦屋』が背中を押してくれた話

「え、嘘やん……!!」その本を見た瞬間、驚いてしまった。

先日、天王寺にあるスタンダードブックストアに行ったときである。本屋さんが本屋に関しての書籍を扱うコーナーがあった。

「面白いコーナーやな〜」と思い、本をみていたら絶版されていた本が売っていたのである。

いつか読もうと思い、アマゾン、楽天などのECサイトでチェックはしていたのだが、絶版されているということは知っていて、紙ベースのものはもうないだろうと思っていた。実際にKindleでも買えたわけなのだが、どうしても紙の本として読みたかったのだ。

「蔦屋がある……!!」

店内で、パラパラと本をめくってみると、古本として売られていたのだが、状態も良く。こんなに安くていいのか?(金額200円也)と思ったほどである。秘密のお宝を見つけ出したように、光の速さでレジに向かった。



蔦屋重三郎(通称 蔦重)蔦屋書店の名前の由来にもなっている。江戸時代の版元(出版者)である。今の出版の基礎を創った人であり、AKB48の秋元康のようなプロデューサーと称しているブログもあった。そして、現代にも通じるビジネス、コミュニティが形成される描写が多数存在している。


江戸時代にあった。
蔦重が店主の本屋「耕書堂」

『吉原細見』という吉原の遊女の格付けをしたガイドブックがあり、耕書堂のものは特に詳細に書かれていた。吉原に足を運ぶ人はこぞって、購入した書籍であり、その本が現在でいう「ストックビジネス」「サブスクリプション」のようなもので、莫大な資産を生み出していた。そのため、お金に関してあまり困った様子はなかったのだろう。

また、蔦重は吉原(コミュニティ)に絵師、戯作者などを呼び、そこで集まった人たちとともに、どんな本を売るか、また時代の流れに乗るためのヒットコンテンツを企画したとされている。

読み進めるたびに蔦重の生涯、書籍を通じて江戸を変えようとするその姿がとてもカッコよく見えたのである。

「そっちの方が面白そうじゃないですか!」
「きっと、人の縁だけがあたしら本屋の全てかもしれませんねえ」

不思議と心が熱くなる言葉を見るたびに、自分もその蔦重のファンになっていく。故人がそのような言葉を話していただろう。そして、その言葉が現代の自分に響くものがあった。

令和の時代、コミュニティも実際に顔を合わさなくても、パソコンやスマホがあれば、自分の思っていることを伝える手段が多数ある。もちろん、個人で企画を立てるのも容易であるが「人と人との縁」がなければ成立しない。

「#みんなの2000字」

蔦重のように自分は、企画を通じて楽しんでいた。様々な人の記事の投稿を読むたびに、自分ももっと書けるようになりたいと心の底から思った。そして、普段の自分だったら手にとらないような作品を読むたびに、創作のカタチは十人十色、奥が深い。まだまだ面白いものがある。全てを自分のものにしていきたいと感じた。

「こんな表現があるんだ、こんなに面白い体験をしているんだ……」

毎日、新しい言葉に触れるのは新鮮だった。

1週間という短い期間で投稿してくれた書き手の思いに触れて、感じることができたのは貴重なことだった。2000字という限られた中で、自分を表現している。書いたものがどんなふうに広がって、そしてどんな読者に届くのだろうか。とても楽しみだ。

蔦重は面倒見がよく、人の才能を見抜くの術を心得ていたとされている。

自分は面倒見が良い方でもなく、人の才能を見抜くような術を持っているわけでもない。ただ、記事を投稿してくれた人たちが創作を通じて、どんなクリエイターになるのか。これからの作品がどんなものになっていくのか。とても楽しみなのに変わりはない。

『蔦屋』を最後まで読んだとき、ふと思ったことがある。

書籍をつくることは当時のクリエイターにとって最高のものだと思うのだが、蔦重は本を作ることで、絵師や戯作者を知ってもらおうとしていた。その良さを伝えようとしていたのではないかと、

しかし、彼にとっての手段の一つであったのだろう。

本人は、クリエイター同士がお互いの技術を披露して、新しい何かが生まれる瞬間をこの目に焼き付けて自分自身が楽しもうとしていたのではないかと思っている。

気になる方はリンクを貼っておきます。







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ふみー
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