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社会とつながる

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僕は学者でもコメンテーターでもないけれど、社会の中で生きるひとりだ。 それなら僕も、社会について思いを馳せることが必要だと思う。
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#社会

日本人は人権を知らない

アメリカの人種差別に反対するデモがすごいことになっている。 こうした状況に言及して「日本では差別というのは身近ではないかもしれないが……」というような発言をいくつか目にして、僕がふと思い出したのは「人権標語」のことだった。 日本全国のさまざまな自治体で「人権標語」を公募して、受賞作を看板にして街頭に立てたりしている。特に田舎で多いような気がする。名目は「人々の人権意識を啓発しよう」。 ところがこの「人権標語」の受賞作を眺めてみると、日本の社会に「差別から必死で目を背けようと

SDGsは「ひとりひとりの心がけ」なんかじゃない!

なんか、いろんなところで「SDGs特集」みたいなのがやるようになったけど、その中身が結局「一人一人の心がけでゴミを減らしましょう」「ものを大事にしましょう」みたいなレベルで、少し前の「エコ」を言い換えただけの、何の発展性もないもので虚しくなる。 SDGsは「持続可能な開発目標」だぞ。「地球にやさしく」じゃないんだぞ。「開発」の要素無視しすぎだ! という気持ちが年々高まってる。 大きな組織や国や自治体こそが取り組むべきもので、上から下に「SDGsに配慮しなさい」と命令するもの

コロナの時代の生きづらさ 〜人には「異文化交流」が必要だ

2020年は、新型コロナ一色の一年だった。 そしておそらくはその影響で、2020年の日本の自殺者の数が11年ぶりに増加したという報道があった。 日本は、世界的に見ても自殺が多すぎる。 それはずっと言われてきていることだけど、こうやって具体的な数字が出てくると、その数の大きさにくらくらしてしまう。 記事によると増えているのは女性と若年者で、特に若者については、 「小中高生の自殺者は68人増の440人で、同様の統計のある1980年以降で最多だった。内訳は小学生13人、中学生

Don't be evil.

Don't be evil. 僕の倫理の中心。僕が常に心にとどめておきたい言葉。 Don't be evil.は、Googleのかつてのスローガンらしい。 少し前にGoogleがそれを掲げたとき、結構な話題になったことを覚えている。 残念ながら今はそのスローガンをやめてしまったらしいけれど。(そして今のスローガンは、Do the Right Thingだそうで、比べものにならないほど程度の低いものになっちゃったなぁ、と僕は思う) Googleの動向とは関係なく、僕自身が感

男子学生も男尊女卑の被害者~「東大祝辞」に関連して~

女性学の上野千鶴子教授の東大入学式での祝辞が話題だ。 この祝辞、各方面から絶賛されているみたいなんだけど、全文を読んでみて、僕はどうにも居心地の悪さを感じてしまったので、思ったことをつぶやいてみた。以下、Twitterの引用。 東大の新入生祝辞の話、内容はとてもいいと思うけどあれが「新入生祝辞」であるという点で、やはり聞いていた男子学生にとってはパワハラに他ならないし、評価できないなぁと思う。 不正に優遇されている側も「被害者」なんだよ。 社会をつくるのに携わっていない

「男らしさ」は卒業したよ。

30代も半ばになってやっと、だけど。 自分が男らしくあることを少しずつ脱ぎ捨てていって、ふと気づいたら周囲の誰ひとり僕に男らしさを求めなくなった。 むしろ最近では、なんだか中性的な扱いをしてもらえるようになった気がして、とても居心地がいい。 僕は生まれつき極端に痩せていて、体重は女性の平均にも遠く及ばない。 「一般的に男性は女性より腕力があるから、女性にとって男性は恐怖の対象」だとよく言われるし、それは真実だけど、何事にも例外はある。しかも「か弱い女性」とちがって「か弱い

「年下は年上に敬語を使うべき」って文化はなくした方がよくない?

僕は日本語の「敬語」の文化はとてもいいものだと思っているんだけど、日本の、「年下は年上には敬語を使うべき」という文化はとてもよくないものだと思っている。 「年齢に関係なく親密な関係になるまではお互いに敬語、親密な関係になったらお互いに敬語をとってフランクに」というマナーの方が絶対いいと思うんだけどな。 敬語は尊敬の念をあらわしているんだから、基本的に初対面同士は「お互いに敬意を持ち合う=どちらも敬語」というのが理想だと思う。 ビジネスの場でも大人同士の交渉の場でも、相手

SNSと承認欲求

「承認欲求を満たすためにSNS依存になるのは不健全」というのがたびたび話題になる。そのとおりだと思うけど、「ネットやSNSのせいで承認欲求中毒になる人がでてきた」というのは違うと思う。もともと日本では多くの人が承認欲求を「社会的地位」で満たしてきたんじゃないかな。 逆に言うと、社会的地位を得にくい女性や子どもには、承認欲求を満たす手段がほとんどなかった。田舎の集落でずっと専業主婦をしてきたおばあちゃんに会うと、びっくりするほど自己肯定感が低いことが多い。承認欲求を満たすこと

「フラットな空間」だったネットを、とりもどそうよ。

かつて、ネットはフラットな空間だと、僕は感じていた。 僕がネットをはじめたのはだいたい、大学生のころ。 aikoの音楽が好きで、そのファンサイトに通ったのがはじまりだったと思う。掲示板に曲の感想を書いたりすると、40代の管理人のTaoさんを含む、たくさんの人が返事を書き込んでくれた。 そのころ僕は、すごく世間知らずの大学生で、アルバイトすらまともにしたことがなくて、まさに「親と先生以外の大人とちゃんと会話したことはない」という状態だった。 いわば、社会と全然接続していない

ほめること。

久しぶりに、自分の生きるうえでのキーワードになりそうな、大事な言葉を見つけたのでメモしておこう。 「ほめる」。 僕が、社会にもっとあって欲しいと思うもの。 もしかしたら、僕の取り柄かもしれないもの。 今の世の中、ずいぶんと「けなす」社会だと思う。 新聞とか、インターネットとかを見ていて思うのは、ずいぶんとけなすことが多いなぁ、ってこと。 そりゃ、けなすのは簡単だ。 100点満点のものなんてほぼ存在しないから、98点だったら、2点分はけなせるってことになる。 情報があふれかえ

「責任感」がきらい。

「責任感」という言葉がきらいだ。 「もっと責任感をもて」「お前は責任感がない」どれも人を追い詰める言葉だと思う。 そもそも「責任」の有無という極めて重要な問題に対して、「感」ってなんだよ。フィーリングかよ。 「感」という言葉には、責任があるかないかははっきりさせず、自分ではどうしようもないことについてもなんとなく罪悪感を覚えておきなさい、と呪いをかけるようなニュアンスがある。 僕はかつて「優等生」で、「責任感の強い子」だったと思う。 自分にはどうにもならないことも自分のせ

根を下ろさない生き方

1983年生まれ、現在34歳の僕のこれまでの人生は、「安定」とは程遠い。 比喩でも大げさでもなく、いつも「3年後の自分が何をしているか、想像もできない生き方」をここ10年近く続けている。 大学を卒業してから12年間の僕の職業遍歴を、一通りさかのぼってみよう。 大学のとき、新入社員としてそこそこ大きなメーカーに就職したときは、「これで安定した生活が約束されたのだろう」と思ったし、同時にそのことに絶望もした。 「ああ、これで僕はもう40年先までの人生が、大方決まったのか」なん

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恋愛・性別・関係性の多様性について

TRP(東京レインボープライド)が行われているので、タイムリーな話題を。 まず「LGBT」という言葉について。 この言葉がマスコミに取り上げられたおかげで、 「恋や性別の形に多様性がある」という認識が広まり、 これまでひそひそと語られていたそれらが「話題にしていいもの」になったという功績は大きい。 それは理解したうえでも、やっぱりこの言葉で「恋愛や関係性や性別の多様性」を説明するのはあまりよくないな、という気持ちはある。 聞きなれず覚えづらい「LGBT」という言葉を使うと