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人生は要約できない

今日は「人生は要約できない」という話をしていこうと思います。

僕の家族の夏休み

先週は夏休みで妻の親戚のいる島根に行ってきました。
海の近くだったので釣りをしたり、海に入ったり。あっちの海はきれいですね。家族でなかなかいい夏の時間を過ごしました。僕の住んでいるつくばも、「とかいなか」と言われて、いろんな商業施設もあって便利な中で少し離れると自然もあって、すごくいいところだなと思うんですけど。島根は「自然そのもの」なので。子供たちも普段そんな触れることはない海ですごく楽しんでくれて。今回広島経由だったので、僕は広島のお好み焼きを食べられて、地元の食べ物も味わったりして。いい時間でした。

夏休みの思い出として残ること、残らないこと

今回の、「夏に島根に行って海で釣りをして泳いだ」とか広島でお好み焼きも食べた」とかって、子供たちの小学校時代の思い出のトピックとして残っていくし、写真や動画で残るから、5年、10年経った時に思い出すポイントになると思います。こういう体験を作っていくとか、そのことにお金を使うというところも最近意識したりしています。人生を要約するとしたら、こういうものがハイライトされる部分なんでしょうね。
一方で、例えば夏休みになって、僕は子どもたちのお弁当を作るわけです。
朝いつもよりもちょっと忙しい。そして、お弁当準備することよりも、持って帰ってきたお弁当箱の洗い物がめんどくさい。正直負担です。今朝は長女が一緒に作ると言って一緒にやったりして(といっても、冷凍食品とか、前の日の残りのおかずを詰めるくらいだけど)。
お弁当作りは、長女にとっては夏休みの思い出になるかもしれないけど、少なくとも僕にとっては夏休みのハイライトにはならない。子供たちとの何気ない日常、ただご飯を食べるとか、習い事の送り迎えとか、共に何気なく流れていく時間っていうのは、夏休みの思い出と言われたら間違いなく省略されちゃう日々の生活そのもの。

そこで思い出したこと

僕は医学部に入る前に訪問リハビリでアルバイトしていました。その前は病院で理学療法士として仕事をする中で患者さんの生活を想像しながらフィットするようにリハビリをしていました。でも訪問リハビリで、その人の家に訪問した時に、全く違うものがそこにあって。もちろん想像していたことやリハビリ自体は間違ったものではないんだけど、患者さんそのものの在り方?というのか、患者さんですらないんです。おうちにいて、ようこそ我が家へと、そこにただ暮らす一人の人で。想像していたその方の人生でなく、リアルな生活を見ていくことになって、その中の振る舞いとかを見ていると、やっぱり病院での姿って、その人の本当の姿じゃないんだっていうのを実感して思い知らされました。どんなに僕らが想像して、その方にこう寄り添うつもりで接していても、患者さんが病院にいる時点で仮初めの姿になってんなあ。
これが僕の中で繋がって。
そういう「入院して治療する」っていう、多分人生で大きなイベント、トピックですよね。じゃぁどう暮らしているのかっていう、何気ない、何事もないとされちゃうような日常こそ大事なんだということを思い知ったわけです。

「人生は要約できない」

今日のタイトルの「人生は要約できない」という言葉は、伊坂幸太郎の「モダンタイムス」の中で出てくる言葉です。僕は本当にこのエピソードが好きで。

「人ってのは毎日毎日、必死に生きているわけだ。つまらない仕事をしたり、誰かと言い合いしたり。そういう取るに足らない出来事の積み重ねで、生活が、人生が、出来上がっている。だろ。ただな、もしそいつの一生を要約するとしたら、そういった日々の変わらない日常は省かれる。結婚だとか離婚だとか、出産だとか転職だとか、そういったトピックは残るにしても、日々の生活は削られる。地味でくだらないからだ。でもって、『だれそれ氏はこれこれこういう人生を送った』なんて要約される。でもな、本当にそいつにとって大事なのは、要約して消えた日々の出来事だよ。子供が生まれた後のオムツ替えやら立ち食いソバ屋での昼食だ。それこそが人生ってわけだ。つまり」

「人生は要約できない」

日常の大切さ

僕は本業は医者なので、いくつもの人生の重大な局面に関わらせてもらいます。だからこそ、そうではない何もない日常こそ大切なんだよなと。僕自身、風邪をひいたり、この間捻挫しましたけど、そんな時は「体が何事も無いって本当にありがたいな」と思うんですよね。歩けない足になっては「歩けるってなんて素晴らしいんだろう」と、風邪をひいて体しんどくなった時には「普通に生きていられるって何てありがたいんだろう」とその都度思う。
けど元気になると忘れちゃう。そんなもんだと思います。そうやって人の脳はできている。そんなこと察知し続けたら疲れちゃいますから。日常は認識しないようになっているんでしょう。
でもだからこそ、日常の中にある、何気なく流れていくような、小さな小さな感謝や喜び、嬉しいこともそれはそれで大事なものを表しているかもしれない、僕たちの人生を作り上げていくものなんじゃないかなと思います。
伊坂さんの言葉をそのままパクると

「人生は要約できない」

だから、もし人生を要約するとしたらわすれられちゃうような、そんな今日だったとしても、そんな今日だからこそ、一日を大切に生きていきたいなと思うわけです。
というところで最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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