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西の魔女が死んだ

むかーし読んだか読まなかったかは定かではないが、ヨーロッパ旅行のお供にこの本を持ってきた。

『魔女になりたい』

いつから考えているか、感じているかは分からないが、私の根底にこの願望がある。魔女になりたい。魔法を使いたい訳ではないし、箒で空を飛びたい訳ではない。そして、魔女がどういう概念でどういう人物かを明確に説明できるほど解っているわけでもない。ただ、魔女になりたいのだ。何故だが憧れるのだ。

飛行機の長旅は普段SNS漬けになっている私からSNSを強制的に離してくれるから、その根底をいくらか探ってみるのも面白いんじゃないかと思ってこの本を選んだ。

まず、これまでの私の中の魔女を洗い出してみよう。私の中の魔女は物知りで静かで世界が観えている人物であった。にこやかにこの世界を観ている、客観視しているような人物であった。そして、その立場にいることにとても憧れているのだと思う。「知ってますよ」って涼しい顔をしてこの世の時の流れをみているんだ。場所はジブリの魔女の宅急便のお母さんのサロンのようで、そこにロッキングチェアを置いて、ぎぃぎぃと音をたてながら佇むかんじ。しかしながらその目はハウルの動く城の女帝?のように少し冷たくて、口角は少し上がった顔をしている。それで、何でも知っているんだ。「お見通しよ」って言葉にはしないけれど。そんな魔女になりたいと思ってた。

この本の中では少女 まいがおばあちゃんと過ごす中で、魔女の訓練をしていく。それは、少し、いやだいぶ羨ましい生活のように感じた。私もその訓練をしたいなと、いや、その環境に身を置いてみたいのほうが的確か。ここで、私の中の怠けグセが出ているので訓練には程遠いなぁと思いながら。

少女は丁寧な生活をしていく中で、自分の感情をコントロールできるように努め、自分で決めたことを遂行していく。

なんか、当たり前の事のように聞こえるが、それが難しい事だとはこの年になるとよくわかる。楽に楽に考えて、まぁしょうがない、今日は休むかと。これはこういうものだからと決めつけて、こうするのが普通と。まず、自分で決めると言うことすら億劫。その場に流されてこの選択が良さげだから選ぶ。自分の成したいことなんて想像すらせず、その時を生きることしかしていないから、自分で決めて、それを遂行するなんて素晴らしすぎる。眩しすぎる。それは、キラキラした現実の人たちを見ても思うけれど、魔女がするそれは余計に眩しい。

私は何をしたい。何を成したい。その為に何をする。

なんか、常に下を向いて、周りを卑下して、ここから消えたいと思っている私なんかが、前を向くと恥ずかしさと今までの自分を消してしまうようで少し悲しいけど、そういう姿勢もいいのではないかと思ってみる。思ってあげる。多分私はそんな普段の自分も嫌いじゃないんだと思う。斜に構えて、周りとはちょっと違うんだと思っている事に高揚しているのだろうから。でも、真っ当に真っ直ぐ考えてみても良いのかもしれないと思った時間だった。

『魔女になりたい』

物知りで客観視できる、意志の強い魔女に。

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