朝のことごと 3
世界が我々の目に見えぬものであると説いたのは、仏陀であり荘子であった。
仏陀は、修行を覚悟したとき、一国の王子という地位を捨てて、旅に出た。城門を出でて、生老病死の四苦に出会ったとされる。ただ見るだけではない、世界を、何かしらの手触りをもって、確信したらしい。
荘子は、世界は混沌としていると言った。世の中には、言葉にならぬものがあると。言葉にならないから、世界は混沌としているのだろう。確かにそうかもしれぬ。私は何も昔話をしているのではない。
旧約聖書には、こうある。初めに言葉ありきと。主が光あれと言い、その後世界に光が生まれたと。この「言葉」を言い換えれば、ロゴスである。ロゴスは、言葉であり、人の知恵であり、また文明でもあるだろう。それが世界、言わばピュシスを作り上げた、そう言いたいのだ。
人は、ロゴスとピュシスが対立して存在していると、誰しもが認識しているのは間違いない。これを突き詰めていけば、どちらがどちらへ帰属するか、必ずここを論ずることになる。その点、仏陀荘子と旧約聖書は、その立場を異にする。そして、両者の主張のどちらかが、間違っているとは、到底言えないのである。
思うに文明ははじめ、御し易い自然のもとに生まれた。これは間違いないだろう。しかしそれは、自然に物理的な改変を加えやすかったからという、理由一点のみに尽きるものではない。その前段階に、言葉を覚えた人間が、今まで通りであった自然を、何かと関連づけ、何かと見なしたという、自然の分割と定義とをまず己の内に行った、この営為があったのである。物理的な改変など、その青写真に従ったに過ぎない。
荒れ狂う自然に生まれた古代人は、そうはいかなかったろう。彼らの自然は常に変化し、人々に脅威をあたえ、全く反抗の余地さえ与えなかったはずだ。自然を何かと見なす、その土台を自然のうちに発見できなかった。
ロゴスはピュシスの中に生まれながら、ピュシスと対立していると思いこむ。そもそもピュシスが何であるか、どれだけ真摯に説明しようとしたところで、言葉を用いる以上、既にロゴスが入り込んできている。旧約聖書は、もっとも簡明で、且つロゴスに忠実な説明をしている。仏陀と荘子とは、ロゴスの力をあまり信用しないためか、この二者の関係に、慎重な見方をする。しかし彼らでさえ、いざピュシスのこととなるや、言葉を失った。仏陀は修行をするし、荘子は、世は混沌であると言ったきり、口を噤んだ。禅では不立文字と言うくらいだから、これを悟るためには修行が必要ということか。孔子曰く、怪力乱神を語らずと。語れないのである。
仮にロゴスもピュシスの中に含まれるという分別を持ったところで、ピュシスに関することは、ロゴスに持ってこなければ、理解することができぬ。ここに人の限界がある。仮にピュシス言語なるものがあるとして、それに対置されるべき、ロゴス言語なるものも存在すれば、ピュシス言語は常にロゴス言語に翻訳されなければならない。オスカー・ワイルドは、「自然が芸術を模倣する」と言った。そう思うのも、妥当である。