痩せは自分への罰~かすみ嬢の居場所(32)
中学生でもしないようなミスをしてしまい、指摘された。
私は英作文が得意だ、なんておごってたんだな。どうすればいいかわからないくらい、すごく恥ずかしい。すごくすごく。
そのぶん、もっと痩せて、もっともっと痩せて挽回しなきゃ。取り返さなきゃ。痩せれば全部が全部、大丈夫になる気がする。
痩せる!
頑張れば叶うことがいい。
頑張りを認めてほしい。
痩せは頑張りを顕著に表してくれる。
誰が見てもわかる頑張り。
……なんて、身勝手な理屈と言われればそれまでですよね。
要は、先生方の信用を裏切ってしまった私の罪悪感のやり場が問題なのだと思います。痩せは、自分の罪悪感を少しでも埋めて、かつ、先生方に目に見える形で償うことのできる、私がこなせる唯一の手段だというように捉えている気がします。
少し頭を冷やしてみれば、同じ間違いを二度と繰り返さないようにすることなど、きちんとできることからしっかりこなしていけばいいだけなのに。
まず第一に、私は痩せることを自分への罰であり戒めであるとも捉えているんだなって自覚しました。
悪いことをした自分をきりきりきりきり痛めつけたい。その手段が痩せなんだろうな、私のなかでは。罪悪感を晴らすために食べたくない、運動したい、何より痩せたい。存在を消したいの。
そして第二に、私の物事を解消する方法がすべて、痩せにつながっているんだなってこと。
何かにかこつけて痩せようとしてる。ストレス発散にせよ、どうにもならない物事に諦めをつけるにせよ、完璧にできない自分への苛立ちをなくすにせよ。痩せたらすっきりする。痩せるための行動をきちんととると落ち着くんです。
思っていたよりも私はずっとずっと、痩せに依存しているのかもしれない。それを良いこととも悪いこととも決めつけたくはないけど、でも、だから立て続けに嫌なことが起こっている今、痩せる気持ちに拍車がかかっているのかな、なんて。
ここまで書いてきて、それでも私が痩せ姫を目指したいって気持ちは真っ直ぐなものだ、そうであるはずって再認識したりもしました。
綺麗なものになりたい。その気持ちは純粋なものじゃないかな。
それを実現するための過程には、罪悪感を消し去りたい、みたいな邪念が多分に含まれているけれども。