私の「好きなもの」って何だっけ?という話
私は大学2年の秋から3年の秋にかけての1年間、鳥取大学写真部で部長をしていた。その時のことを思い出したので、備忘録的に今、思っていることをここで書こうと思う。
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私は大学入学当初、「写真部に入る」なんてさらさら思ってもなかったが、暇な休日を潰し、タダ飯にありつけるという理由から、土日に予定されていた「36枚撮りの35 mmフィルムを装填したフィルムカメラ持って鳥取駅周辺の商店街を撮影する」という写真部の新歓ワークショップに参加した。
(愛用のフィルムカメラとフィルムの写真⬅︎後で挿入します)
36枚なんて、デジタルが発展したこの時代にしてみればあっという間に終わってしまうような気がするが、そうはいっても、普通に歩けば15分で通り過ぎてしまうようなつまらない道に3時間かけるくらいゆっくり歩くので、いよいよ何を撮ればいいかわからなくて、「撮りたいものがないです。何を撮ればいいですか」と先輩に聞いた。
すると当時3回生のシマダ先輩は、「好きなものを撮ればいいんだよ。」と、さも当たり前に答えた。
そりゃあ、綺麗な空とか猫とか桜とか、それか親しい友達がいれば別の話だけれど、新歓だからみんな初対面だし、商店街とはいえほとんどシャッター街だし、どうしたものか・・・と思い私が黙り込むと、先輩が続けた。
「何気ないこの道にも、よくよく観察してみたら「なんかこれ、いいな」と思えるものがあるはず。道端の植木だって、歩く目線からだと「いいな」と思えなくても、横から、下から、近づいて見たり、引いて見たりってすれば、「なんかいいな」と思う瞬間がある。そうやって感性がピンときた瞬間に、シャッターを押せばいいんだよ」
その時は先輩の言う意味がよくわからなくて、負けず嫌いの私はそれが悔しくてムキになって、とにかく試行錯誤しながら「何の変哲も無い鳥取の商店街」を撮りまくった。
それから後日、部室で暗室現像をひと通り教えてもらい、ベタ焼き(インデックスプリントのこと)をした。その中から先輩と「良さげな1枚」を選び、引き伸ばして(とはいえキャビネサイズだが)本番のプリントをした。
光で焼いた印画紙を現像液につけて、自分目線の「何の変哲もない鳥取の商店街」の写真が浮かび上がってきた瞬間、「なんかいいかも」と思った。
なるほど、これは確かに面白いかもしれない。
普段目を向けないところに目を向けて「なんか、いい」を集める。ただ時間が過ぎ去るのを待つのではなく、何気ない日常の中の「なんか、いい」にアンテナをはる。そんな機会を増やして感性を磨いていったら、「ただのつまらない日常」がもっとずっと楽しくなるかもしれない。そう思って写真部に入部することを決めた。
(新歓で初めて撮って焼いた写真⬅︎後で挿入します)
そして写真部に入ってからの現役時代は、デジカメよりも、なるべくフィルムカメラで撮るようにした。理由は、これもまた、先輩の影響だった。
私が1回生の時の2回生で、ヤマネ先輩という人が、夏休みに「100 km近くある距離をフィルムカメラと36枚撮りのフィルム1本だけを持ってママチャリで往復する」ということを自発でした、という話を部会でしたことがきっかけだった。
先輩曰く、「36枚しかないからこそ、1枚1枚をよく考えて撮った」と。
当時の価格で、36枚撮りのモノクロフィルム1本、約500円。モノクロは部室の暗室で自分で現像とプリントができるが、時間がかかる。カラーフィルムならだいたい1本600〜1000円くらいで、その後写真屋さんに現像を頼むので、さらに1000円かかる。学生の私には、決して安い金額ではなかった。
だからこそ、1本を大事に、1枚を大事にする。丁寧に、何が自分の「いい」と思ったものなのか、考えて撮る。もちろん「あの時撮っておけばよかった!」という後悔は何度もしたけれど、出来上がった自分の「ベスト36」のインデックスプリントを見た時に感動したんだ、と、先輩は言った。
確かに、「ただ綺麗だな」と思った風景をおさめるなら、スマホのカメラで十分。フィルムカメラだからこその色が、持ち味が、良さがある。その考えに感銘を受けた。
そんなわけで、いっときはフィルムカメラで撮ることにこだわり、徹夜で暗室に篭って現像して、ということを繰り返していた私だが、特に3回生になってから、部長として部の運営やら学内・学外でのカメラマンのバイト(色々掛け持ちしていた)やら勉強やらで、次第にデジタルカメラばかりになっていった。
そして写真部を引退してから、もう4年が経った。私の2回上、1回上、1回下の代の元部長たちは、今もカメラを続けている。何なら1個上の先輩は、誰もが知る、東京の某大手新聞社でプロのカメラマンになった。彼らのインスタのサムネイルをざっと見ると、どの写真も「いいな」と感じる。
きっと3人とも、各々が「好きなもの」を撮り続けてるからだろうな、と思う。
一方で私は、カメラ関係のバイトでCanon 6Dを使うくらいで、アフリカに留学した後はそれも辞めてしまい、6Dは売ってしまった。現在はオリンパスのOMD-EM10を所持しているが、ほとんど持ち歩いていない。
さて、前置きがかなり長くなってしまったが、ここからが今回の記事の本題になる。
かつて写真部で一緒に活動した先輩や後輩が時折アップする写真が素敵で、なんか羨ましくて。私も久しぶりにカメラを手に取りたいなと思ってみたものの、何を撮ればいいのかわからずに持て余しているのだ。
かつて先輩に「好きなものを撮ればいいんだよ」と言われたことを思い出した。
好きなものって何だろう?
惰性でやるんじゃいいものは撮れない、と私は思う。自分が心から「いい」とか「好きだ」と思ったものでないと、結局続かない。
私は「考え過ぎちゃう」ことが自分の短所だけど、かといって、「何も考えないで好きなものを撮る」には、まず「自分の好きなもの」が必要だ。
私の「好きなもの」って何だろう?
「なんか、いい」と思う瞬間が減ったような気がするし、「綺麗だから「とりあえず」撮っとく」、そう思って写真を撮る瞬間が増えた。いや、むしろカメラを向けることすらなくなった。「忙しい」を口癖にする機会が増えた。日常のふとした「いい」に目を向けるアンテナが、感性が、なくなりつつあるんだろうか・・・・・
まあ、自分が元々つまらない人間であることには間違いないんだけど、このままこのモヤモヤを放置して、社会に適応して順応してただひたすら時間が過ぎ去るのを待ってるだけだったら、きっと私は今よりも、もっともっと「つまらない人間」になってしまうような気がしている。
豊かな感性を持ち続ける人間でありたいな、と思う。
そのためには、今こうしてモヤっとしてることを解消したい。まずは自分の「なんかいいな」と思えるものは何か、何が「好き」なのかを探すことが当面の目標になりそうだ。初心忘るべからず、だ。
・・・ところで、留学後に「なんか展示やりたいなー」と漠然と思い描いていた目標があったのだが、量も質もなくてどうやら実現しそうにないので、就職後に日常やら出張先の写真やらを撮り貯めて、いつか将来鳥取という地で実現したい。
(写真:2018年の初夏に開かれたプロ・アマ合同の公募展「交差点」のトークセッションを、ギャラリーそらの主宰・安井さんがまとめた記事。残念ながらこの時の目標は、すぐには実現しそうにない)
(写真:いずれも鳥取を拠点に活躍されているプロの方々。公募展「交差点」で一緒に展示を行った。それぞれ写真・カメラに対する向き合い方や撮りたいものはバラバラだったが、お三方の作品はいずれも見ていてワクワクしたし、学ぶことも多かった。)