感情があってこそ人間、中途半端だからこそ人間。
ども。
Youtubeである動画で、失敗談を話していたのを見てこういうタイトルになりました。
やっぱ完璧ってつまらないんですよね。
何も欠点がないのがつまらない。
…と言いつつ、俺は完璧主義といい加減の両方の側面を持っている人間だと思ってます。
単純に失敗が死ぬほど怖くて、でも途中で諦めてしまっていい加減になる
という…
まぁ、人間らしいんじゃないでしょうか。
いや「ダメ」人間らしいかもですね。
「中途半端でこそ人間らしい」と感じたのは、2008年ごろに見たMCバトルに女性ラッパーが出場していて「人間なんだから中途半端で何が悪い」的なことをラップしてて、ああ、なるほど。と思ったのが始まりです。
そうそう。
なんか自己紹介みたいなことしますが
「議論する」ということが俺は嫌いなんです。
何でかって言うと、どうでもいいなぁって思うからです。
あと「僕、私はこう思ってるんですがあなたはどうですか?」
みたいな話、人それぞれ感じることは違うんだから…と無意味に思うわけです。
それと、議論するエネルギーがないです。
自分の好きなものを人に確認とかしなくても、自信もって好きと言ったらいいじゃないと思うわけです。
でもそれは、大人になってから気づいたことで(気づくの遅すぎ)
中学の「いじめられた後」に自信を喪失してたわけなんです。
自分は「いじめられる前」と「いじめられた後」で全然違う性格になってしまって…
いじめられる前は、誰にでも笑顔で優しく平等に接し「自分」という軸というか、芯がしっかりしてました。
いじめられた後は、人間不信になり、顔色を窺うようになり…今思い出しても悲惨な感じですね。
二度といじめられないように、虚勢を張って自分を擦り減らして生きてきました。
人のどうでもいい意見にも過敏に反応して
「あいつがこう言ってたから、これはやめなきゃ」
とか思うようになっていったんですね。
それは人に嫌われないために…ということなんでしょう。
人格も歪んだように思います。
気づけば周りには誰もいません。
こんな世界望んでなかったのになぁ。
ほんと何かのせいにしちゃいますけど
いじめられる前後で人生変わったなぁ…
あそこが俺にとっての分岐点だったんだなぁ
としみじみ思います。
ただ正直に純粋に生きてただけだった。
それがよくなかった。
いじめの標的になったのだから
こんなの笑うしかねぇや
何かのせいにしてる時点で変われないと思うかもしれませんが
いじめを受けるって強烈な体験で、今でもその時の情景が脳裏に焼き付いてるんですよ
独りぼっちになるあの感覚が
笑ってやってください
惨めだねって