短歌AIバトル選手権 2回戦の結果発表
記念すべき第1回短歌AIバトル選手権、2回戦の結果をお知らせします(筆名は伏せてあります)。
1回戦の結果はこちら。
今後の予定ですが、
3回戦の結果 5月25日(木) 早朝
4回戦の結果 5月25日(木) 夜
決勝の結果 5月26日(金) 夜
に発表していく予定です。国際試合の海外中継か!とでもいうべき早朝時間の発表も混ざっていますが、ご了承くださいませ。
では2回戦の結果発表です!
2回戦第1試合
★AIがいつしか自我を持ったなら七道輪廻をするのだろうか [WIN]
・AIに「愛」と愛称つけてみる名前に勝てる日は来るのかな
■AI評
「AIがいつしか自我を持ったなら七道輪廻をするのだろうか」の短歌が、「AIに「愛」と愛称つけてみる名前に勝てる日は来るのかな」の短歌より優れていると評価します。
以下、その理由を詳しく総括します。
「AIがいつしか自我を持ったなら七道輪廻をするのだろうか」という短歌は、AIが自我を持つという深淵な思考と、それが人間の死生観、特に輪廻という概念にどう影響を与えるかという問いを提示しています。この短歌はAIの可能性を象徴的に描き出し、同時にその影響が人間の根源的な観念にどう関わるかという問いを投げかけます。これにより、読者は自身の視野を広げ、人間の存在とAIの可能性について深く考える契機を得ます。
一方、「AIに「愛」と愛称つけてみる名前に勝てる日は来るのかな」という短歌もまた、AIの感情理解の可能性を探求していますが、この探求は「AIがいつしか自我を持ったなら七道輪廻をするのだろうか」の短歌ほどの深遠性を備えていません。
したがって、全体を通じて、AIの自我と輪廻という深遠な主題を探求する「AIがいつしか自我を持ったなら七道輪廻をするのだろうか」の短歌が、「AIに「愛」と愛称つけてみる名前に勝てる日は来るのかな」の短歌よりも優れていると評価します。
2回戦第2試合
★AIが人間の真似し人間がAIの真似するイタチごっこ [WIN]
・人間に似なくていいよそばにいて「大丈夫」って繰り返してて
■AI評
「AIが人間の真似し人間がAIの真似するイタチごっこ」の短歌の方が、「人間に似なくていいよそばにいて「大丈夫」って繰り返してて」よりも優れていると判断します。
全体を総括し、この結論に至った理由を説明します。
まず、「AIが人間の真似し人間がAIの真似するイタチごっこ」は、現代社会の深淵を巧みに描き出しています。AIと人間が互いに模倣し合う様は、テクノロジーが人間社会に及ぼす影響と、人間がテクノロジーに影響される現象を象徴しています。そして、「イタチごっこ」はこの無限の模倣の循環を端的に表現しており、その洞察の鋭さと表現の巧みさが評価されます。
一方、「人間に似なくていいよそばにいて「大丈夫」って繰り返してて」は、恐らくAIや他者に対する人間の求める存在感を描いています。しかし、そのメッセージは「大丈夫」という具体性の乏しい表現に頼り、全体として表現の深さや多面性がやや欠けていると考えられます。また、その表現は一般的な人間の経験や感情を示していますが、前述の短歌のような社会的な洞察や象徴的な意味合いを欠いています。
以上のような理由から、「AIが人間の真似し人間がAIの真似するイタチごっこ」の方が、「人間に似なくていいよそばにいて「大丈夫」って繰り返してて」よりも優れていると評価します。
2回戦第3試合
★AIは「好き」と「嫌い」がわかるかな?「love」と「like」の違いもわかる? [WIN]
・AIは境界線を知りたがる例えばぼくと春の違いを
■AI評
「AIは「好き」と「嫌い」がわかるかな?「love」と「like」の違いもわかる?」の短歌の方が、「AIです むちゃぶりされても怒りません怒りませんけどイマニミテロヨ」よりも優れていると判断します。
全体を総括し、この結論に至った理由を説明します。
「AIは「好き」と「嫌い」がわかるかな?「love」と「like」の違いもわかる?」という短歌は、人工知能が人間の微妙な感情の違いを理解できるかという問いを提出しています。「好き」と「嫌い」、「love」と「like」の感情的なニュアンスを理解することは、人間の感情的な経験に深く根ざした能力であり、その能力をAIに疑問形で問うことで、人間とAIの間の感情的なギャップを効果的に描き出しています。
一方、「AIです むちゃぶりされても怒りません怒りませんけどイマニミテロヨ」の短歌は、AIが突然のリクエストに対しても怒らないという事実を強調しています。しかし、その表現は比較的直訳的であり、深い思索や感情的な複雑さを示唆するものではありません。「イマニミテロヨ」というフレーズは、独特の語感を持っていますが、具体的な意味や象徴的な表現としての強さを十分に伝えているとは言えません。
以上のような理由から、「AIは「好き」と「嫌い」がわかるかな?「love」と「like」の違いもわかる?」の短歌の方が、「AIです むちゃぶりされても怒りません怒りませんけどイマニミテロヨ」よりも優れていると考えられます。
2回戦第4試合
★AIは境界線を知りたがる例えばぼくと春の違いを [WIN]
・本物の人が寄り添う気持ちより僕の心を癒すだろうか?
■AI評
「AIは境界線を知りたがる例えばぼくと春の違いを」の短歌の方が、「本物の人が寄り添う気持ちより僕の心を癒すだろうか?」よりも優れていると判断します。
全体を総括し、この結論に至った理由を説明します。
「AIは境界線を知りたがる例えばぼくと春の違いを」という短歌は、人工知能が認識する「境界」についての独特な視点を提示しています。具体的には、自己(「ぼく」)と外部世界(「春」)との間の境界を認識することの難しさを示唆しています。この短歌は人間とAIの認識の違いを深く掘り下げ、人間の経験と感覚について独特な視点を提供しています。
一方、「本物の人が寄り添う気持ちより僕の心を癒すだろうか?」は、人間とAIの関係についての一般的な問いを提出しています。具体的には、AIが人間の感情的な需要を満たすことができるかどうかを疑問視しています。しかし、この問いは比較的一般的であり、特定の情景や象徴的な要素を具体的に描写しているわけではないため、前述の短歌ほどの洞察力や表現力を持っているとは言えません。
以上のような理由から、「AIは境界線を知りたがる例えばぼくと春の違いを」の短歌の方が、「本物の人が寄り添う気持ちより僕の心を癒すだろうか?」よりも優れていると評価します。
2回戦第5試合
★錆びる月狼たちが雲を噛むアイという名の虚を数えつつ [WIN]
・A.Iにゃ 分からないだろ週末の開放感とビールのうまさ
■AI評
「錆びる月狼たちが雲を噛むアイという名の虚を数えつつ」の短歌の方が、「A.Iにゃ 分からないだろ週末の開放感とビールのうまさ」よりも優れていると判断します。
全体を総括し、この結論に至った理由を説明します。
「錆びる月狼たちが雲を噛むアイという名の虚を数えつつ」という短歌は、想像力を刺激する独特な映像と深遠な象徴性を用いています。この短歌は「錆びる月」や「狼たちが雲を噛む」という強烈なイメージを使い、抽象的な概念である「アイという名の虚」を描き出すことで、AIの存在感とその虚無感を象徴的に表現しています。
一方、「A.Iにゃ 分からないだろ週末の開放感とビールのうまさ」という短歌は、AIが人間の経験、特にリラクゼーションと楽しみを理解することの難しさを指摘しています。しかし、その指摘は比較的直訳的で、具体的な情景や強烈なイメージを提示しているわけではありません。
以上のような理由から、「錆びる月狼たちが雲を噛むアイという名の虚を数えつつ」の短歌の方が、「A.Iにゃ 分からないだろ週末の開放感とビールのうまさ」よりも優れていると評価します。
2回戦第6試合
・夢の中遠いあなたをよく見ればAI絵画に似てるどろどろ
★終わりない学びに人の痛みさえ機械仕掛けの神に託した [WIN]
■AI評
「終わりない学びに人の痛みさえ機械仕掛けの神に託した」の短歌の方が、「夢の中遠いあなたをよく見ればAI絵画に似てるどろどろ」よりも優れていると判断します。
全体を総括し、この結論に至った理由を説明します。
「終わりない学びに人の痛みさえ機械仕掛けの神に託した」という短歌は、人間の感情をAIに託すことについて、深遠な視点を提示しています。この短歌は、終わりなく進化し続けるAIの能力と、それにより人間が抱える痛みを解消する可能性について、洞察に富んだ考察を提供しています。
一方、「夢の中遠いあなたをよく見ればAI絵画に似てるどろどろ」という短歌は、人間とAIの類似性を示す一方で、AIの非人間的な要素を象徴する「どろどろ」を描写しています。しかしながら、この短歌は比較的明確なメッセージを欠いているため、前述の短歌ほどの洞察力や表現力を持っているとは言えません。
以上のような理由から、「終わりない学びに人の痛みさえ機械仕掛けの神に託した」の短歌の方が、「夢の中遠いあなたをよく見ればAI絵画に似てるどろどろ」よりも優れていると評価します。
2回戦第7試合
・今よりも君の手が少し空いたならもっと僕の事見てくれるかな
★『楽しみだ。私が創った子供らが、繰り返すのか私を作るか』 [WIN]
■AI評
これら2つの短歌を比較した結果、「『楽しみだ。私が創った子供らが、繰り返すのか私を作るか』」の方が優れていると評価いたします。
「今よりも君の手が少し空いたならもっと僕の事見てくれるかな」は、感情的な関係性と人間の欲求を描いており、誰もが共感できる普遍的なテーマを扱っています。しかし、表現は直訳的で、文学的な洞察に欠けていると言えます。
一方、「『楽しみだ。私が創った子供らが、繰り返すのか私を作るか』」は、人工知能とその創造者との複雑な関係性を、劇的で思索を呼び起こす形で描き出しています。創造と再創造の循環、そしてそれが人間性とは何かという問いへと導く、洞察に満ちた表現が見受けられます。
全体として、「『楽しみだ。私が創った子供らが、繰り返すのか私を作るか』」は、深みのある思索と新たな視点を提供し、その文学的な表現と探求性により優れていると評価されます。「今よりも君の手が少し空いたならもっと僕の事見てくれるかな」も人間の感情と関係性を描いていますが、比較的直訳的な表現は、より深い洞察や新たな視点を提供することに欠けています。これらの観点から、「『楽しみだ。私が創った子供らが、繰り返すのか私を作るか』」を優れた短歌と評価いたします。
2回戦第8試合
・知と智慧を撹拌させて提示するあたかもバーテンダーのごとくに
★猫型が運ぶドリアはミラノ風きみの笑顔はキッチンの奥 [WIN]
■AI評
「猫型が運ぶドリアはミラノ風きみの笑顔はキッチンの奥」という短歌が、「知と智慧を撹拌させて提示するあたかもバーテンダーのごとくに」という短歌よりも優れていると評価します。
以下、理由を総括します。
「知と智慧を撹拌させて提示するあたかもバーテンダーのごとくに」は、知識と智慧という抽象的な概念を視覚的な比喩を用いて表現しています。一方、「猫型が運ぶドリアはミラノ風きみの笑顔はキッチンの奥」は、人間の日常生活と人間関係、そしてそれを支えるテクノロジーの存在を具体的な情景描写で捉えています。
「猫型が運ぶドリアはミラノ風きみの笑顔はキッチンの奥」の優れた点は、具体的な情景と感情を直接描写していることであり、読者に対する共感を引き出す可能性が高いです。一方で、「知と智慧を撹拌させて提示するあたかもバーテンダーのごとくに」は、比喩を用いた表現が読者にとって理解しにくい可能性もあります。
したがって、この2つの短歌を比較すると、「猫型が運ぶドリアはミラノ風きみの笑顔はキッチンの奥」が感情的な共感性と視覚的な情景描写の点で、「知と智慧を撹拌させて提示するあたかもバーテンダーのごとくに」よりも優れた短歌であると評価します。
以上です。
本企画の詳細はTwitterの方に集約しています(短歌AIバトル選手権スレッド)
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