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天下をとった成瀬に嫉妬した話(本屋大賞おめでとうの気持ちを添えて)

今年の本屋大賞は『成瀬は天下を取りにいく』(新潮社、2023、以下『成瀬』)であった。明るい黄色の背景に「LIONS」と書かれたユニフォームを身につけ、強い眼差しで前を向く少女の横顔が印象的な表紙は、普段あまり書店に行かない人であっても、一度は目にしたことがあるだろう。この書籍は3月の刊行以降この一年、どこの書店に行っても店頭の話題書コーナー、もしくは特設の「成瀬」コーナーで大々的な展開をされていたからだ。パネル、POPはもちろんのこと、数多くの著名人のコメントが入ったA3ポスター、陳ビラ、さらには書店員さん手作り拡材までふんだんに使用して、丸一年好位置での展開をキープし続けた。著者さんと編集さんだけではなく、書店員さんと交渉をした新潮社の営業担当の方の苦労が偲ばれる。

さて、かくいう私は、書店に行くたびにその展開を見て「成瀬すげー」「お金とエネルギーかけてるなー」と思いながらも話題書コーナーを素通りしていたタイプの人間だ。書店店頭の盛り上がり方からしてなんとなく今年の本屋大賞は『成瀬』が受賞するのだろうなと感じながらも、このタイミングまで読んではこなかった。そして、授賞式の中継で著者さんが特注のユニフォームを身につけてスピーチをしていたのを見た1時間後に、まんまと書籍を購入しに書店へ足を運んだ。我ながらちょろい消費者である。レジ対応してくれた書店員さんも「こいつちょろいな」と思ったに違いない。
発表後1時間であったにも関わらず購入した書籍にはすでに「本屋大賞第一位!」の帯がまかれ、レジには「本屋大賞第一位!」の横長パネルが設置してあった。書店員さんのお仕事の早さに舌を巻きながら帰宅し、その日の仕事を終えてちゃっちゃと退勤した。

私は期待を胸に『成瀬』を読んだ。
皆、この書籍を読んだ人々は口を揃えてこう話す。
「成瀬のこと、絶対好きになるよ」と。
しかし結論から言わせてもらえば、私は成瀬という人間のことを好きになれなかった。正確には「好き」「嫌い」以外の感情が想起された。とりあえずこの「好きになれなかった」が何に起因していたかについて、ここではちょっと考えてみたいと思う。

成瀬あかりという人物を見てみよう。彼女はいわゆる万能型の人間である。圧倒的な行動力を以って周囲の人々を巻き込みながら目的のために直走っていく。その行動が必ずしも有益なものではないかもしれないが、彼女は淡々と、機械のような執着をして一度決めた行動を取り続ける。
そして、巻き込まれた周囲の人々の心境には変化が生じる。ほんのちょっぴり前向きな気持ちになったり、成瀬の魅力に虜になったり。その変化は些細なものだが、ともかく手の届く日常に対してプラスの感情を抱くことになる。きっと、私の周りの読者たちが口を揃えていう「成瀬のことが好きになる」は、このような彼女の真っ直ぐすぎる姿と、その周囲の人たちに及した影響に対する好印象からきているのだろう。もちろん異論は認めるが、いずれにせよその異論もまた、彼女への好印象の理由である。
ただ、私の場合彼女に対して引っかかったのはそこではなかった。
彼女は圧倒的に周囲より優秀で、行動力があるにも関わらず、そのエネルギーが全て地元を愛することに注がれているという点であった。

ここで少し、私自身の話も挟ませていただく。ポッドキャストの方で度々匂わせているので、聴いている方で本稿を読んでいる方がもしいれば察しているかもしれないが、私は「まあまあの」地方出身である。とはいえ県内では最も人口が多い市で人生の大半を過ごしたため「田舎生まれ田舎育ち」と胸を張って言えば石を投げられても仕方ないかもしれないが、だからと言って都会かと言われればそうでもない場所で大学までを過ごした。
なんとなく、鬱屈とした日々を過ごした。
知り合いが大学進学で所謂三代都市圏へと引っ越し、ものと人が溢れる場所で愉快な生活を送っているのをSNSの向こうに眺めながら、人並みの自我を持ってすでに飽きの来た地元で生活するのは、それなりにしんどいと考えていた。
あとついでに言えば、私は自分の脳内に常に他者に対する強めの劣等感を飼っている。何が原因でそうなったかは既に判然としないが、理由はなんとなくわかっている。おそらく否定されるのが怖いのであろう。最近では楽しかったことをシェアして否定されないという安心感があるコミュニティ以外で楽しかったことを話すことも怖い。エコーチェンバーも裸足で逃げ出す環境である。少なくとも中学生の頃にはそうだったような気がする。かれこれ十数年のお付き合いだ。これは、実際に相手が自分より優れているか劣っているかは関係ない。ただ目の前の人間が自分よりも長く喋ることができる、ほんの少しでも面白いアイデアを思いつけるというだけで、自分がひどく矮小でつまらない人間のように感じる、といった厄介な代物である。他人に話せば不快感を与えるレベルの卑屈さであるという自覚はあり、このマインドはなんとかならぬものかと長年考えてはいるものの、未だ解決策は見つかっていない。

話を『成瀬』に戻そう。彼女は地元を愛していた。周囲が何を感じようとも、地元を愛していると公言して憚らなかった。おそらくではあるが現実の滋賀という土地もまた、私の地元同様に大学進学や就職を機に県外に出る若者が多いのだと思う。そのような中でも彼女は揺らぐことなく地元にこだわり続ける。その姿勢はおそらく同世代の目には奇異なものに映るだろうし、もしその場にいたならば、私の目にもそう映ったことだろう。
ただ、私自身が地元を離れた今、成瀬と出会ってこう思う。当然、一抹の羨ましさと、それを成し得なかった私自身への反省とともに、だ。
「成瀬は、私にはできなかったことを成し遂げている」

『成瀬』を読んで改めて感じたが、実際口で何を言おうと私は地元のことが好きなのだろう。困らない程度の商業施設、美味しい食事、そこそこの人口、そこそこの交通網。その一方で地元に飽きを感じ、都会に出てきた人間でもある。正直なところ、あのまま地元で就職するというビジョンは『成瀬』読了後の今も抱くのは難しい。どう考えても、卒業後に地元を離れたのは正解であったし、「見聞を広げる」という意味においては、可能であればもう少し早く地元から出ても良かったのかもしれないとは思っている。しかしそれでも地元を「飽きた」と断じるのもまた、もしかするとまだ早かったのかもしれないと『成瀬』を読んだあとなら思える。
私は地元の観光バスに何度乗っただろうか。史跡を何度訪れ、歴史を学んだだろうか。地元の飲食店に足を運んでおすすめのメニューを口にしただろうか。地元のサッカーチームは応援しただろうか。離島には足を運んだだろうか。海は見ただろうか。私は地元の何を知っているだろうか。
私は、地元への理解を怠ったままに地元に対して勝手に見切りをつけ、東京に出てきたのかもしれない。私は成瀬の「地元を愛して何が悪い?」を貫く姿勢を心底羨望し、強烈に嫉妬していたことを急に理解した。

先日、よく一緒に遊ぶ友人と通話している時、こんなことを言われた。
「HALさんって、地元のこと話す時饒舌になりますよね」
地元を愛し、地元を知り、地元のために行動し続ける成瀬が、中途半端に地元への未練を残す私に怪訝な顔をしているのが目に浮かぶようである。

書誌情報
タイトル 『成瀬は天下を取りにいく』
著者 宮島未奈
出版 新潮社
ISBN 9784103549512
定価 1,705円(税込)

(文責 HAL)




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