れすといんぴいすれすといんぴいすフタの上で液体スープ温めながら 〜岡野大嗣『たやすみなさい』から
その日の天気、その日の気分で読む歌集を選べるようになりたいと思っていた。
好きな音楽みたいに。
がむしゃらに歌集や関連書を買いあさって200冊超。その日はやってきた。
晴れていて気分がよく、ふと
「あ、今日は『たやすみなさい』が読みたい」と思ったのだ。
岡野大嗣さんの第二歌集『たやすみなさい』は、たしか自分が短歌をはじめて間もない頃に買ったはず。第一歌集の『サイレンと犀』より先に。写真など調べて記憶を辿ろうとしたけれど無理だった。記録しておくって大事。
さて。久しぶりの再読。
初読で一番好きだった歌は覚えている。
自分も車の運転をするので、右折待ちの感覚がよみがえる。あの待ち時間を涙に喩え、さびしい。と言う。
なんてうつくしい詩なんだろう。
初読のときはタイトルにもなっている歌
など、やさしくやわらかな歌の印象が強く、それが歌集自体の印象となって残っていた。
再読して思ったのは、「だけじゃない」ということ。
冷静に社会を眺める視線や、孤独感のある歌もぽろぽろと出てきた。
この歌を読んで、軽くふっ、と笑いがもれた。と同時に、思い出した歌がある。フラワーしげるさんの歌だ。
歌どうしが呼応しているような。
どちらの歌も、実際には起こりえない場面での主体の台詞調。けれど、何とも言えない説得力があり、強いインパクトを残す。
今回、好きだと思った歌は数多くあったが、とりわけ読後に何度もよみがえってきた一首があった。
ひらがなにやわらかくひらかれた言葉が、くり返し、心地良く脳で再生される。こうしてひらがなで書かれたとき、言葉は一瞬意味から解放されて、ひとつひとつの音になる。
下句の描写から、主体がカップラーメンを作っているのであろう景がうかぶ。平和な日常。どこか、あたたかみを感じる一首だ。
けれど、
rest in peace
どうか安らかに。
死者の冥福を祈ることばだ。
音を口でとなえてみたとき。単語の意味を素直に直訳したとき。追悼の言葉であると意識したとき。いずれも味わいが変わってくる。
不思議な魅力を持った歌だと思う。
また、ひらがなで書かれたことばのリフレインといえば、どうしたって浮かんでくる歌がある。
笹井宏之さんの名作。いま、簡便的にこの歌をひとつのフォームとするならば先の れすといんぴいす は、それに則った一首と言えるだろう。
歌人はみな、意図して、あるいは意図せずに自分が触れた歌からまたあたらしい歌を作っている。
わたしもいつか詩をたべて詩を生みだすいきものになってゆく。
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