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『シャイニング』の陰謀論〜謎の数字“42”③奇妙な『おもいでの夏』

 『シャイニング』では“42”という数字が繰り返し現れると言われます。
 本当でしょうか?本当なら、それは何を意味するのでしょうか。、

 ダニーとウェンディがオーバールック・ホテルのラウンジに置かれたテレビで映画を観ている場面があります。
 このとき観ているのは『おもいでの夏』(1971年)という映画です。
 そしてこの映画の原題は“ Summer of  ‘42”と言います。

 
 この場面はテレビ画面のアップから始まり、ズームアウトしてラウンジの全景になります。画面はかなり鮮明に映っているので、『おもいでの夏』を観たことがある人なら、容易に作品を判別できそうです。
もし、この場面で“42”という数字を観客に意識させようとしたのなら、確かに効果的だと言えそうです。


 『おもいでの夏』は、15才の少年が美しい人妻に恋をする話です。なぜ原題に“42”という数字が含まれているかと言うと、第二次大戦下の1942年のひと夏を舞台にしているからです。



 母親と幼い子供が一緒に見る映画としてはおよそ相応しくありません。すでにジャックとは生活サイクルが隔絶していて、目的もなくテレビを見て時間を過ごすしかないという状況を描いているのでしょうか。実際ダニーは映画に興味を示さず、自分の部屋にオモチャを取りに去ります。
 この場面はストーリーの進行や展開にほとんど寄与していません。前後の場面をつなぐ役割くらいしか果たしていないように思えます。ストーリーには不要な場面と言っても良いくらいです。事実、日本やヨーロッパで劇場公開されたバージョンではこの場面が削除されていますが、特に違和感を感じません。

 では、無数の映画の中からこの『おもいでの夏』が選ばれたのは、“42”という数字を観客に意識させるためと断定して良いのでしょうか。

 前提条件として、『おもいでの夏』が『シャイニング』と同様にワーナー・ブラザース配給の作品だから使用許諾が取りやすかったという理由があるでしょう。
 ホテルに来る前にアパートのテレビに映画が映っている場面がありますが、それも『カーソン・シティ』というワーナー・ブラザース映画だそうです。 
 こちらはどこをどう見ても“42”という数字はひねり出せません。

 この場面には、もう一つ奇妙な事があります。
 このテレビにはアンテナ線も電源コードも繋がっていないのです。このテレビには映画が映るはずがないのです。


 これは何を意味するのでしょうか。実はテレビには何も映っていないのでしょうか。だからダニーはそこから離れてオモチャを取りに行ったのでしょうか。
 ウェンディも正気を失っているのでしょうか。
 深読みし過ぎかも知れません。電源コードが映っていないのは、床を這うコードが見苦しかった、という単にキューブリックの主観的で美的な理由だったのかも知れません。
 それならば、撮影の際はどうやってテレビ画面に映像を映したのでしょうか。
 小道具としてのテレビにだって電源は必要なはずです。画面は合成なのでしょうか。しかし、画面映像の動きに正確に対応して床に映像が反射しています。とても合成には見えません。それに、テレビの右端では電源ランプが赤く点灯しています。
 ということは、このテレビの内部に電源が仕込まれていたか、あるいは電源コードは何らかの方法で巧妙に隠されていたことになります。
 わざわざそんな手の込んだ細工をしたのでしょうか。
 いったい、この場面は何を意味するのでしょうか。
 モヤモヤした気持ちが消えません。
 ④に続きます…

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