#4:「大好きだから行けない店」に行ってきた
花隈に住んでいた頃、通ったお店がいくつかある。
べつに気負うこともなく、「あ、食べたい」と思えば迷わず歩いて行けたものだ。
でも引っ越してから、心持ちが変化した。
いま住んでいるのは兵庫区で、自転車でたった15、20分。なのに私にとって花隈は、「せっかく行く」町になってしまった。それに日々の子育てやらで、外食が貴重になったことも大きい。
そうなると、大好きなお店に行くのにタイミングがむずかしくなった。お腹や精神の状態が最高じゃないともったいない気がする。せっかく行くなら、空間もごはんも心から味わい尽くしたい。
…そうやって大事にしている場所が、心の中にいくつもある。我ながらめんどうくさいけれど、しょうがない。
ところが最近、自分の中で急にふんぎりがついた日がいくつかあって、そんなお店のうち2つに行くことができました。
その時間の幸せだったこと。
ごはんや ももんち
会社員からママさんまで、さまざまな人で賑わう『ごはんや ももんち』さん。このお店のごはんには、名前がない。
たとえば「親子丼」や「エビフライ」みたいに、タイトルのついた料理とはちがう。"野菜家庭料理のお店" とある通り、名前のない家庭料理が日替わりであらわれるのだ。
店主さんは、まさに旬真っ只中の野菜を「〇〇炒め」「〜の落とし揚げ」とか、素材そのものの良さをいちばん引き出す方法で調理してくれる。
「名前がない」なんて失礼かもしれないけれど、この食材はこの食べ方で!と迷いなく並ぶ料理はどれもぴちぴちと輝くほど美味しそうで、じっさい、とびきりの味なのである。
これほど変幻自在なお料理ができるのは、店主さんの膨大な引き出しももちろんのこと、食材をとても愛しているからなのではと思っている。
ふんだんに使われる野菜は、ご両親が兵庫県多可町で無農薬で育てたもの。お米、卵に調味料も、一つひとつ大事に選ばれたものであることが、メニューのメモ書きを見るとわかる。
このあいだ料理家の土井善晴さんがラジオで、「食材の顔をよく見て料理をしなさい」「向き合えばどう調理したらいいかわかる」というようなことを言っていた。
ももんちさんのお料理からは、たしかに愛のあるまなざしが伝わってくる気がする。
先日訪れた日のメニューはですね、こんな感じ。
名前のつけられない一期一会のごはんだからこそ、絶対にまた食べたくなるのだ。
cafe licht
ただじっとそこに居りたくて行きたいお店というのがある。
cafe lichtさんは私にとってそういう場所で、だから時間と心が静かになった日にゆっくり行こう、ととっておいた。
そんな日は現実なかなか訪れないのだけど、小雨が降っていたある日、「今日行こう。」と決心がついた。町のしっとりした感じに心も便乗させてもらった。
よく行ったお店に久しぶりに足を踏み入れるとき、何となく緊張してしまう。けれど店主のゆうこさんは相変わらずのほっとする笑顔で、お店のやさしい感じもそのままだった。私はすこし安心して、窓際の席に座らせていただいた。
スコーンとスープ、サラダのランチをお願いして、ぼんやり窓の外を眺める。テーブルに並んだ本の背表紙をそれとなく読んでおもしろそうだなあとか思いながら、穏やかに時間が流れていく。
ああ、こうしていたかったんだなあ、来られてよかったねえ。自分があんまり幸せそうなので、他人ごとのようにうれしい気持ちになった。
運ばれてきたプレートには、あつあつのポタージュスープとたっぷりのグリーンサラダ、こんがり湯気がたちのぼるスコーンが美しく並んでいた。
なにも尖っていない、シンプルだけど何か間違いない美味しさが全部に溶け込んだ、ひと口ごとに幸せになるお料理だった。
帰り際ふと振り返ると、店内にはそれぞれの世界を静かに過ごすお客さんたちの姿があった。「おひとりの時間をお過ごしいただくカフェです」と案内がある通り、みんなひとりだ。
ひとりの時間は静かだけれど、心の内ではなにか豊かな変化だったり対話があったりするのだろう。たくさんの"ひとり"がそういう時をここで過ごしたのかなあ。温かいような神聖なような気持ちを抱いて、そっと店を後にした。
さんぽ後記
大事にとっておいたお店は、とっておいてよかったのだと思った。
もっと早く行けば何回も楽しめたのかもしれないけど、たまに訪れるからこそ心に沁み入るものがあるし、新鮮なよろこびを見つけることもできる。
「せっかくいくなら」と張り切り過ぎていた、妙なハードルはもう無くなったけど、そこで過ごした時間や料理を反芻しながら楽しみを育てていくのも悪くない。
なんていいながら、またすぐに行っちゃうかもしれないんだけど。