寝る前のルーティン ▷ 屋根裏
温かいものを食べて、録画しておいたテレビかYouTubeを観てたくさん笑うこと。またはたくさん泣くこと。温かいものは味噌汁でもコーンスープでも、お茶でもなんでもいい。弱っている時ほど、疲れている時ほど暖かくする。ホットミルク、毛布、手を差し伸べてくれる人。温かいものはみんな味方だ。
笑うことで色んなしがらみを吹き飛ばして、もしくは泣くことで落ちる所まで落ちて、あとは上がるだけにする。感覚が研ぎ澄まされて、冷静に見据えることが出来る。波紋が止まった水面のように。泣くことは、弱いことは、決して悪でも劣等でもない。
真実と向き合っている証だ。
▒ 寝る前のルーティン
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夜勤明けの帰り道、都心へ向かう通勤ラッシュに逆らいながら、あるいはその波に飲まれながら電車に揺られる。休憩時間にものを食べるかどうかはまちまちで、食欲増進週間でない限りは水分補給のみ。ああお腹が空いた。今日もよく頑張った。頑張ったっていうのは結果を残したことだけではなく、よく生きたという意味合いの方が適切かもしれない。今日もよく生きた。生き延びた。生き抜いたからこその、帰り道だ。
その帰り道で家に着いたら何を食べようか、と考えるのが好きだ。冷蔵庫で解凍させている肉がありながらも、誘惑の多い街。パン屋さんの朝は早い。すき家の一日は長い。目移りしつつも今日は真っ直ぐ帰って来れたけど、親子丼の具と味噌汁が残っていることを思い出したからではない。
朝のゴミ出しクエストは纏めるだけに留めて、洗濯機を回す。冷凍させていたご飯と親子丼の具と味噌汁を温める。食器を洗う。現場に持参したお茶が少し残っていたので、お湯を足し入れた。お手軽温かい食卓の出来上がり。
録画しているテレビの中で、笑うための材料。水曜どうでしょう。5周年企画夜行バスの旅。題材は何だっていいんだ。なんなら笑わなくてもいい。何かに没頭することで、無限ループの思考を断ち、リフレッシュすること。これが大事。
人は見えない先の不安や過去の過ちにくよくよしがちなんだけど、人ってそういう生き物なんだなと腑に落ちてしまえばこちらのもの。すぐに飲み込めないものは冷めるまで置いておくもいいし、味変しても構わない。そうして、どうやってクリアしてやろうかって企むのが好きだ。
テレビを観ない時は大概YouTube。最近ははじめしゃちょーの畑と東海オンエアばっかり観ている。好きなYouTuberはたくさんいるけど、自分の中でのその時々で流行りが変わる。
天候の変化と低気圧と、オナカイタイヨー1週間前ともあって体調はやや悪い。身体の色んな所が痛くて、週始めなのにすでに疲れ切っていて、自虐的な捉え方ばかりして、熱っぽくて、いつもより聴力が過敏な気がして。音楽がないと乗れない電車も、ついに家に着くまでイヤフォンを取り出すことはなかった。かと言ってそれによるしんどさはなくて、通勤にしては早めの時間帯だったからかそこまでの人混みもなく、喫茶店で新聞片手にモーニングコーヒーを嗜むような静かな空気が流れていて、心地良かった。僕は今日を生き抜いたんだ。
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海に行きたかった。行こうとしていた。天候や体調の事情で行きたい時に行けなかった。ドライブが出来たら最高なんだけど、実家から引っ越した今の家からでも海までは簡単に出れる。車がなくとも。いつでも行けると思っているからこそ動かない方を選んだせいで最高の好機を掴み損ねてしまったことが悔やまれる。
夜勤族の我々が家を出るのは日が沈んだ頃。普段乗らないバスに乗って、街灯もない細道を揺られ、どことも解らない場所で落とされて。暗がりが余計に焦燥を煽るけれど、朝になればその姿を表す。今日の現場は、海沿いにあった。
民家に遮られることなく、バスによりそう歩道と柵のすぐ向こうに広がる砂浜。鈍色の空とそれを映す海は少し濁っていた。マスク越しに潮風が掠めて、逢えて良かったと、そう思ったんだ。
小さい頃から父の教えを馬鹿の一つ覚えのように記憶し頼っていた唯一のこと、体調が悪い時は潮風を肺いっぱいに吸い込むこと。これで治るんだ、って、どんな根拠があるかを調べるのは最早野暮ってもんだ。僕にとっては。免疫力が低く、体温調節が苦手な僕の身体と心は病みやすかった。その僕にとって、自分で働き収入を得て自立するようになって以降よりいっそうその教えに沿いたがる自分がいる。海が見たいな。そう思い立ったが吉日精神で、寝る時間を惜しんでも車を飛ばしていたかつての僕の方が、案外今より素直で、僕自身のことを大事に出来ていたのかもしれない。
ここまでが、寝る前のルーティン。おやすみ。
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