いくつであっても前に進もうとするなら、きっと答えが見えてくるはず(ルミさんVer.)
ひどい顔だ、死んだ目で。涙を流すよりも気合を入れろ。
口紅を塗り直し、深呼吸をして、鏡に映る青ざめた顔を見返す。
落ち着け私。
オシャレなインテリア、苦手なパーティーの席、華やかな場所、美人、誰とでも会話を始められる場慣れしたイケてる人、ひと、ヒト。
パーティー慣れした彼女は優雅な身のこなしで悠然と人の中を泳ぎ、談笑を交わす。
見下した目で
名刺を持っていなければ、つながることもできないよ
そう捨て台詞を吐くと、おじさんは人波の中に消えていった。もうたくさんだ、どこの大学出身だの、元代議士だの肩書だけ並べた名刺を出し、見ず知らずのえらそうにしているおじさんとなんて、最初からつながる気なんてこれっぽっちもない。
こちらから願い下げよ。
だけど、強がる心がカラーンと虚しく響く。
家族や仲間の陰にいないと怖くて身を屈め、岩かげに隠れる魚のように、壁の花を決め込んで。
強がったところで説得力などあるはずもない。比べたところで比較対象にすらならないの。こんな惨めな私。
もう大人なんだからパーティー慣れしてくださいよ、これからは自己紹介だって場数を踏んで、短時間ですぐに分かってもらえるようにしないと。
不安とパンパンに膨れ上がった感情は、針でなくても指でつついただけでも大きく破裂する寸前だった。
平静を装って、自分をだましだまし家路につく。
家のドアを開けた途端に、あのおじさんの顔と言葉が脳裏で鳴り響いた。あの見下した表情と、投げ捨てるような言葉が私に再び襲い掛かる。
そんなことを言って誰とでもつながろうとする人なんてまっぴら、こちらからお断りしたい。その人の名刺を破り捨てた。
心がざわざわと波立って、涙が波に乗って流れだす。
自信がないなら自己紹介だって練習あるのみ 単なる準備不足でしょ。
内側の自分に冷たく言い放たれた。当然だった。
***
新卒で入社した頃は、正社員8時間労働が当然の時代だった。
その時間+残業が続く日々、時代の波にのまれ、社内の変革、一寸先は闇、何が起こるかわからない時期に私の体は、精神は耐えきれなかった。
「お前には会社員は向いてないよ」先輩からそう言い放たれたのも、ちょうどこの頃だった。
それから数年後、自分でもできる働き方をみつけ、自分なりの折り合いをつけ、何とか納得しながら働く私が、やりたいことを見つけた。
想いを伝える文章を書きたい、熱量を伝えたい
それでも
「理想は高く、身は低く」
小さなころから言われ続けてきた言葉がずっとのしかかる。
何を青臭いこと言ってるんだよ、立場をわきまえなさい、出来るわけがない…
いくつものブレーキがかかった心。いい加減ノロノロの安全運転だけでは始まらない。
***
普段から大勢の中で話をすると、胸が詰まって重く苦しい。
居場所を見つけられない不安と居心地の悪さで逃げ出してしまいたいほど。
理由は分かり切っている、ひとかけらも自信がないから。
知っている人の横にいられたら、顔が見えたら安心していられるのに。
自己アピールをして率先して知らない人に話しかけに行くなんて、とてもできなくて。
少人数であればじっくり深く話すことは大好き。むしろ饒舌になってしまうほどの偏愛だってあるのに。
会社員経験が少ないこともコンプレックスの一つ。身につけておくべき身の処し方、社交辞令がうまく出来なくて、苦しくて苦しくて感情がこぼれだしそう。お祝いの華やかな場にこんなドロドロした感情は似合わない。ごめんなさい、場違いな私がここにいること。
***
8時間労働に耐えられない体力、心身ともに不調をきたし、夢を抱いて入社した会社は2年でドクターストップ。
その後の自宅療養、さらにもう一度地元で就職した時も2年1か月で同様の結果。
いつだって2年の壁が大きく立ちはだかる。
会社ではたった2年しかいられなかった私のためにたくさんの送別会が開かれた。家にはむせ返るほどのお花が咲き誇る。
大学時代の友人からは、すっかりやせた私を気遣うように、また戻っておいでと食事会が開催された。
その後、
大学時代の友人は出世し、外資に転職し、人生を謳歌していた。
私には都落ちの烙印が押され、結局一人では何もできないじゃないと思われ、言われ、外出にも制限をかけられようとしていた。
自由を求め、夢破れ、束縛される。
結局ループの中に生きている。
その内に、8時間労働はあきらめて、ゆるやかな働き方を選択する。それが私らしく生きる手段だと、自分なりに理由付けをして、納得させようとした。その中で最大限の努力をしたらいい、お金は稼ぐことができなくても、相手に喜ばれる結果を出せたらそれでいい。役割がそこに見出せる。そう信じて。
自分らしさよりも、自分にできることを選んだ。そこで役に立てるのならば、自分の体力や能力を見極めて、それでよいと割り切った。それでいいはずだった。
この世界を知るまでは。
***
この大きく立ちはだかる壁を、崩すのは今しかない。
年齢、経験、地方在住、母であること。何もかもがネックになり、馬鹿にされ、口にすることすら憚れたかもしれないこの想いを、受け止めてくれる人がいる。
自分の強みは自分ではなかなか判断できない。それを教えてくれる仲間がいる。
ないない尽くしだと思っていた私が自信を持てる場所を見つけることができた。
どれだけ不器用でも、生き方が下手であっても、今この時、世界が開かれようとしている。人のために生きるのではなく自分のために生きる時が来た。そう感じたのはきっと間違いじゃない。
***
出来ないとあきらめることは簡単。それでも今までの人生でこんなにやりたいと思ったことはあるの?ここまで道筋をつけることができたのに、やっぱり無理だったと伝えたら、全てが終わりになってしまう。
あの時に、人の助けを借りてでもやり遂げることの大切さを学んだのではなかった?自分のためだけではなく、支えてくれる人のためにも成功した姿を見せるためにあと少し頑張らなくちゃ。力み過ぎている自分がいるのはよくわかっている、このままの気持ちのまま進んだらまた弾けて粉々になってしまう。だからこそ少し気持ちを緩めながらコントロールしながら進まなきゃ。
広い世界に向かって一人で泳ぎだすのは、怖い。そっと守ってくれる、隠してくれる場所だって見つけられるかもわからない。
それでも、背中を押してくれる人がいるから。
いつまでも怖がってばかりいないで、前を見て歩いていこう。
自分で切り拓くのに必要なものは、多少の我慢と最大限の勇気。
自分で決めたのだから、すぐにくじけて、心折れることなく強く立ち向かう。
大丈夫。きっと大丈夫。
***
こちらは投稿すらできず、下書きのまま眠らせてしまったnoteをマリナさん提案の元「お互いのnoteをもっと良くする会」としてルミさんからアドバイスを頂き、リライトしたものです。
マリナさんアドバイス分はもう少し気持ちが明るくなってから、仕上げたいと思っています。
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