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梅はバラ科で、桜もバラ科

私は本の好きな子どもでした。

毎週、近所の図書館に通いつめて本を借りていました。
当時は貸出冊数の上限が8冊で、それを各2回ずつ読んでいたので(同じ本を繰り返し読むのが好きだったのです)、月間で延べ64冊くらい読んでいた計算になります。

福音館書店の古典童話シリーズが好きで、『三銃士』や『ガリヴァー旅行記』といった上下巻に分かれたぶ厚い本を見るとワクワクしました。
図鑑も好きで『学研の植物図鑑』を愛読しており、料理している母に向かって「キャベツはアブラナ科だけどレタスはキク科なんだって」とか何の役にも立たない知識を披露して迷惑がられていました。
ことわざ辞典なども好きで「月に叢雲花に風」みたいな、今どき絶対使わない表現を無駄に暗記していました。
また謎の暗唱癖もあり、百人一首くらいならまだかわいいですが、般若心経をブツブツ唱えていたときは気味悪がられました。

本を読んで、知識を増やすのが好き。
覚えた知識を披露するのが好き。
理屈が好き。
間違いを指摘するのが好き。

どうも家族をはじめ周囲の年長者にとっては、こういう私は一言でいうと「生意気」だったようで、ほめられた覚えがありません。むしろ「本ばかり読んでないで外で元気よく遊びなさい」とか「またこの子はヘリクツばかり言って」とか「妹のくせに」とか「かわいげがない」とか言われていたようです(たしかに今思うと私はいやなやつでしたが…)。
正しいことを言うと不興を買う一方で、たまに子どもらしい勘違いなどしていると、鬼の首を取ったように笑われて、家中に言いふらされました。

決して可愛がられていなかったわけではありません。子どものころはいつもおいしいものを食べていましたし、夏休みには家族旅行に行き、モノをねだって買ってもらえなかったこともありませんでした(物欲の乏しい子どもでしたが)。
ただ私に期待されていた役割は賢くなることではなく「ときどきおバカな間違いで周囲を和ませてくれる、末っ子の可愛いお嬢ちゃん」であることだったので、それが家族なりの可愛がり方だったのでしょう。しかし私としてはそんなやり方で「可愛がって」ほしくなどないので「早く大人になって誰からも笑われないようになりたい」と思っていました。

子ども心にも「自分のようなものは世の中であまり歓迎されていないらしい」と薄々思っていたので、子どもなりの処世術で、知識をひけらかしたり理屈を言ったり間違いを指摘するのは控えるようになりました。一方でわざとおかしなことを言って道化に徹する度胸もないので、極端に無口な子になっていました。
それでも図書館があったので、そのことはそんなに気にしていませんでした。私は司書の人たちと親しくなったりはしませんでしたが、図書館というシステムそのものが、私のような人間を肯定してくれていると感じていたのです。いま自分が図書館員になってみると、毎週ひとりでやって来て山ほど本を借りていく子どもは、たぶん温かい目で見守られていたと思います。

そんなある日、新しく知り合った女の子と近所の公園で遊んでいました。
春先のことで、薄いピンクの花が満開になっている木があり、その子は「あ、桜だー」と駆け寄っていきます。
「それは梅だよ」と私(単に「ウメ」と書いた札がついていたのです)。
その子が幹に抱きついて「梅と桜って似てるよね」と言うので私はまた『学研の植物図鑑』を思い出し「梅はバラ科で、桜もバラ科だから似てるんじゃないかな」と言いました。
その瞬間、しまったと思いました。気をつけていたのに、また生意気なことを言ってせっかく仲良くなった子に嫌われてしまう…今の発言をうまく撤回する方法はないか…とぐるぐる考えていました。
その子は枝に手をかけて木のまわりをコンパスのようにぐるっと一周しながら「すごーい、晴れるちゃんて物知りなんだねえ」と言いました。

ただ、それだけの話です。
それ以来、その子と会ったことはありません。学校で全校生徒の中にその子の姿を探しましたが、見つかりませんでした。違う学区の子だったのかもしれません。
その後、私は前より明るくなり、それほど卑屈でもなくなったようです。ただ私などよりあの子のほうが本当の意味ではるかに賢く、人間的にも上だとわかっていたので、淡い敗北感は残りました。

毎年この時期になると、薄いピンクの梅の花が光を浴びてきらきらと透きとおっていたことも、「すごーい」というやさしいのんびりした声も、昨日のことのようによみがえるのですが、あの子の顔も名前も、今はもう思い出せないのです。



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