【ショートショート】案内板
田中はぶるっと体をふるわせた。
駅ビルを歩いているときに尿意を覚えたのだ。
トイレはどこだ?
案内表示板を探す。例の男女のマークのついたやつ。
遠くに見えた。
田中はファッション街を風のように通り過ぎ、案内板にたどり着く。左か。左へ曲がりなおも進むと、階段に出た。
階段の下?
この階にトイレはないのかしらと思いつつ、階段を下りる。
トイレの案内表示板は、男女二手に分かれた。田中は右側の通路を進む。
巨大なホームセンターの中にいるらしい。ぎっしり工具がつり下がっている棚を眺めながら歩き続けると、また右に折れろの指示。
駅前ビルはいくつかあり、三階でつながっている。すこしの段差を下り、とうとう隣のビルに入ってしまった。
どれだけトイレが少ないのだと思いつつ、また一からやり直し。
トイレの案内表示はたくさんあるが、肝心のトイレに行き着かない。だんだん膀胱も限界に近くなってくる。
田中はより速度を速めた。
気が付くと、頭の上に天井がなかった。野外だ。案内されて行き着いた先は公園だった。
しかたなく、公園のトイレに入って、息をつく。
ああ、長かった。
なぜ、こうもトイレがないのだ。ゴミ箱がどんどん撤去されていったと思ったら、次はトイレか。それはあまりにも不便だぞ。
さあ、帰ろうと思って、田中は一瞬ぽかんとした。あれ。オレはどこに向かっていたのだろうか。
駅ビルでおみやげを買って……そうだ、友だちの家を訪ねる途中だった。
田中は後ろを振り返る。はるか遠くに駅ビルが見えた。
遠いなあ。
いまにして思えば、あんなに大きな駅ビルの中にトイレがないはずがない。案内板はだれかのいたずらだったのだろうか。まさか正しくない案内板があるなんて想像だにしなかった。尿意で正しい判断力をなくした者がひっかかるのだ。
向こうから、落ち着きなく、早足で歩いてくる男の姿が見えた。ああ、ここにもまた被害者が。
(了)
ここから先は
朗読用ショートショート
平日にショートショートを1編ずつ追加していきます。無料です。ご支援いただける場合はご購読いただけると励みになります。 朗読会や音声配信サー…
この記事が参加している募集
新作旧作まとめて、毎日1編ずつ「朗読用ショートショート」マガジンに追加しています。朗読に使いたい方、どうぞよろしくお願いします。