才能がないからアピールするのだ
ぼくは大学生のときにインターンというものをたくさんした。アルバイトがあんまりハマらず、それよりはインターンとして社員の方とガッツリ働く方が何千倍も面白いぜと思っていたからだ。
その中でひとつ、ぼくはアグリメディアという会社で働いていた。耕作放棄地を再整備して貸し出す「シェア畑」という事業を展開しているベンチャー企業だ。ぼくがインターンをしたときはまだ社長と"もう1人の社員"しかいなかった。創業間もないころで、アパートの一室に長テーブルを一つ置いてみんなで仕事をしていた時期がなんだか懐かしい。
その"もう1人の社員"の方、Oさんとぼくは自然とウマがあった。美大卒だけど社会人になってからほぼずっと農業をやっているという尖ったキャリアの持ち主だった。デザイン・美術・音楽・文学などに造詣が深く、話してて面白くないわけなかった。よく飲みに行ったし、そんな飲みの席にはOさんの美大時代の友達なんかも来てて自然と仲良くなった。絵画やデザインのこと、そしてその他のくだらないことをしゃべっていた。
そんな話になったのも自然な流れだった。美大とは特段縁のない人生だったけれど、絵やデザインに関することが好きだったこともあり、ぼくはとても関心があった。そんなわけでもちろん返事はイエスだった。
それからというもののOさんと美大出身の仲間と色んな大学の学園祭に行くことになった。武蔵野美術大学、多摩美術大学とか。Oさんたちにとっては母校訪問および古い友人との再会というニュアンスが強かったけれど、ついていったぼくにとってはなにもかも新しくて新鮮だった。
今はどうか知らないけれど、大体どこの学園祭も絵の展示というものをしていた。大学の教室には美大生が描いた絵がキャンバスに入れられて所狭しと飾られていた。そしてそれらの絵をぐるっと見て回るのがぼくらの楽しみだった。
そうして一通り展示を見終わった後、ぼくらは大学をあとにして決まって近くの居酒屋に行くのだった。
ビールやハイボールを片手にこんな会話に花が咲く。
おもしろいことに必ずこういう話になるのだ。全教室の中でほんとに数枚だけ光り輝く作品がある。誰が見ても思わず目を奪われる作品がごくわずかにある。それらの作品の存在は教室に入った瞬間に分かり、記憶に残る。反対にそれ以外の作品は目に止まることなくさーっと通り過ぎてしまい教室を出る頃には完全に忘れてしまう。Oさんたちとぼくらはまるで口裏合わせしたかのように、印象に残った同じ絵について思い出し語るのだった。
才能というものの鮮やかさと残酷さ。絵の世界はこの才能というものの支配的な影響力によってはっきりと左右されてしまう世界だ。もちろん観る人次第で好き嫌いというものは当然あるし、それによって持つ感想というのも各々違ってきて当然だ。だけれども「なんかあの絵違うよね?」という強烈な印象は個人の嗜好を超えてくっきりと与えるものであり、その有無を分かつものが才能というものだろう。
ぼくらの仕事はどうだろう?
それに対して才能というものを要さない仕事ってある。というかほとんどのビジネスの現場においては、アウトプットを出すうえで類稀な才能というものが必要不可欠になることはまずないだろう。営業、事務、企画、人事、法務、PM、など職種や仕事の種類はなんであれそこに大きな差はないはずだ。向き不向きは確かにある。だけど天才と凡人を鮮やかに線引きする才能は芸術やスポーツの世界ほどは必要とされないだろう。
そういう強力な才能を要しない仕事は何とかやりくりして自分のアウトプットが光っているように見せないといけないと思う。なぜかというと最初から光っているわけではないのだから。
どれだけ一生懸命デスクワークをやったところで、それがキャンバスに飾られた天才による絵のように「なんだこれは!?」と振り向いてもらうことは至難の技だと思う。なぜならそういう仕事のアウトプットにその人固有のセンスなどが特段求められないからだ。
ぼくは新卒で入ったベンチャーの会社を卒業するときに衝撃的な一言を言われたことを今でも覚えている。最終日にその当時の社長のもとを訪れて今までのお礼を述べた。そしてこんな貴重な機会を逃すまいと思って「今後のキャリアを構築していくうえでなにかアドバイスありますか?」と聞いてみた。
そしたら社長はスマイルを浮かべながらこう言ったのだった。
この言葉にガーンと心をやられた。ぽかんと口をあけたままそのまましばらく動けなかった。
なぜならぼくはアピールしている気でいたからだ。社内でもMVP的なものを取ったこともあったし、上司にも高い評価のコメントももらってもいた。それで充分だろうと高を括ってた。
でも甘かった。周りからはぜんぜんそう認識されていなかったのだ。要は光ってなかったのだ。ぼくが全力で仕事をしたベンチャーでの3年半は、自分が思っている以上にははっきりいって光ってなかったのだ。
ぼくはこの経験から強く学んだ。それは分かりやすいぐらいアピールしてなんぼということだ。そうじゃないと実は周りはぜんぜんあなたの仕事の価値を分かってくれない。
もちろん確かな価値のあるアウトプットを出すことはその前提であり、そのための努力は惜しむべきでない。ただポイントはそのアウトプットの価値をほんとうに周囲に認めさせる努力も惜しむべきではないということだ。
これが天に授けられた歌唱力を持ってすれば、オーディエンスの前でワンコーラス歌うだけで黙らせることが出来るだろう。またはとにかく足が速いとかであれば50m走を大衆の面前で走り切ってタイムを記録させるだけで事足りるはずだ。あなたの才能はそこで既に光っているし、周りもあなたにまばゆいばかりのスポットライトを当ててくるに違いない。
ただいわゆる"普通の仕事"をしている場合にはそうも行かない。日本人は謙虚であることを美徳とするかもしれないけれど、こと仕事のアピールに関しては遠慮はいらないと思う。往々にしてあなたが思っているほど、周りはあなたのことを見ていないからだ。
ぼくはこの学びをその後の転職先のアマゾンジャパンで充分活かしたつもりだ。そして大事なこととしてこの「分かりやすいぐらいアピールしてなんぼ」という教訓はアメリカに来てから大変活きているように思う。それはとどのつまり、このアメリカの職場では「分かりやすいぐらいアピールすること」がスタンダードであるからだとぼくは踏んでいるのだけれど。
今日はそんなところですね。ここまで読んでくださりありがとうございました。少しでも気に入っていただけたらスキしていただけると嬉しいです。
日本に一時帰国したときに逗子海岸を散歩しながらそんなこんなを考えました、とさ。
それではどうも。お疲れたまねぎでした!