ファミマのおむすび『直巻 明太子マヨネーズ』(A型男子のお昼ご飯の話)
シンプルにおいしい。
いや、シンプルどころじゃない。なんだったら世界一上手い。
何故世界一かというと、低価格で、このクオリティ。
僕がA型だからかも知れないが、毎日食べても飽きない。
というかほぼ毎日食べてる。お昼に。
そしてこれを食べてる時にかなりの至福感を感じる。
なにかイケナイ幸せ物質とか入ってるんじゃないか?って思うくらい至福感
を感じ、飽きずによくもまぁ、数年食べてる。
ごくまれに違うおにぎりやサンドイッチに浮気するけど、一年の半分は食べている。ファミマにこのおにぎり一品でまずまずの貢献をしている気がする。値段にしたら知れているが。
世界一と思うのは、めちゃくちゃおいしい肉とか、毎日食べれないって思うけど、値段的にも、飽きが来たり的にも・・・。
でもこれは庶民的な値段で、なんだか毎日食べられる!(個人的感想ですが)
よってコスパ最強のおにぎり。
だから、なんかイケナイ幸せ物質とか、なんやかんや入ってるんじゃないか、なんて思ってしまう。
そんなこんなで、こんな簡単なことで小さな幸せを感じることが出来るようになって、新年も生き抜けてて偉い。
配信でも話題に上がったが、小さい幸せは理解できるし、分かるけど、
大きい幸せって何だ?ってとこで、確かに大きい幸せって何だろう。
例えば健康に生きれることも、小さな幸せであり大きな幸せでもあるような気がするし、瞬間瞬間は断片的なので小さな幸せだと思う。
病気になってしまっても、それまで見えなかった健康の有難さや、本当に困った時に本当に助けてくれたり大事にしてくれる人が分かったりで小さな幸せであり、痛かったり苦しかったりもするけど、人生を豊かにする考え方を気付けるチャンスもあるため小さな幸せだったり。
これに関してはお金関係とか、夢とか、人間関係とかにも同じように当てはめられるので、全ての事柄は実は幸せなんじゃないの?と思えてしまう部分もありつつ・・・
そうはいっても、やはり辛い出来事や記憶なども、人さまざまであるので、全てはそう思えなかったり。
大きな幸せは、小さな幸せを自分なりに拾い集めて、
死ぬ時に大きい、というより、
「こんなにたくさん小さな幸せが拾えて、幸せだったなぁ」
ってことなのかも知れない。
なので、大きな幸せと思われている成功だらなんだら色んな人それぞれが思う栄光やら名誉やら名声やら、そういったものを狙うよりも、
小さな確実な幸せをたくさん拾えるようにアンテナを張って生きている方が、他人がどう言おうがその個人にとっては幸せなのかも知れない。
最近読んだ、考え方の勉強として人がお勧めしていた「ユダヤ人の成功哲学「タルムード」金言集」でも、たとえ話があって、
例えば功績をあげて、いつかどこかいずれ手に入る大きい名誉(情勢によっては手に入らない可能性がある)よりも、
今確実に手に入るニシン二匹をとる、それを積み重ねる、そうすると確実な塵も積もればで、確実な大きな成果となる、といった考え方があった。(簡易に書きすぎて意図が伝わらないかもしれないが)
こちらの方がnoteに書いていたので、リンク張っておきます。
確実な利確を、って話で、これは心の持ち方でもあるんだなぁと。
悪いものばかりを見ていたり、嫉妬したり、情報不足で偏った情報のみで判別していると、どうしても小さい幸せは幸せに見えず、
偏りのせいで、こうでなければならない、と決めつける自分の考えに引っ張られ、小さな幸せの可視出来る数が減少すると思います。
なので多方向から偏りを無く観たりすること、そのために考え方の参考になるものの勉強など選択肢を増やす上でも大事だな、と思ってます。
最近、ミスチルのシングル「しるし」のカップリングの「ひびき」って曲が好きでよく歌うのですが、上記の考え方があった後で知り、
まんま上記に書いてる事じゃん?!
って思って大好きになり、毎回歌ってますw
ミスチルすげぇ、ってなりました、改めて。
ミスチルが先であり、歌詞の内容が分かりやすい上に、本質も良く分かって
なんだか嬉しい気持ちになりました。
反面、歌詞の中にあるような銃声は、戦地だけじゃなく、
普通の場所にもたくさんあって、寂しい気持ちにもなりました。
小さな幸せが伝播するように、知ってもらえるように、
ひびき、これからも歌っていきたいなって思います。
話が逸れましたが、基本僕の話は逸れます。
これが基本だと自分で思ってます。
結論は、ファミマのめんたいマヨおにぎり、好き。
あとこれも幸せ物質豊富で、めんたいマヨのお伴にしてます。
らびゅー。