尻尾の存在とは?
先日、私の友人の娘ちゃんが、七夕の短冊の願い事に、シッポが生えてきますように!とかいた、というはなしをきいて、ひとしきり笑ったあと、
お母さんの願い事も書いておいたよ!といわれてみてみると、、、
お母さんも尻尾が生えますように。とかかれていたらしく、笑
娘ちゃんにどうしてしっぽが欲しいの?というとひみつだから教えない。と
そして、何度聞いても絶対に教えてくれないと。。。笑
一体そこに何があるのかが気になった私は、本を読むにも、やたらとしっぽが目に入ってくるので、思考の海へズブズブと尻尾についてひとり考察。
しっぽのイメージって、狐や狸が化ける時だったり、犬なんかは感情を表現しているであろう感じもするし、物理的に単純にバランスを取っているであろうとも思う。
人間にも昔、蒙古斑?と言われるものが尻尾のある位置にあったりするし。
わたしにももれなくあって、昔猿だったんじゃない?と母に。笑
たしかに、わたし、申年だしね。
しっぽよ、一体なにものなんだ?
シュタイナーの世界観では、昔はアストラル体が人間の内部でなく、まだ外側に存在しているという。その表側にでていたアストラルが閉じ込められて今の松果体へと姿をかえたのだと。神話に出てくるひとつ目はそれを示しているようで。
アストラルが外側に出ている状態が動物において、頭部でなく下部にて具現化されているのがしっぽなのかしら?とおもったり。
頭部はひとつ目、身体部分はしっぽ?なの?
人間は五角形だから、しっぽあるとちょっと角多くなっちゃうし。
しまっちゃおうかな、みたいな。
これはあくまで私の嗜好の思考考察ですので、答えはわかりません。
先生がお話してくれたのは、狐は狐にならないが、人間は動物になれる。
(だから狐が化ける?それとも人間が狐化する?のか?日本語で使われる尻尾を巻いて逃げ出す、とか尻尾を掴むとか面白い表現でいて的を得ているよな。日本語の面白さたるや。)
それは、狐は狐であるということを知らないが、人間は人間であることを知る。
ということであり、重要なのは、動物は意識を持つが、自己意識を持たない。
人間は、自己意識をもっていると。
最近、自己意識すら放棄しているように感じることがありますが、皆さま獣化してませんか?笑
皆様も気になる方は、しっぽについて考察してみてくださいね。
おもしろ説があったらぜひご教授くださいませ。