なぜ私はP&Gを辞めて、「がん検診のマーケティング会社」をつくったのか?
「この仕事って、意味があるんだろうか?」
「もっと世の中に貢献できる仕事があるんじゃないか?」
そう思ったことはないでしょうか?
私にはあります。
それはちょうど、P&Gに入社して3年目。どんどん仕事を任せてもらえるようになったころでした。
私は毎日、徹夜も厭わず、がむしゃらに働いていました。「どうすれば競合他社に勝てるのか?」「どうすればこの洗剤がより売れるのか?」……そればかり考えていました。
ところがある日「待てよ、これって世の中にどれだけ貢献しているのだろうか?」という疑問が浮かんでしまったのです。
今になって考えれば、どんな仕事にだって意義はあります。まわりまわって世の中に貢献しているはずです。しかしそのときは、そこまで視野は広くありませんでした。いわゆる「若気の至り」もあったと思います。
「会社のため」「競合に勝つため」というよりも「もっと人の役に立たなくてはいけない」という強迫観念じみた思いがふつふつと湧き始め、ついには脳から消えなくなってしまったのです。
ーーそして私は、P&Gを辞めました。
このnoteでは、そんな私がその後どのような道を歩み、どのように「人生をかけてやるべきこと」を見つけたのか? について語ってみたいと思います。
仕事の意義を見失っている人、生きがいが見つからない人、キャリアに悩んでいる人のヒントになればうれしく思います。
両親は「お金なんてあとからついてくる」と言った
私の父はドイツ哲学の教授。母は英文学の教授です。
家の中は本だらけでした。両親からは「教育こそが価値あることで、『お金を儲ける』とか『人と競争する』といったことはどうでもいいんだ」と言われて育ちました。
人にものを教え、世の中のためになることをする。それがとても大切なことで「お金なんか、あとからついてくるから気にするな」という環境で育ったのです。
たしかに人に教える仕事というのは、わかりやすい「生きがい」になりうると感じていました。ただ私自身は、そこまで乗り気になれなかったのです。ちょっとした反抗心もあったのかもしれません。
いつしか、人に教える仕事を超えるような意義あることを「人生の軸」にしたいと思うようになっていました。教授や教員よりも世の中に対して大きなインパクトを出したい。そう思うようになりました。
アイデアと実行のあいだには一億光年の隔たりがある
「ビジネス」というものにはずっと興味がありました。
他人が思いつかないようなことを考えついて、実行すれば、お客さんによろこばれるうえにお金になる。それがビジネスだと思っていたし、そういう営みはすごくおもしろそうだな、と思っていたのです。
私は慶應義塾大学に入学すると、早速「ビジネスの種」を探し始めました。
ちょうど湘南藤沢キャンパスができたばかりで、その雰囲気にも感化されました。毎週のようにそこかしこに新しいサークルが立ち上がって、学内で起業するような人たちがたくさんいたのです。
ただ、具体的なビジネスの内容を聞いてみると、失礼ながらどれも別に「すごいアイデア」という感じはしなかったのです。
「それって新しいの?」「そんなことでビジネスになるの?」という感じ。ただ、そんなアイデアであっても半年後には「博報堂さんから仕事もらえたよ!」などという声が聞こえてきました。
その様子を見て「ああそうか、ビジネスというのは考え込むよりも、やっちゃったやつが勝つんだな」と思うようになりました。ビジネスというのはアイデア勝負なのではなくて、行動力の勝負なのではないか。
アイデアばかり出して一向に動こうとしないやつがいる一方で、大したアイデアじゃなくてもすぐに動き出して結果を出していくやつがいる。
やっぱり「思いつくこと」と「それをやること」には一億光年の隔たりがあると強く感じるようになったのです。
飲み会での「思いつき」を実行に移す
あるとき、いつものように友だちとアパートで飲んでいるとき、こんな会話で盛り上がりました。
「SFCの入試って、小論文にクセがあるよな」
「でも、コツがわかれば楽勝だよね」
「じゃあさ、俺たちでSFCの小論文講座開くのってどう? 一人5千円で受験生50人も集まれば儲かるっしょ?」
いつもは「こんなビジネスやったら儲かるじゃん」という話になっても、飲んだ次の日には忘れます。でもこのときばかりは「このままじゃいけない」という思いが強くありました。
友だちは儲け話を酒の肴にして笑っているだけでしたが、私はひとり真顔になっていました。「実現に向けて一歩動き出す自分でいたい」という気持ちになったのです。
私は翌日、新宿文化センターの会議室を予約しました。
友だちに言うと「マジでやるの?」と驚いていましたが、私はマジでした。
バカにされても、とにかくやってみる
小論文講座に人を集めるためには、まず告知しなければいけません。私は模試の会場である予備校の出口で小論文講座のビラを配ることにしました。
とはいえ代々木ゼミナールだけでも、代々木校、池袋校、横浜校、大船校と、いろんなところにあります。模試の終わる時間は一緒なので、何人か雇わないと配りきれません。そこで友だち10人に5000円のアルバイト代を払ってチラシ配りをしてもらうことにしました。
これがちっぽけながらも初めて「人を雇った」経験です。
5000円✕10人なので5万円の初期投資。大学生の私にはけっこう大きなお金でした。「ああ、当たるかハズれるかというのはこういうことか」と思いました。あのとき5万円出した経験は、自分の中でもすごくドキドキしたこととして記憶に残っています。
私が思っていたのは「とにかく一歩踏み出したい」ということでした。ビジネスは思いつくだけではなくて、人からバカにされたとしても、とにかくやってみるフットワークの軽さを持っていたい。そういう自分であることを自分で証明したかったのです。
そういう意味でいうと「小論文講座をやる」というビジネスの中身はなんでもよかったのです。受験生が来てくれるかどうかも、正直どっちでもよかった。「5人でも10人でもいいから来てくれれば最初の目的は達成だ」くらいに思っていました。
ビジネスっておもしろいじゃん
小論文講座、当日。
朝、藤沢の湘南台から車を走らせ、日清食品の本社近くにある新宿文化センターに着いたのは朝9時ごろでした。
「この角を右折すれば文化センターの入口」というところを曲がった瞬間、目に入ってきたのは300人くらいの長蛇の列でした。「え、これって講座のお客さん……?」 会場に着いて開場すると、入り口に用意したお菓子の空き缶ケースには5000円札がうずたかく積まれていきました。
いま思えば大したことのない話なのですが、この光景はいまだに覚えています。これが小さいながらも自分にとって「ビジネスがうまくいく」ということが初めて見えた瞬間でした。
藁をもすがる受験生たちがたくさん来てくれて、講座が終わったあともメールで相談が来たり、家に電話がかかってきたりもしました。アイデアを行動に移せばそれを求めて来てくれる人がいて、その人の役に立つことでお金にもなる。こんなにうれしいことはないし、素晴らしいことはない。
これがビジネスの素晴らしさを実感した「原体験」になりました。
P&Gに入社する
ビジネスの素晴らしさを実感した私は「P&G」のインターンシップに参加。そのまま採用が決まり、大学を卒業して入社することになりました。
P&Gでは「マーケティングの極意」を徹底的に叩き込まれました。
後にUSJを立て直すことになる森岡毅さんに教わった原則が「Perception is everything(認識こそすべて)」というもの。どんなにいいモノやサービスであっても、消費者が「認識」しないかぎりそこには何の価値もないんだよ、という教えでした。
私が最初に配属されたのは、洗剤部門でした。
洗剤は当時、すでに商品が数多く出ており、競合との違いがわかりづらい商材でした。そういう商材にこそ、マーケティングは威力を発揮します。
たとえば、除菌力を売りにした洗剤。その商品を「除菌力がアップしました」と訴求しても、あまり売上は伸びません。
そこで消費者の生活に注目してみるわけです。すると当時は「共働き家庭」が増えており、夜に洗濯して「部屋干し」する家庭が増えていることがわかりました。
そこで「除菌力」ではなく「部屋干ししても臭わない」という部分をアピールすることにしたのです。するとシェアが一気に10%アップしました。
まさに、Perception is everything.
商品は変わらなくても、消費者の「認識」が変わるだけで、購買行動が大きく変わる。マーケティングっておもしろいな、と実感しました。
マーケティングという武器を使って、どうすれば競合他社に勝てるのか? 会社の売り上げが伸ばせるのか? そのことだけを追い求めることに何の疑問も持っていませんでした。
「会社のため」だけでいいのだろうか?
入社から3年が経ち、いろんな仕事を任され始めたときでした。
突然「これだけがんばって仕事をしているけれど、ちゃんと世の中の役に立っているのだろうか?」という疑問が頭をもたげてきました。
洗剤のマーケットは競争が激しいため、半年に一度はリニューアルする必要があります。そうでないと、消費者に飽きられてしまうからです。
しかし、技術的に画期的な新商品を半年ごとに生み出すことは非現実的です。商品は大きくは変わらない……。
そんなときこそ、私たちマーケターの腕の見せどころ。テレビCMでの見せ方や広告のコピーなどで「リニューアル感」を出す。それを繰り返しながら、次の画期的な技術が生まれるまでをしのぐわけです。
ただ、そこには「消費者のため」「社会のため」というよりも、他社との競争に勝ち、シェアと売上を伸ばすという「会社のため」という論理が強くありました。
もちろん会社への貢献をすることはあたりまえですし、会社への貢献がひいては世の中に貢献することにもなります。ただそのときの私は、人生をかけて仕事をする以上、「会社のため」を超えた「社会への貢献」をもっとしたいと思ったのです。
どんな商品でも売上を伸ばせる消費財のマーケター。そこに対する市場の需要は高いものです。
まわりのマーケターも、ヘッドハントを受けては数年おきに外資系企業を渡り歩き、転職ごとに給与をアップさせていきました。それをまわりは「キャリアップ」と言っていたし、自分もそう思っていました。
しかし「もっと社会に貢献したい」と思い始めると、あれほどのめり込んだマーケターという仕事への熱が急速に冷めていくのを感じました。急に今後のマーケターとしてのキャリアに絶望的な物足りなさを感じたのです。
……とは言え、マーケティングの経験しかない自分が、これから一体どんなかたちで社会に貢献できるのか? そのイメージはついにつかめず、社会人3年目にしてキャリアの道標を失ったのです。
「自分が本当は何がしたかったのか……?」 まったくの白紙から考えよう。
私は会社を辞め、ハーバードビジネススクールに留学することにしました。そして、そこで聞いた言葉がまさに運命を変えることになるのです。
ハーバードの入学式スピーチ
ハーバードビジネススクールの学部長は入学式でこんな挨拶をしました。
「社会に貢献すること(Social)と利益を出すこと(Profit)。両者はトレードオフするかのように言われる。しかし、それは間違っている。課題を解決して人を喜ばせることと、それがビジネスとして成功することは、ビジネスのプロがやれば両立させられるだろう」
たしかにこのスピーチが私のターニングポイントになるわけですが、スピーチを聞いた瞬間は「あ、これだ!」というようにビビッっと来たわけではありませんでした。
私は「うーん、やっぱりなんかできすぎた話だな」と少し冷めていました。それがうまくいくなら苦労はないよ、と。ただ一方で「それが本当だったらすごいかも」とも思いました。だから「本当かどうか証明してみたい」という気持ちがわいたのです。
「社会貢献」という言葉には、どこか「清貧」のイメージがつきまといます。私は、社会に貢献したいという「清さ」が「貧しさ」とセットであるところにずっと違和感がありました。
また「社会貢献でお金を儲けることは卑しい」と思われるような風潮にも疑問を感じていたのです。
そんななか、目の前の学部長は「社会貢献と利益は両立しうる」とハッキリ言ってくれました。そのメッセージはボディーブローのように効いてきました。私は世の中に貢献することできちんと利益も出したい。
「社会貢献で健全に儲ける」がその後の私の明確なテーマになりました。
古びたジャンパーを着た男との出会い
ビジネススクールの毎日は刺激的なものでした。
世界のビジネスモデルを学ぶにつれ、私が志したい「社会貢献ビジネス」のネタ帳はどんどん分厚くなっていきました。ただそれでも「人生をかけたい」とまで思える課題には巡り合えずにいたのです。
そんななか、「ボストン研究者交流会」という、現地で研究をしている日本人コミュニティに顔を出し始めました。ボストンにいる研究者どうしの交流会で「私はこんな研究をやっています」ということを月1くらいでプレゼンして、そのあとご飯を食べに行くというものでした。
研究者の交流会に参加したのは、テーマ探しのためでした。
社会貢献をビジネスとしてやる。世の中をよくするためにビジネススキルを生かす。でも、どの領域でそれをやるかのテーマが見つかっていなかった。だから、そのテーマを持っている人に会いたいと思っていたのです。
いろんな研究をしている人がいました。
建築の研究をしてる人もいれば、メダカの研究をしてる人もいれば、バイオの研究をしてる人もいる。でもどれもあまりマーケティングの力が生かせる感じはしませんでした。
交流会で「社会貢献をビジネスにしたい」と語る自分は、畑違いのアカデミックな研究者たちには怪しく見えていたはずです。
1年くらい通っても、なかなかテーマは見つかっていませんでした。
しかしあるとき、石川善樹という公衆衛生の修士課程の学生が「社会貢献をビジネスにするって、めちゃくちゃおもしろいですね!」と声をかけてきたのです。
彼は古びたジャンバーを着て「いやあ自転車盗まれちゃいまして」と言いながら遅れて入ってきました。私の「社会貢献をビジネスに」という話を受けて、こんな話をし始めたんです。
「どんな行動や習慣が人を健康にするのか? それについてはずいぶんわかってきています。公衆衛生の研究者たちのおかげですね。でも、どうすればそういう行動や習慣を起こすことができるかはまだわかってないんですよ」
そして、こう続けるのです。
「例えば、日本人の死因のトップはがんです。がん検診を受けて早期発見できれば、多くのがんは治ります。でも現実は、早期発見できずにいる。治療できないというのは医療の問題ですが、早期発見できないことに対する解決策は医療の中にはないんです。その解決策って、むしろビジネスの世界にあるんじゃないですか?」
私はハッとしました。
これまでP&Gで培ってきた「洗剤を売るためのマーケティングの手法」は、まさに「行動の変容」を起こすためのものでした。Aという商品ではなく、自社のBという商品を選んでもらう。マーケティングという武器を使って、購買行動を変えてもらうわけです。
このマーケティング手法が「がん検診に行ってもらう」という社会課題の解決に使えるかもしれない。
医学が見つけた課題を、マーケティングが解決する。
起業のコンセプトが固まった瞬間でした。これなら自分がプロのマーケターとして磨いてきた行動変容の技術が、世の中の役に立ち人の命を救うようなことができるかもしれない。
そしてその可能性は、自分の人生をかけるに十分なものと感じたのです。
乳がん検診を増やせないか
石川の登場で「予防医療」というテーマに出会えました。そこで初めてすべてがつながった感じがありました。
よし、会社をつくろう。
「紙を一瞬でスキャンするかのようにじゃんじゃん検診して、たくさんのがんを早期発見して人の命を救おう」、そういう願いをこめて社名を「キャンサースキャン」としました。
まず、私たちは日本の乳がん検診に目をつけました。
乳がん検診の受診率は低いので、まだまだ受けてない人がたくさんいます。だとすれば「検診のできる施設をつくって、そこにたくさん人を呼んでくれば儲かるんじゃないか」というシンプルなアイデアでした。
そこでマンモグラフィを備え付けた「検診車」をつくろうとしました。アメリカでは「検診車」がけっこうあって、ショッピングセンターを回っては人を集めて検診をやっていたんです。それを日本でもやろう、と。
しかしよくよく調べてみると、各自治体に施設はすでに十分なほどあることがわかりました。つまりキャパシティの問題ではなかった。問題は検診の場所を増やすことではなく、どうやって「検診に行こう」という気持ちをつくって行動を変えるかでした。
まさに「マーケティングの欠落」が問題だったのです。
いきなり道を間違えるところでした。検診車の運転は石川にやってもらおうと思っていたので大型免許を取りにいかせようとしていました。バスを買う前に気づいてよかったなと思いました。
「医療にマーケティングを持ち込むな」
大学院を卒業し、二人で日本に戻ってきました。
「キャンサースキャン」という立派な社名はあっても、オフィスはありません。いつもの会議場所は渋谷の宮益坂下のドトールの2階でした。
創業の思いをいろんなところで話していると、さまざま人からキーパーソンを紹介してもらえるようになりました。紹介でお会いした一人が、国立がん研究センターの齋藤博先生。日本のがん検診の第一人者です。
そのとき齋藤先生は、がん検診の受診率がなかなか上向かず悩んでいました。研究室を訪れた私と石川は、早速「ぜひ、マーケティングでそれを変えていきましょう!」と提案しました。
しかし先生は「そんな、モノを売る世界のことを医療に持ち込んでほしくない」と怪訝な顔をします。
「どうしたものか……」と思った瞬間、石川が「まあまあそうおっしゃらず、共同研究しましょうよ!」と言うのです。そのあまりにも空気を読まない誘いに拍子抜けしたのか、最終的には齋藤先生と共同研究のプロジェクトを進めることが決まりました。
最初のプロジェクトは杉並区からの依頼でした。
齋藤先生を頼って杉並区の保健所長が「受診率を上げたい」と相談に訪れたのです。私たちもその場に同席させてもらいました。
そこで私は、自治体ががん検診を提供していることや、「受診勧奨」という言葉を知りました。ようするに「受診を勧める」ということなのですが、どんな受診勧奨をやっているのか見させてもらうと、その受診勧奨のチラシにはマーケティングの要素が完全に欠落していたのです。ターゲットのインサイトを意識することもなく、とにかく多くの情報が羅列されていました。
保健所長はこう言いました。
「やっぱりまだまだ啓発不足だと思うんですよ。もっと大々的なキャンペーンをやったほうがいいと思うんですよね」
ただ私は「もしこのチラシを送っているだけだとすれば、ほとんど読まれていないはず。もっと読んでもらえるように、メッセージのデザインと内容を変えればいい。それだけで、受ける人は増えるはずだ」と直感的に感じたのです。
私はこう提案しました。
「問題はキャンペーンではないと思うんです。まずはこのチラシのデザインとメッセージを私たちのほうでやり直してみます。元のチラシと送り分けをして効果を比べてみませんか?」
保健所長は「うーん、そんなことでうまくいくのかな?」と半信半疑でしたが、しぶしぶOKしてくれました。
メッセージを絞っただけで130倍の受診率
すべては初めてだらけでした。
チラシのデザインは友人の奥さんに頼みました。印刷会社に連絡をし、入稿のプロセスを教えてもらいました。
3000通のチラシの印刷と封入が終わると、10箱近くのダンボールが我が家のリビングに積み上がりました。その箱をレンタカーに乗せ、育休中だった妻と0歳の息子を連れて杉並区の郵便局へ向かいました。
当時は「区内特別郵便」の制度なんて知りません。封筒にその印字はありませんでした。結局その場で3000通すべての封筒にスタンプする羽目になりました……。
チラシをどうデザインしなおしたのか? やったことはシンプルです。
まず、情報が詰まったチラシにメリハリをつけること。メッセージを絞って伝わりやすくすること。
強調するメッセージも変えました。
これまでは「マンモグラフィによる検診を受けましょう」というコピーがいちばん目立っていたのですが「10,000円の補助が受けられる」というコピーをメインに持ってきたのです。
検診の内容や細かい乳がんの説明は思い切って省きました。
ここに現物があるので、お見せします。左が「ビフォー」、右が「アフター」です。
結果は明らかでした。
私たちがデザインしなおしたチラシは、これまでのものと比べて実に130倍の受診率になったのです。
マーケティングのノウハウを注入したことで「検診に行こう」という気持ちをつくることができました。自治体向けに検診の案内をマーケティングする。この事業にひとつの手応えを感じました。
杉並区で実績が出せたことで、次のドアが開きました。自治体というのは実績を重視します。キャンサースキャンは東京都庁から「自治体への受診率向上アドバイス事業」を受託することになったのです。
本当に小さな一歩ですが、キャンサースキャンが「社会貢献と利益の両立」を実現した瞬間でした。
あの頃の自分には何もなかった。それでも……
その後も「医学が見つけた課題を、マーケティングが解決する」を軸にしながら、事業は広がっていきました。がんセンターでの研究、研究シンクタンクとして活動した時期もありました。2016年には拡大に舵を切りました。
気づけば会社設立から14年の月日が流れていました。
いま私たちは650以上の自治体とお仕事をさせていただいています。事業領域も拡大し社員は150人を超えています。
ふと思い出すのは、ビジネススクールのつらい2年が終わり、あとは卒業式を迎えるのみという時期のこと。有名な企業から高給なオファーを手にして卒業していく同級生たちを尻目に、私は会社のミッションをパワーポイントにまとめていました。
そのときの自分には何の手がかりもありませんでした。でも不思議と不安はなかったのです。足元で立ち上げる事業はうまくいかないかもしれない。少なくとも、簡単にうまくいくはずはないだろう。
……でも。
自分の人生をかけてやるべきことが見つかった。「洗剤を売っても世の中はよくならないのではないか」と嘆いていた自分が、まさしく「ミッション=使命」を手にした。その喜びを噛み締めていたのです。
社会貢献がテーマでもビジネスは成立する
最後にひとつだけ伝えさせてください。
私が証明したいのは「社会貢献をテーマにしてでも、ビジネスが成立する」ということです。そのことに社会的な意義があると思っています。
これから起業しようとする人が「これは儲かりそうだからやろうぜ」といった価値観でスタートするのではなく、「キャンサースキャンみたいに社会の課題を解決して、それがビジネスになる。俺たちもああなりたいよね」と言ってくれるとうれしい。
さまざまなスキルを持った人が「利益だけ(Profit & Profit )」の世界から「社会貢献と利益(Social & Profit)」の世界にもっとたくさん流れてきてほしい。そう思っています。
うちの会社には特徴があります。
それは、経営会議で「儲かりそうだな」というアイデアが出てきても、不思議とあまり前進しないということです。「まあでも、あんまり意味ないよね」という感じで誰も手をつけようとしない。私も社員たちに対して「お金になるからやろうよ」と言ったことは一度もありません。
一方で「儲かりそうもないけど、これは絶対に必要だよね」というテーマにぶつかるとみんな燃えるのです。
すぐには儲からないけれど、いずれ自社の利益にも返ってくるようなモデルを設計する。ただ「損を出す」のではなく「先行投資」に転換して、最終的にビジネスがきちんと回る仕組みをつくる。
そこには、やっぱり「ビジネスのスキル」が必要です。
入学式のスピーチで聞いた「ビジネスのプロがやれば、社会貢献と利益は両立できる」という言葉。あの日「本当だろうか?」と半信半疑だった私も、会社の仲間たちの力を借りてビジネスを進めていくなかで、どんどん「両立できるんだ!」という確信に変わっていきました。
Social&Profitこそが、世界を変えうる。
私たちはそれを今後も証明していきます。