特攻とは。~知覧・万世の講話を聞いて~
今日はピース大阪という平和学習センターで開催された知覧・万世の祈念会館の学芸員さんによる講話を聞いてきた。
元々、知覧にある祈念会館に行きたかったのだが、そこに行く決意が固まっていない状態だったのです。
ちょうどそんな時に駅のホームでこのイベントの存在を知り、申し込んだ。
ここで知覧の祈念会館に訪れる決意が固まっていないと書いたのは、気軽に訪れる場所ではないからと思うからだ。
私は以前、小学生の時に家族旅行で訪問したことがある。
当時は戦争や特攻について、知識もなく、ただ会館に流れる大きな轟音と壁一面に張られた特攻員の写真。そして周囲の大人たちの号泣する泣き声が怖く、恐ろしく、トラウマとなった。
そこから成長し、学校で勉強したり、個人的に映画や小説などで歴史を知っていくうちに再度、知覧には行かなければならない、と感じている。
ただし、知覧のもつ歴史や、そこで知ること、その地に眠る精魂のことを想うと簡単な気持ちだけで行くことはできない。(自分が人より感受性があることも影響しているが)
講演会が開催されたピース大阪では知覧・万世祈念会館の貴重な資料を展示している記念展が開催されており、それに付随して、開催された。
会場に行くと、多くの人が参加しており、中には同じように若い世代や見た目はギャルのカップルや小学生など意外な人達もいた。
内容は、特攻隊の構成やなぜ生まれたのかなどの概要と特攻隊員一人一人にフォーカスされたエピソードの紹介だった。
主には遺書や手紙に記載されているエピソードになるのだが、父親を試験飛行に載せた思い出や恋人へのエピソード。家族と過ごした日々についてで、彼等にも当たり前に日々の生活があったことは頭では分かっていたものの、実際に触れて胸が苦しくなった。
特に大阪で開催されたため、天王寺区出身、東大阪市出身、関西学院大学出身、同志社出身など、自分自身と同じような境遇というか、すぐそこにいる本当にどこにでもいる普通の若者だった。
私はこの講演会を聞きながら、ずっと考えていることがあった。
私は日本国民として、日本の歴史を知るべき義務があると思うし、それが自分自身の人格形成や人生観に影響を与えると思うので、積極的に映像や本で歴史を勉強している。
ただ、若い世代は歴史に興味を持っている人がそこまで多くなく、どうしたらもっと興味を持ってもらえるのだろうか、また一般人ができることは何かあるのだろうか、ということを考えていた。
講演会が終わった後、知覧学芸員の方に聞いてみたのだが、やはり自分ができる周囲の人に発信すること、だった。
その言葉もあり、この記事を書くことにした。
ちょうど、今特攻隊員をテーマにした映画も上映中だ。
いきなり、書籍やドキュメンタリー、祈念会館に行くのは難しいかたに是非、見て欲しい。見て歴史についてや自分自身がどう生きていくべきかを考えるきっかけになって欲しい。
特別展示は主に特攻隊員の遺書の展示だったのだが、どの方も達筆できっと、とても優秀な方だったのだろうと感じた。
中に、「私が飛んでいくのは、後世の君たち(日本人)のためだ、頑張ってくれると信じている(記憶のため、要約)」内容があった。
これを読んだ時に、自分が恥じない生き方をできているか深く自問自答した。
自分自身は精一杯、努力しているだろうか、生きているだろうか。
絶対に、飛んでいくのは怖いはずなのに。
実際には涙が止まらなくて、止まらない涙なのに、家族へは「笑顔で飛んで行った」と伝えるように指示した方もいた。
兄が出征する時に号泣して、号泣して、それでも元気に見送った後に貧血で倒れた妹。
どの方も最後に「さようなら」と達筆で書かれていた。
今は少し、将来のことや仕事のことで不安定なメンタルなので、もう少し回復したら、知覧へ行くつもりだ。
この記事を読んだ誰かの歴史を考えるきっかけになったら幸いだと思いながら閉じる。