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Pondering in 十二国記

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個人的に疑問に感じた十二国記内のあれこれ(多くは重箱の隅をつついたもの)の記事です。
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#十二国記

陽子は常世で何と呼ばれている?

尚隆の訓読み、音読み問題は自分でもいままで考察したり、他の方が結構議論されたのを見かけたけれど、陽子はどうだろう? 読者目線では、単純に「ようこ」と呼んでいるのだけれど、陽子を取り巻く十二国記の登場人物たちは彼女をどう呼んでいるのか、という謎が出てきたので少し考察してみたい。 ルビ数が少ない! そもそも、陽子という漢字にはほとんど基本ルビ(ふりがな)が振られていない。小説などその本で初めて登場する場合、名前にルビが振られていることが多い。陽子も一応『月の影 影の海』では

十二国記での人物の呼び名(姓・氏・字など)

十二国記初読の人を混乱させる一つに、人物の呼称や敬称がややこしい、というのは認めざるを得ない点ではあると思う。いまだに自分自身もそれぞれの使い分けを理解しきれていないが、一度自分なりの整理を試みてみたい。 <注意> 以下の分類はあくまでも小説十二国記シリーズ内でのことであって、実際の古代中国などで使用されていた「姓」や「号」とは切り離して御覧ください。また、十二国記内のことであっても、一個人の考察になります。加えて、本記事内で使用されている原作引用文において、一部太文字表記

冬狩で瑞州師は泰麒の許可なく使用されたのか

少し前にSNSで、驍宗が冬狩にあたって泰麒の許可がなく瑞州師を使った……というような意見をお見かけして、そうなのかな?とちょっと引っかかった。 作中内でその直接的な表記が私では見つけられなかったのですが、恐らく瑞州師将軍であった李斎とその麾兵が冬狩によって裁かれた官吏を刑場に引き出したり、秘密裏に処分する任にあたっていたことから、驍宗が冬狩で泰麒の許可を得ずに瑞州師を使った、と演繹しているのかと(『黄昏の岸 暁の天』137-138頁)。 恐らく上記のような根拠のもとで導か

驍宗の足跡と嘉橋の戦闘

驍宗即位から半年後に文州で土匪の乱が起こり、驍宗が鎮圧するために親征軍を率いて轍囲に進行中に行方不明になった・・・という一連の流れのまとめを今行っています。その中で、琳宇到着後から失踪するまでと、その轍囲進行途中にある、嘉橋での土匪と王師の戦闘、嘉橋での驍宗目撃証言から、日数の齟齬?があるように感じて今混乱中です😅 単なる私の読解力が足りないだけかもしれないのですが、混乱している中での推論?は以下の用な感じです。一人で勝手に混乱しているだけかもしれないので、ご意見・ご感想伺

十二国記内の漢字表記考証?

※はじめに、私が勝手に作った十二国記漢字テストの「完全な正解」はありません。示す解答は私が個人的に考えるものです。それぞれの漢字の使用例を十二国記シリーズ内作品全て確認したわけでもないのと、漢字の専門家でもなく、ちゃんとした学術文献や辞書で検証した訳ではないので、個々の漢字における情報は正確性も保証はできません(専門家の方々すみません🙇🏻‍♀️💦)。またここで述べるのはあくまで私の勝手な見解と意見であって、小野不由美先生始め、出版社様や原作へ批判・否定したりする意図は全くあり

州侯・麒麟の実権について

最近コロナウイルスに於いて、特に日本とアメリカの対応に関して、中央政府と地方自治体の取り組み方や乖離などを見ていて、その対応によって問題がどのように悪化したり改善されたり、民衆を指導・誘導できるのかというのを考えさせられていました。そんな中、最近TwitterのTL上で以下の呟きを拝見してhttps://twitter.com/tokihito_qal3/status/1261495260196134916?s=21、十二国世界では中央政府=王と地方自治=州侯との関係・構造は

轍囲の乱はいつ起きた・・・?(タイムライン考察)

既におぼろげなのですが、以前Twitter上で「轍囲の乱」はいつ・・・?みたいな議論があった時に、自分もちょっと下の線図を書いたりして考えたりしていました。議論中の一つが、才国の砥尚の治世と、白銀時の祖父母時代が轍囲の乱であるという点で少し齟齬が生じる・・・という風だったかと思います。 ここでは、ちょっと才国のことはおいておいて(スミマセン💦)、琅燦や他の記載から轍囲の乱の時期を考えたいと思います。主に『白銀の墟 玄の月』中の四箇所の記述を中心に考えていきます。 1.驍宗

阿選最期の真相を十二国正史から

ちょっと海外(非漢字圏)の方に聞かれてうーんとなったのが、白銀最後の「討つ」表記に関して…。単に「攻撃(attack)」の意味じゃなかったんだ…?と言われたのですが、いや、間違いではないけど、具体的に自分も分かってないな…となり、十二国記の正史?中の悪人?を討伐する…という記載部分をちょっと比較してみました。 そもそも正史的な形式で書かれているのが少なく…。慶・戴・雁・恭の四国のみ(のハズ…)。しかも、兇賊討伐的なのが記されているのは、以下の箇所だけ。 『月の影 影の海』

仙籍簿と琅燦

凄いざっくりなタイトルで申し訳ない・・・。『東の海神 西の滄海』のCDブック版付録『漂舶』から、『白銀の墟 玄の月』における仙籍に関する疑問の一部をここにちょっと吐き出してみます。 (既にご存知の方も多いかと思いますが・・・)実は、仙籍からそこに載っている人物の生死の確認が可能だということが、以下の『漂舶』箇所から分かります。 死んではいないことだけが、仙籍に消えずに残った「更夜」という文字から知れるだけだ。 『漂舶』 上記の箇所で六太が更夜の生死を仙籍から確認していた

夏官組織図問題…

『白銀~』を読んでいて要人護衛官に関する記載があったので、そこの情報だけでまとめたのですが、後で朝陽さん(@asahi_azuma)の、「大僕の上官は、射士なのか司士なのか」…という呟き(https://twitter.com/asahi_azuma/status/1213585411601129472?s=21)で、はっとさせられ…。長くなってしまったので、以下に書き出してみました。 大僕の上官は?大僕が十二国記通して比較的違う国で出てきているので、それら記載されている所