最後の騎士なのか。

昨日、司馬遼太郎の「殉死」を読了した。
久しぶりに読書感想文を書きますか。

「殉死」は日露戦争の陸軍大将乃木希典に焦点を当てて、書いた人物記だ。
前半は簡単な半生と日露戦争での乃木将軍の役回りまで。
後半は明治天皇が崩御し、大喪の日に妻・静子とともに殉死するまでを描いている。

乃木希典は氏名がかっこいいので、日本史の授業で習ったとき、名前をすぐに覚えた。
ただ、主人である明治天皇の崩御とともに殉死を選ぶなんて、なんというか平成を生きる自分にはイメージもつかず、驚きと恐怖を感じた。

この本を選んだのは、「坂の上の雲」を読了し、乃木将軍にとても興味を持ったからだ。
「坂の上の雲」では乃木将軍は文才であり、人間的な魅力はあるものの、軍師としての才能は無いに等しく描写されていた。
そして、すぐに終わると思われた旅順攻略は長引き、多くの魂が戦地に散った。

今日の政治家が富や権力に執着しているように、先の軍人たちもみな富と名声のために生きているイメージがあった。
だからこそ、富と名声を手にして、いくらでも長生きをできる乃木将軍が死をもって、主人に永遠に仕えたことが理解できなかった。

「殉死」いわく、乃木将軍は30代のドイツ派遣で大きく、その軍人たる軸を影響されたらしい。
それ以降、料亭遊びは辞めて、寝るときも含め四六時中軍服を着ていたらしい。
いかなる時も「軍人」であることに誇りをもち、それを日本の軍部にも浸透しようとした。
(ただし、受け入れられず、結局は乃木将軍1人で実践していた)
そんな彼は明治天皇に仕え、その拝命を持って、陸軍大将として旅順に派遣された。
しかし、その事情は乃木将軍が長州人であったため、バランスが良いことなど複合的な理由があったらしい。
彼は息子二人をこの日露戦争で失う。
そして、毎秒増えていく戦死者を前に、彼自身が「死」を持って、その責任を全うしようとした。
しかし、大将が死するとなれば、軍全体の覇気が大きく下がるため、周囲が必死に止めたらしいが。
多分、とても軍人には向いていない感情豊かで繊細な人間なんだと思う。
そんな彼は「大将」として戦勝を持って、帰国し、大衆からの支持と名誉を得る。
でもきっと彼自身は同じ戦地で散った愛息や多くの兵士を想い、嘆いていたのではないか。
そんな彼が最後に将軍として、行うことができるとすれば、
ある意味日本初の近代戦争で勝利した大将として知名度をもって、「軍人の美徳」を世界に知らしめることだったんだろう。

乃木将軍はずっと理想の最期を探していたんだろう。
もしかしたら、死に損なったと思っていたのかもしれない。
主人が崩御した時、そこに永遠にお供することで「軍人としても美徳」を見せたのではないか。そう思った。
※あくまで乃木将軍の考える美徳になるが。

事実、その「殉死」は世界に多くの衝撃と影響を与えた。
「殉死」の概念自体、兵馬俑やピラミッドのミイラでしかなく、それが近代明治に起こると思ってもみない。
当初、私はこの殉死を共感できず、理解もできなかったが、最後まで自分の理想を追求し、自尊心を持った、この行動は今の安楽死の議論にも通ずるのかもしれない。

そして、私は女性なので、彼の妻であり、乃木将軍ともに殉死した妻・静子の気持ちを考えざるを得ない。
「殉死」によると、静子は嫁いでから、乃木将軍の料亭遊びや姑との関係に悩み、一時は息子二人を連れて、実家に帰ったと記されていた。
また、息子二人はあくまで軍人にはなりたくなく、学校を休むほどであったが、乃木将軍が許すはずもなく、主人と息子の板挟みにもあったらしい。
そんな息子を戦地で失ったわけだから、「あの時、軍人でない道を選ばせていれば」そんな思いもあっただろう。
そんな彼女は乃木将軍が引退し、後は旅行や趣味で余生を楽しく過ごそうとしていた矢先、乃木将軍の殉死に添うことになったのだ。
彼女自身の希望であったか、そうでなかったか、今は知る由もないが。

片方の面からみると、とても美しく、乃木夫妻の最後までの美徳を感じるが、もう片方の面から考えると、被害者とも読み取れる。
きっと歴史はこんなことの連続なんだろう。
美しさも醜さも善と悪も全て両面に接していて、混在している。

次は何を読もうか。
本棚にはエッセイ「余話として」が眠っている。
古本独特の紙の焦げた匂いがまた哀愁を感じる「殉死」なのでした。

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