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ナイフとフォーク

 向田邦子さんの作品「女の人差し指」の冒頭に 「チャンバラ」というのがある。これは日本人が 古来より使っている「箸」に対しての「ナイフとフォーク」が ユニークで快適な文の流れの中に 思わず笑ってしまう箇所が 何度も出てくる。

「ナイフとフォーク」について:この間、二週間ほど、青い目の人達と三度三度一緒に食事をしたのを幸い、この研究をしてみた。答えは 欧米人はナイフとフォークをふわりと持って、実にやさしい。それに引き換え日本人は「右(めで)に血刀(ちがたな)、左手(ゆんで)に手綱(たづな)」ではないが、固いのだ。欧米人を和事とするなら、日本人は荒事である。洋食の食卓に座るときからして、目つきが違う。「いざ、出陣」という面持ちである。右手にナイフ。左手にフオーク。作法にのっとり粗相のないよう、子々孫々まで恥辱を残さぬよう・・・つまり皿の上でチャンバラを演じているのである。(略) そこへゆくと、箸は洗練の極致で、刃もない二本の棒だけで、突くもむしるもはさむも割るも、すすり込むも何でもやってのけられる。

読むに進むにつれ、まっこと、しめやかに堂々と 説明され納得する。そして、

「東山三十六峰 静かに眠る丑三つ時」 チャンリンヤ スナポコリン  どうしてそういうのか知らない。どこで誰に聞いたかわからないが、子供の頃、こんなことを口ずさみながら、古新聞を丸めたものを刀に見立ててチャンバラをした覚えがある。

と。私も うっすらと「この言葉と旋律」は 小さい時によく聞いたことがあったので、余計うれしくなったこともあり、こんなオチャメな面も 素直に書かれている向田さんに 私はとても好感を持つのだ。

最後に

ところで、チャンバラにもどるが、剣はナイフやフォークと同じく、力を入れず やわらかく握る方が腕としては「上」らしい。宮本武蔵はペンダコ、ではない剣ダコが出来ず、佐々木小次郎は かなりおおきなのが出来ていたような気がする。

と、結んでいる。なんと博学で知的なユーモアがあるお人なのか…。

 向田邦子さんの時代は 洋食は珍しく、ハイカラな所でいただくもので、庶民には程遠いものだったに違いない。慣れない異国の食事と共に食する 道具が「刃物と指し物」ならば 仕方がないというものなのだが、私の小学6年生の時「洋食のマナーを学ぶ」という「特別授業」があった。    京都のどのホテルに行ったかその名は覚えていないが、大きな明るい部屋に真っ白なテーブルクロス。その前で 生徒が一同に緊張して座った目の前に、パリパリの糊のかかった立体折り紙のようなナプキンの前で ナイフとフォークがキラリ!と光って見えたのは 私だけではなかったと思う。  それ程、珍しく異次元の世界だった。その頃から京都の教育委員会の先生方は「世界の京都」を意識していたかどうか わからないが、今から考えると、ホンに粋な計らいであったと思う。

 「ナイフとフォーク」といえば… 
「あおいレモンの一切れ」として思い出すことがある。
私と兄の間に二人の姉がいて私の下に妹が一人いた。長兄とは一回りも離れていたからか、父親代わりのような存在だった。兄が大学生の頃 私は小学校低学年。自分で言うのも気恥ずかしいけれど、可愛かったのかそれとも連れて行きやすかったのか、いずれにしても、学園祭の時 一度だけ 私を連れて行ってくれたことがあった。                          薬科大学の正門前で待っていたのは 兄の友人Sさんともう一人女の人。 そこで、待ち合わせて四人でまわるのだ。
学園祭にどんなものがあったのか全く覚えていないのだが、お昼ご飯の食堂は はっきり覚えている。学園内の食堂だったのかどうだかわからないが、とに角「洋食」だった。 当時、洋食は かなり珍しく、注文されたのが「クリームコロッケ」だったような気がする。 
俵型のコロッケの脇に鮮やかなオレンジ色のスパゲッティが添えられ、フォークとナイフがついてきた。
コロッケといえば、家では母が作る ジャガイモの中にミンチが少々入っている楕円形が定番で 勿論お箸で食べていた。  
 はじめてのナイフとフォークに 私が戸惑っていると、兄の友人Sさん「ナイフとフォークはこうして持って!」と手を添えながら「切るんだよ」っと 教えてくださったことがある。 たった一度のことだけどあれは、私にとって、確かに「あおいレモンの味がする」あたたかい記憶として蘇えってくる。

 そのSさんは 大学卒業後、製薬会社に勤めて、大学の正門でSさんと一緒に待ち合わせた女の人と結婚して、東京に行かれたとか…。
そんなSさんに 淡い憧れのような気持ちを抱いていたが いつの間にか 忘れ去っていた。  
 私が中学生になった時だったか、薬局を開いた兄の店に一度来られたことがあった。 その頃 私は反抗期だった。その日も 母とぶつかり、Sさんが 来られているとは全く知らず、私は 顕わな感情を持ったまま 勢いよく家の奥から店へと飛び出した時だった。一瞬「え?!」と気づいたけれど、余りにも荒々しく飛び出して行ったから、止まることができなかった。 Sさんも 瞬時私に気づいて腰を浮かし 声をかけようとされた迄は 目に入っていたが、後の祭りであった。
私は 振り返りもせず 店を飛び出していた。     
 一度だけ友人として兄の開いた店を 訪れてくださっていたSさんなのに…失礼な態度をとってしまったことに、我ながらおおいに反省した。
それ以来 兄の店にSさんが 来られることはなかったようだ。
今、思い返すに、あの出来事は 苦い想いを残すことになった。 

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