fula エッセイ(67)

わたしはほんとうに影響を受けやすく、
お気に入りの小説の舞台となっている土地に
いつか住みたいとぼんやり考えている。

思い詰めていたときに通っていた公園。
告白の場となった神社。
3年間過ごした学校。
近所の花屋。

時代は全く違えど、
ほんのりとその物語の匂いがして、
とてもワクワクする場所。

そう、わたしの頭の中は、
フィクションと現実の区別がとても曖昧になっていて、
それは危険な状態とも言える。

フィクションという一種の想像を、
現実という変えがたいものに押しつけてしまう行為。

わたしがもしその土地に住んだら、
フィクションと現実とのギャップに残念がり、
現実のほう、そして、いまここに居るわたしを
否定してしまったりして、
うまく生きていけないかもしれない。
現実に生きている人々を傷つけてしまうかもしれない。

そこにただ在る現実にフィクションをねじ込むことは、
わたしたちにどのような影響を与えるのだろうか。

聖地巡礼という、
物語の舞台となった土地に実際に赴く行為は、
既に広く知られており、
それが大きな観光産業となるケースもよく見られる。

旅行ガイドの一特集としてまとめられたり、
観光協会とコラボレーションしたり。

フィクションはあくまでもフィクションだから。

現実とフィクションとの区別はついてますので。

このような言葉はわたしはあまり信じられない。
フィクションにどれだけ影響を受けているのか!

フィクションに影響を受けるからこそ、
暴力的な描写や性的描写は年齢制限をかけられているし、
ショックを受ける場面には事前に注意喚起される。

でも、フィクションに影響を受けることで、
前向きに進むキャラクターに投影して
わたしも一歩踏み出せたりするし、
遠くにいる誰かに想いを寄せて優しくなれたりするかも。
そんなポジティブな可能性を信じたい。

どうか、ポジティブな可能性を信じた物語たちが、
この世の中に溢れますように。

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